DDT
[Wikipedia|▼Menu]
化学物質としての危険性については、1962年に出版されたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』により取り上げられ、認識が広まった。

現在[いつ?]でも、危険性の高さを印象づける名称として、プロレスの技(DDT (プロレス技)参照)、グループ名、諸団体の名称などに当て字で使われることが多い。又ソフトウェアバグ(虫)退治の意で、CP/MデバッガにDDT.COMというものがある
発癌性

一時期、極めて危険な発癌物質であると評価されたため、各国で使用が禁止された。現在[いつ?]、国際がん研究機関発がん性評価ではグループ2Bの「人に対して発がん性が有るかもしれない物質」に分類されている[7]
規制後の問題 (発展途上国におけるマラリアの蔓延)

先述の通り、DDTは世界各国で全面的に使用が禁止されたが、経済的にも工業的にも弱体である発展途上国ではDDTに代わる殺虫剤を調達することは困難であり、DDT散布によって一旦は激減したマラリア患者がDDT禁止以降は再び激増した。

例えばスリランカでは、1948年から1962年までDDTの定期散布を行ない、それまで年間250万を数えたマラリア患者の数を31人にまで激減させることに成功していたが、予算節約の為にDDT散布を中止した結果、DDT禁止後には、僅か5年足らずで年間250万に逆戻りしている[8]

事態を重く見たスリランカ政府はDDTを再度使用するが、レイチェル・カーソンが「沈黙の春」内で述べている通り、DDTに対する耐性を獲得したマラリア蚊もDDT散布後数年以内に多数報告されており、DDTを散布しても効果が無く再びマラリアが激増してしまった。農薬としての規制後もマラリア用には認められていたものの、手に入らなくなっていた[9]。スリランカ政府がDDTの代わりにマラチオンを散布する事で、スリランカのマラリアは1990年?1993年に28万人?32万人台へ、1994年?2000年に14万人?27万人台へ、2001年に6万6522人、2002年に4万1411人、2003年には1万 510人と減少していった[10]。また、発展途上国ではDDTに代わって、パラチオンなどのDDTよりも毒性が強いことが判明している農薬が使用されている実態もあった(なお、パラチオンは日本を含む主な先進国では使用が禁止されている)。

2006年よりWHOは、発展途上国においてマラリア発生のリスクがDDT使用によるリスクを上回ると考えられる場合、マラリア予防のためにDDTを限定的に使用することを認めた。WHOが主催するマラリア対策プロジェクトの責任者である古知新(こち・あらた)博士は、DDTの効果を認めている[11][12]

DDTは依然としてマラリアの予防に使用されており、コストなどを総合的に考慮しながらツールとして選択される[13][14][15]

一部の環境ジャーナリストは、DDT規制やその有効性への批判(バッシング)は、ロジャー・ベイト(英語版)などのAfrica Fighting Malaria(AFM)といったDDT擁護団体による宣伝行為にすぎないと述べている[16][17][18]。「Africa Fighting Malaria」は環境保護主義者の信用を傷つけるために設立されたフロントグループだと言われており[19][20]、ロジャー・ベイトは農薬事業を行う製薬会社から資金提供を受けている[21]
イタリアにおけるDDT屋内残留噴霧 (マラリア根絶を目的としたもの)

DDTがマラリア根絶に絶大な効果を発揮した例として、イタリアにおけるDDT屋内残留噴霧が挙げられる。

この手法は、屋内の大気中に散布することによって屋外から飛来する媒介者であるハマダラカに直接付着させて殺虫を図るのではなく、室内設備、特に壁面に予めDDTを付着させておくものである。屋内で人体から吸血し飽血した体重の重いハマダラカは、速やかに至近のものかげの壁面に飛び移り、屋外に退去するまでの間ここに留まり、消化管内の血液の余剰物質、特に過剰な水分などの排出を行うことで軽量化を図る。この間に壁面のDDTは、虫体が接する脚から浸透吸収されて(DDT耐性ハマダラカの出現がなければ)容易に蚊の致死量に至る。これによってヒトを宿主とするマラリア原虫のヒト→ハマダラカ→ヒトという感染リンクを切断し、ヒトとハマダラカの生存する生態系全体への殺虫努力に拠らずとも環境中のヒト寄生性マラリア原虫の漸減をもたらす。

第二次世界大戦終了頃まで、イタリアの大多数の地方に土着マラリアが蔓延していた。イタリアの人口10万人当り、1905年(明治38年)では974.0人、1945年(昭和20年)では900.6人のマラリア患者がいた。中には土着の熱帯熱マラリアが蔓延する地方さえあった。

当時、イタリアでマラリアを媒介していたハマダラカは、主にAnopheles labranchiae・A. sacharovi・A. superpictusの三種である。A. labranchiaeは、イタリア中央部・イタリア南部の海岸地方・シチリア島およびサルジニア島の海抜1000m以下の地域に分布し、A. sacharoviは、海岸地方の大半・サルジニア島・アドリア海沿岸の北東の地方に分布し、A. superpictusは、イタリア中央部・南部・シチリア島に分布し、それぞれ猛威を振るっていた。

1947年(昭和22年)にマラリア根絶を目的としたDDT屋内残留噴霧が大々的に始まると、これらのハマダラカは激減し、1950年(昭和25年)にはマラリア患者もイタリアの人口10万人当り7.5人にまで激減した。1970年(昭和45年)11月17日、ついにWHOはイタリアからのマラリア根絶を宣言した。

それ以来イタリアでは土着マラリアは蔓延していない。

1956年に八丈小島のマレー糸状虫症対策として民家にDDTを噴霧する際にもイタリアの事例が参考にされた。
DDTを好む昆虫

ブラジルに生息するハチの一種 Eufriesia purpurata はDDTに対する耐性が強く、そればかりかDDTを好んで集めることが知られている[22]
参考文献^ a b International Chemical Safety Cards - NIOSH
^ Merck Index 14th ed., 2841.
^ ガイギー社は染料会社で、のちのチバガイギー、現ノバルティス。染料関連は現チバ・スペシャリティケミカルに分社した。
^ ユージン・スレッジ『ペリリュー・沖縄戦記』講談社学術文庫、2008年、226頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4061598850。 
^ 世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、8頁。ISBN 9784309225043。 
^ 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編8(現代1)(仙台市、2011年)、296頁
^ [リンク切れ] ⇒IARC Monographs- Classifications - Group2B
^ “ ⇒有機塩素系殺虫剤DDTの歴史と未来”. 大阪健康安全基盤研究所 (2017年3月31日). 2019年5月20日閲覧。
^ 特集:シリーズ「地球の悲鳴」 世界で大流行 マラリアの脅威 2007年7月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP
^ 世界を騙しつづける科学者たち(下) 第七章 否定ふたたび──レイチェル・カーソンへの修正主義者の攻撃 ナオミ オレスケス (著), エリック・M. コンウェイ (著), Naomi Oreskes (原著), Erik M. Conway (原著), 福岡 洋一 (翻訳)
^ recommends DDT to control malaria - PMC
^ WHO ニュースリリース 2006年9月15日/WHO はマラリア対策のための DDT の屋内使用に健康証明を与える(訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会))
^ Palmer, Michael (2016年9月29日). “The ban of DDT did not cause millions to die from malaria”. University of Waterloo. 2021年6月16日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:35 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef