D級装甲艦
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この項目では、第二次世界大戦時の戦艦について説明しています。第一次世界大戦時の巡洋艦については「シャルンホルスト級大型巡洋艦」をご覧ください。

シャルンホルスト級戦艦
竣工当時の「シャルンホルスト」。
基本情報
艦種戦艦
命名基準人名
要目
基準排水量31,500トン
常備排水量35,550トン
満載排水量38,900トン
全長235.4 m(772 ft)
水線長226 m (741.5 ft)
最大幅30 m (98.4 ft)
吃水9.69 m (31 ft 9 in)
機関方式ワグナー式重油専焼高圧水管缶12基
ブラウン・ボベリー式ギヤードタービン
(グナイゼナウはゲルマニア式)
3基3軸推進
出力160,000hp
(安定時出力:125,000hp) 
最大速力31ノット
航続距離19ノット/8,400海里
17ノット/10,000海里
乗員士官56名、兵員1,613名
兵装28.3cm(54.5口径)3連装砲3基9門
15cm(55口径)連装砲4基8門+同単装砲4基計12門
10.5cm(65口径)連装高角砲7基14門
3.7cm(83口径)連装高射機関砲8基16門
2cm(65口径)連装高射機関砲5基10門
(53.3cm水上魚雷発射管3連装2基6門)
装甲舷側:350mm(VP部、水線部より上部)
170mm(水線部より下部)
45mm(第1 - 第2甲板舷側)
甲板:95mm(主甲板)
95mm(第2甲板)
50mm(第1甲板)
105mm(水線下傾斜部)
主砲塔:360mm(前盾)
200mm(側盾)
180mm(後盾)
180mm(天蓋)
副砲塔:250mm(前盾)
50mm(側盾)
50mm(後盾)
50mm(天蓋)
バーベット部:280mm
司令塔:300mm(側盾)
200mm(天蓋)
350mm(覗き窓枠)
220mm(扉)
搭載機アラドAr 196 3機
カタパルト 2基
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シャルンホルスト級戦艦(シャルンホルストきゅうせんかん、ドイツ語:Schlachtschiffe der Scharnhorst-Klasse)は、1935年ヴェルサイユ条約の軍事条項破棄後に建造されたドイツ海軍戦艦(Schlachtschiff)。シャルンホルスト及びグナイゼナウの2隻が建造され、いずれも1935年に起工、翌1936年に進水した。

一般的には進水順に従ってシャルンホルスト級と呼称されるが、起工日、就役日共にグナイゼナウの方が先であったことから、グナイゼナウ級と称される場合もある。
艦種について

シャルンホルスト級の艦種については"戦艦"とする文献と"巡洋戦艦とする文献のそれぞれが多数ある。1943/44のジェーン海軍年鑑ではBattle shipとし(同書ではイギリス・レナウン級はBattle Crusersとしている)[1]、元海軍技術少佐で艦艇研究家の福井静夫による雑誌『丸』への寄稿文では記事見出しではシャルンホルスト級を戦艦、本文中では巡洋戦艦としている[2]。小池克己は雑誌『世界の艦船』に寄稿した文でシャルンホルスト級を巡洋戦艦としたうえで、巡洋戦艦という艦種は英海軍で1910年以降に使用されるようになったが、ドイツではこの名で計画された軍艦は一隻もない。帝政時代には大巡洋艦、ナチス時代には戦艦として計画された。

としている[3]。エドウィン・グレイ(英語版)は著書『ヒトラーの戦艦』のなかで「イギリス海軍はシャルンホルスト級を巡洋戦艦としたがドイツではいつも戦艦と呼んでいる。」、「シャルンホルスト級の正式艦種は戦艦だが、船の実質を問う文脈では巡洋戦艦と呼ばれることが多い。」としている[4]
建造の経緯D級装甲艦の予想図。

ドイッチュラント級装甲艦に対抗するという名目でフランスが中型戦艦ダンケルク級を発表し、1931年から建造に着手した事により、ドイツ海軍ではそれに対応すべく、同年にドイッチュラント級をより大型化した4、5番艦の開発を決定した。両艦は排水量20,000トン、全長230m、速力29ノット、主砲28cm砲6門(3連装砲塔2基、4連装砲塔計8門に変更可)、副砲15cm砲8門の仕様[5]により、「装甲艦D」(Panzerschiff D、エルザース代艦)及び「装甲艦E」(Panzerschiff E、ヘッセン代艦)として1934年1月25日に発注され、同年2月14日にヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠及びキールドイチェヴェルケ造船所にて起工した。しかしその間に、3連装砲塔を3基備える更に大型化された設計案をアドルフ・ヒトラーが承認したことから、早くも7月5日にこれらの建造は取り消された。

