DC-4
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ダグラス DC-4

アリタリア航空のDC-4B

用途:旅客機

製造者:ダグラス・エアクラフト

運用者

パンアメリカン航空

ノースウェスト航空

日本航空

カンタス航空など


初飛行:1942年2月14日(原型機)

生産数:74機(民間向け)+1134機(軍用)
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ダグラス DC-4 (Douglas DC-4) は、アメリカ合衆国ダグラス社が開発した大型レシプロ旅客機。軍用型としてC-54とR5Dが製作された。1942年初飛行。目次

1 概要

1.1 DC-4E

1.2 C-54/R5Dとして就航

1.3 最初の大洋横断機

1.4 生産中止

1.5 その後

1.6 現在


2 スペック

3 主なユーザー

3.1 航空会社

3.2 軍・政府


4 日本のDC-4

4.1 日本航空国内線の主力機

4.2 航空切手

4.3 退役

4.4 日本国外の航空会社の乗り入れ


5 脚注

6 関連項目

7 外部リンク

概要
DC-4E ユナイテッド航空のハンガーの前に駐機するDC-4E

1930年代以降、DC-3の商業的な成功によりアメリカを始めとする世界の旅客機市場で最大のシェアを誇っていたダグラス社が、ユナイテッド航空から出されたDC-3の後継機に対する要望に答えるための試作機として、ダグラス社として初の4発エンジンを持つ大型旅客機・DC-4E(EはExperimental=「試作機」の意味)が開発された。

1938年6月7日に初飛行したものの、路線就航を前提としたテスト飛行を行った結果、エンジン出力に比べ機体重量が重かった上に機構が複雑すぎ、整備性および経済性に問題があったために、試作機として1機だけが製作されたのみに終わった。

DC-4Eはその後、1939年10月に日本海軍が入手し(海軍名義ではなく大日本航空の名義で購入した)、中島飛行機で海軍向けの13試大型陸上攻撃機「深山」の設計をする際の参考にされた。
C-54/R5Dとして就航 大統領専用機のC-54「セイクリッド・カウ」 キャセイパシフィック航空のC-54 ATL-98カーベア 消火活動機に改造されたC-54A

その後DC-4として一から開発がやり直されたものの、第二次世界大戦中の1942年2月14日に完成・初飛行したこともあり、当初はアメリカ軍向けの輸送機・C-54 スカイマスター(陸軍航空隊向け)もしくはR5D(海軍向け)として大戦終結後の1946年までに1,134機が製作された。

1944年には、C-54が当時の大統領フランクリン・D・ルーズベルト専用機「セイクリッド・カウ」として採用された。なお同機は初のアメリカ大統領専用機であり、小児まひ後遺症で下半身不随のルーズベルトの乗降のためにリフトが装備されていた。
最初の大洋横断機

なお、第二次世界大戦後にはアメリカ軍やイギリス軍で使用されていたC-54やR5Dのうち約500機が民間に払い下げられ、旅客型に改修されてDC-4として飛行することになった。

そして、パンアメリカン航空ノースウェスト航空ブリティッシュ・エアウェイズなどにより大西洋、続いて太平洋を越えて運航される最初の民間機の一つとなった。


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