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D'espairsRay
J-Rock Revolution 2007にて。
基本情報
出身地 日本
ジャンル
インダストリアル・ロック[1][2]
ニュー・メタル[1][2]
ポスト・グランジ[2]
オルタナティヴ・ロック[2]
ゴシック・ロック[1][2]
活動期間1999年 - 2011年
2014年
レーベルデリシャス・デリ・レコーズ
スパインファーム・レコード
岩神
事務所Sweet Child
Sword Records
メンバーHIZUMI(ボーカル)
Karyu(ギター)
ZERO(ベース)
TSUKASA(ドラムス)
D'espairsRay(ディスパーズレイ)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド[3]。バンド名の意味は絶望と光。略称はディスパ。1999年9月9日結成[1]。2011年6月15日解散。 バンドのテーマは「ダークと破壊」で、ヘヴィなサウンドにシンセサイザーを混ぜた重厚でインダストリアルなサウンドを特徴としている。 日本産ゴシック・ロックの雄と称されている[4]。結成当初から、独特な洋楽アプローチを感じさせるクオリティの高い楽曲と、観る者を圧倒するカリスマ性の強い激しいライヴパフォーマンスを行ってきた[4]。 作詞は基本的にHIZUMIが担当し、作曲は主にKaryu、TSUKASAが担当する。また、メジャーデビュー以降最初のシングルの「FINAL CALL」からはabingdon boys schoolの岸利至がプロデュースを担当している。 ファンのことはマニアと呼ばれ、リリースされる作品には「マニア向け」と記載されている。 2008年6月から、バンドロゴがD'ESPAIRSRAYと全て大文字表記へ変わったが、正式なバンド名はD'espairsRayのままで変更はない。
概要
メンバー
HIZUMI :Leadvocal(1976年3月2日、B型)山形県山形市出身。主に作詞担当。攻撃的なシャウトと、伸びやかなクリーンボイスを使い分ける。解散後、創作プロジェクトUMBRELLAを始動。岸利至(abingdon boys school etc.)とMASATO(defspiral)に声をかけ、NUL.を結成[5][6]。
Karyu :Guitar ,Programming ,Backing vocals(1978年12月7日、O型)山口県宇部市出身。バンドのメインコンポーザーであり、全楽曲の8割程度を作曲している。影響を受けたギタリストは瀧川一郎。解散後、Angeloに加入。
ZERO :Bass ,Backing vocals(1977年7月31日、O型)埼玉県熊谷市出身。解散後、THE MICRO HEAD 4N'Sを結成。
TSUKASA :Drums ,Percussion ,Programming(1977年3月6日、B型)山形県河北町出身。リーダー。Karyuとともに作曲担当(Reddish -DIVA version-、朧ノ月、MAZE、灰と雨、Cocoon 、KAMIKAZE、琥珀 等を作曲している)。解散後、THE MICRO HEAD 4N'Sを結成。2015年に最上川司名義でヴィジュアル系演歌歌手としてデビュー[7]。
来歴
1999年
9月9日、現4人のメンバーで東京にて結成。結成当時は自主制作で活動をしていたが、2003年には音楽事務所のSWEET CHILDと契約する。
2004年
4月26日、ミニアルバム『BORN』をリリースするタイミングで流通がユニバーサルミュージックになる。
10月には初渡欧し[4]、欧米でのライブ活動も展開させていく。
2006年
1月に1stアルバム『Coll:set』をヨーロッパでリリース。
欧米9か国のライブで総動員数1万5千人を記録し、海外での支持を獲得した[4]。
8月にはドイツで7万人を集めたヨーロッパ最大のメタルフェスティバル「Wacken Open Air」に唯一の日本人バンドとして参加[4]。
2007年
6月に2ndアルバム『MIRROR』をヨーロッパでリリース。
フィンランドでの2万人規模の2つのフェス「TUSKA OPEN AIR」、「RUISROCK」に出演[4]。
2008年
3月に2ndアルバム『MIRROR』をアメリカでリリース。
アメリカの34都市で開催されたツアー「Taste of Chaos 2008」に参加した[4]。ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタイン、アヴェンジド・セヴンフォールド、アトレイユ、ムックと共に参加し、メインステージに出場した。