1935年のヴェルサイユ条約の破棄を受け、両艦の計画は、基準排水量26,600トン、速力30ノットの中型戦艦として再開始された。主砲塔数は3基となり旧計画より攻撃力が向上し、ドイッチェランド級3番艦まで採用されていたディーゼル機関は信頼性と高速発揮に不安があるために搭載を見送り、前大戦時からの技術的蓄積がある重油専焼高圧缶蒸気タービン機関の組み合わせに変更された。

船体の基本構造は設計期間短縮の為に第一次世界大戦時に設計された巡洋戦艦マッケンゼン級の設計を一部流用、しかし、ドイッチュラント級で採用された「舷側・艦底部の3重構造」や巧妙な機関配置は継承されず対艦防御・水雷防御を結果的に低下させた。
艦形本級の武装と装甲を示した図

竣工時のシャルンホルストは前級と同じく艦首形状がほぼ垂直に近いもので凌波性に問題があり、公試時に高速航行を行ったときには艦首で砕けた波の飛沫が前部主砲塔はおろか艦橋に飛び散り漏水による障害が出たため、公試後に再びドック入りして艦首を強く傾斜させたアトランティック・バウへ改修され完工した。
この時、建造途中であったグナイゼナウは改設計を実施したため完工はグナイゼナウの方が早かった。この改修により艦の全長は元設計よりも若干延長された。だが、凌波性は改善されたとはいえず、今度は錨鎖孔に波が吹き込んで甲板から噴水のように海水が飛び出し主砲塔や艦橋に吹きかかる問題が発生したため、錨鎖孔は塞がれて艦首にフェア・リーダーが付けられた。しかし、この度々の小改装でも完全に凌波性の問題は解決せず、1番主砲塔まで波が飛んで主砲塔装備の測距儀が使用不能となるなどトラブルは慢性的なものとなった。
武装
主砲現代も残る「グナイゼナウ」の主砲塔。

当初、本級の主砲は前級に引き続き「SK C/28 1928年型 28cm(52口径)砲」を三連装砲塔に納めて3基9門搭載するはずであったが、設計途中にダンケルク級の舷側防御は12インチ(305mm)との情報が入ったため、既存の28cm砲では攻撃力不足と判断され急遽38cm連装砲3基搭載に設計が変更された。しかし、38cm砲の開発には時間が掛かる事が予測され、かつ本級の竣工時には砲身の調達が間に合わず戦力的価値が皆無となる恐れがあった。幸い、後になってダンケルク級の舷側装甲が実は10インチ以下との情報を入手できた事もあり、主砲には再び28cm砲搭載に戻した。だが、この間に大砲製造技術が発達した事により前級の主砲の改良型で長砲身となった「1934年型 28cm(54.5口径)砲」が開発され、これを搭載する設計に改められた。本級の竣工後に38cm砲の開発が出来たら折を見て主砲塔ごと換装する予定であったが、結局果たされることはなかった。

「1934年型 28cm(54.5口径)砲」の性能は前級の300kgから重量弾化された重量315kgの徹甲弾を最大仰角40度で40,000 mまで届かせる能力を持っていた。主砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。俯仰能力は仰角は40度で統一されたが俯角は艦首側の1番・2番主砲塔が8度、艦尾側の3番主砲塔のみ9度で異なっていた。旋回角度は首尾線方向を0度として左右150度の旋回角度を持つ。発射速度は前級の毎分2.5発から3.5発と発射間隔が短くなっていた。砲威力では射程20,000mで舷側装甲225mmを、射程15,100mで舷側装甲335mmを容易く貫通する性能を持っており、イギリス海軍の巡洋戦艦レナウン級に対し射程20,000mで舷側装甲を破ることができ、クイーン・エリザベス級戦艦リヴェンジ級戦艦に対しても射程15,000m以下まで接近すれば舷側装甲を破る能力を持っていた。
副砲、その他の備砲および雷装現代も残る「グナイゼナウ」の副砲塔。

副砲配置は「D級装甲艦」時はドイッチュラント級装甲艦と同じ「SK C/28 1928年型 15cm(55口径)速射砲」を採用。その性能は45.3kgの砲弾を初速875m/秒で仰角35度で22,000mまで届くものであった。

これを単装砲架で8門の設計であったが、シャルンホルスト級への設計段階で副砲門数を5割増しの12門とし、内8門を新設計の連装砲塔に収めて4基と単装砲架で4基の変則配置と変更された。副砲配置は連装砲塔は艦橋の左右に連装砲塔を1基ずつとカタパルトの左右に1基ずつの計4基、単装砲は船体中央部の舷側甲板上に背中合わせに片舷2基ずつの計4基とした。この配置方式により、前後方向に最大4門、左右方向に最大6門が指向できた。しかし、この連装砲塔と単装砲架が混在する特異な配置のため、発射速度や荒天下での操作性に差異が生じたようで成功した配置とはいえず、後のビスマルク級戦艦では全て連装砲塔形式で6基に統一された。

他に対空用として「1933年型10.5cm(65口径)高角砲」を装備した。これは15.8kgの砲弾を仰角45度で17,700 m、最大仰角80度で12,500mの高度まで到達させた。


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