D.B.クーパー事件
[Wikipedia|▼Menu]

D.B.クーパー
1972年にFBIが公表したクーパーの似顔絵
失踪1971年11月24日
現況不明
別名ダン・クーパー
著名な実績1971年11月24日にボーイング727をハイジャックし、飛行中の飛行機からパラシュートを身につけて飛び降りた。身元は特定されていない。

ノースウエスト・オリエント航空305便事件に巻き込まれたN467US
ハイジャックの概要
日付1971年11月24日
概要ハイジャック
現場 アメリカ合衆国オレゴン州ポートランドからワシントン州シアトルの間
乗客数36 (ハイジャック犯1名)
乗員数6
負傷者数0
死者数0 (ハイジャック犯のその後は不明)
生存者数42 (乗員乗客全員)
機種ボーイング727-100
運用者 ノースウエスト・オリエント航空
機体記号N467US
出発地 ポートランド国際空港
目的地 シアトル・タコマ国際空港
テンプレートを表示

D.B.クーパー事件 (: D. B. Cooper) は、1971年11月24日水曜日の午後、オレゴン州ポートランドからワシントン州シアトルへ向かっていたボーイング727太平洋岸北西部ハイジャックされた事件である[1][2]。ハイジャック犯は身元不明の男性で、「ダン・クーパー」 (英: Dan Cooper) という偽名で航空券を購入したが、ニュースメディアの誤報により、一般には「D.B.クーパー」という名前で有名になった。クーパーは身代金20万ドル (2020年時点の$1,240,000と同等) を強奪し、パラシュートで降下して飛行機を脱出した。その後、どのような末路を辿ったのかは知られていない。広範囲を捜索し、連邦捜査局 (FBI) も長期間捜査したが、クーパーの身元は現在も不明である。クーパー事件は商業航空産業史上で唯一未解決のハイジャック事件である[3][4][5]

クーパーの遺体は発見されていないものの、証拠や専門家の見解により、クーパーは高所からの転落が原因で死亡したという説が当初から提唱されていた[6]。それでも、FBIは事件から45年もの間捜査を続けていた。捜査の過程で事件資料は60巻以上にも膨れ上がったものの[7]、クーパーの身元に関する決定的な結論は得られていない。

捜査官や記者、アマチュアたちにより、長年の間に数多くの仮説が提唱されてきた[3][8]。1980年2月、コロンビア川の沿岸で、ある少年が身代金の紙幣の一部を発見した。この発見により事件は新たな関心を惹き付けたが、結局謎が深まっただけだった。身代金の大部分はいまだに回収されていない。

2016年7月、FBIは公式に捜査を停止したが、捜査官はパラシュートや身代金に関係する物的証拠の発見を今も待ち望んでいるという[9]
ハイジャック

1971年11月24日は感謝祭前日だった。この日、1人の中年男性が黒いアタッシェケースを持ってポートランド国際空港にあるノースウエスト・オリエント航空のフライトカウンターに向かっていた。男は「ダン・クーパー」と名乗り、305便の片道の航空券を現金で購入した。305便は北にあるシアトル行きの飛行時間30分間の便だった[10]

クーパーはボーイング727-100 (連邦航空局機体記号N467US) に搭乗し、客室の後方にある18C席[3] (ある情報源では18E席[11]、別の情報源では15D席[12]) に座った。クーパーはたばこに火をつけ[13]バーボンのソーダ割りを頼んだ。同じ飛行機に乗った乗客たちによれば、クーパーの年齢は40代半ば、身長は178センチメートルから183センチメートルだったという。クーパーは軽量の黒いレインコートローファー、黒いスーツ、きちんとアイロンがかけられた襟付きのワイシャツ、黒いクリップ式のネクタイ真珠母でできたタイピンを身につけていた[14] D.B.クーパーに対するFBIの指名手配ポスター

305便はワシントンD.C.からシアトルへ向かう空路で、ミネアポリス、グレートフォールズ(英語版)、ミズーラ(英語版)、スポケーン、ポートランドを経由していた[15]太平洋標準時午後2時50分、飛行機は予定通りポートランドを飛び立った。飛行機には定員の3分の1程度が搭乗していた。離陸してまもなく、クーパーは自分の最も近くにいた客室乗務員であるフローレンス・シャフナー (英: Florence Schaffner) にメモを渡した。シャフナーは機体尾部のエアステア (昇降用階段) のドアに取り付けられた補助席に座っていた[3]。シャフナーは、メモは孤独なサラリーマンが自分の電話番号を綴ったものだろうと考え、メモを開かずにハンドバッグに入れた[16]。クーパーはシャフナーの方に体を傾けて、次の言葉を囁いた。Miss, you'd better look at that note. I have a bomb.[17] (「君、そのメモを読まないといけない。俺は爆弾を持っている」)

メモはフェルトペンで丁寧に書かれており、全て大文字だった[18]。メモはクーパーが返却を要求してきたため、実際にどう書いてあったかは不明である[19][20]。しかし、シャフナーの記憶によれば、ブリーフケースの中に爆弾が入っているというようなことが書いてあったという。シャフナーがメモを読むと、クーパーはシャフナーに自分の隣に座るように言った[21]。シャフナーはその言葉に従い、それから爆弾を見せるように冷静に頼んだ。クーパーはブリーフケースを開けて、中身を一目見るだけの時間を与えた。中には赤い円筒形の物体が8本入っていた[注釈 1]。4本の上に別の4本が置かれている状態だった。物体には赤い絶縁材で覆われたワイヤーと、大きな円筒形の電池が付いていた[23]。(しかしこれらの爆弾は偽物だったという説もある。)クーパーはブリーフケースを閉じると、自分の要求を伝えた。現金20万ドル (negotiable American currency、「交換可能なアメリカの通貨」で払うように指示した)[注釈 2]、パラシュート4つ (2つはメイン、残りの2つは予備)、飛行機が到着したときに燃料を補給するための給油車をシアトルで待機させることである[25]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:267 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef