D・A・ペネベイカー
D. A. Pennebaker
ボブ・ディランについて討論(2007年2月、ニューヨーク市)
本名Donn Alan Pennebaker
生年月日 (1925-07-15) 1925年7月15日(94歳)
出生地 アメリカ合衆国 イリノイ州エバンストン
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ドン・アラン・ペネベイカー(Donn Alan Pennebaker、1925年7月15日 - )は、アメリカのドキュメンタリー映画監督。アカデミー名誉賞受賞者。ダイレクト・シネマ(Direct Cinema
)/シネマベリテの先駆者の一人でもある。テーマとしては、パフォーミング・アート(とくにポップ・ミュージック)や政治を中心にとりあげている。1960年代初期にペネベイカー(「ペニー」というあだ名で親しまれた)は、リチャード・リーコックとロバート・ドリュー
とともに、「ドリュー・アソシエイツ」を設立した。しかし1963年、リーコックとペネベイカーは、自分たちのプロダクション設立のため、「ドリュー・アソシエイツ」を去る。のちにペネベイカーは、妻のクリス・ヘジダスと仕事をともにするようになる。妻と設立した会社「ペネベイカー・ヘジダス・フィルムズ」は、影響力のあるドキュメンタリーを多く製作している。ときに“ペネベイカー・ドキュメンタリーズ”と呼ばれる彼の作品は、ハンディカメラで撮影され、出来事の「シンプル」な描写に徹している。原則的にインタビューとボイスオーバーナレーションを避けて製作された。 1960年代初期、ペネベイカーはフランス・パリに滞在中、シャイヨ宮のシネマテーク・フランセーズでヌーヴェルヴァーグの映画作家ジャン=リュック・ゴダールと出会い、映画を共同製作する話が持ちあがった。ゴダールは即座に準備することが可能で、リーコックとペネベイカーもすぐ撮影にとりかかるつもりであったが、結局頓挫してしまった。 数年後、ゴダールのオファーで再び話が持ちあがる。今回は、アメリカの公共テレビ局PBSも出資に合意した。ヴェトナム反戦運動や五月革命がパリで起きたように、カリフォルニア州でも起きるというゴダールの主張で、アメリカのバークレーやニューヨークで撮影が行われた。この映画は当初、ゴダールにより『One A.M.』というタイトルがつけられた。[1]。日本では、このタイトルを訳した『ワン・アメリカン・ムービー』(日本未公開)という名で知られている。ただし日本以外では、その後に改題した『One P.M.』ないしは『1PM』というタイトルで知られている。
ゴダールとの共同製作
主な作品
プライマリー Primary
ドント・ルック・バック Dont Look Back(1967年、撮影:1965年、出演:ボブ・ディラン)
モンタレー・ポップ フェスティバル'67 Monterey Pop(1968年、撮影:1967年)
Rock N Roll Music(1969年、出演:チャック・ベリー)
Keep On Rockin' (1969年、出演:リトル・リチャード)
ワン・アメリカン・ムービー One A.M.(1PM)(1971年、撮影:1968年、共同監督:ジャン=リュック・ゴダール)
スウィート・トロント Sweet Toronto(1971年、撮影:1969年)
Company(1971年)
ジギー・スターダスト Ziggy Stardust and the Spiders from Mars(1973年、主演:デヴィッド・ボウイ)
Town Bloody Hall(1979年)
DeLorean(1981年、主演:ジョン・デロリアン〔John DeLorean〕)
ジミ・ヘン&オーティス ライブ・アット・モンタレー Jimi Plays Monterey(1986年、主演:ジミ・ヘンドリックス)