D&G
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ドルチェ&ガッバーナ
Dolce & Gabbana

業種ファッション
設立1985年
本社 イタリアミラノ
製品衣類、レザーグッズ、オーダーメイド眼鏡宝飾品香水化粧品時計書籍CD自動車携帯電話
従業員数3,150人
ウェブサイト ⇒dolcegabbana.jp
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ミラノのデッラ・スピーガ通りの店舗 神戸旧居留地の店舗

ドルチェ&ガッバーナ (イタリア語発音: [?dolt?e e ?ab?ba?na])は、イタリアを代表する世界的なラグジュアリー(高級)ファッションブランドである[1]。イタリア人デザイナーのドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナによって創立、イタリアのミラノに本拠地を構える。2005年には収益が5億9,700万ユーロにまでなった[2]
目次

1 ブランド

1.1 初期

1.2 新ラインと新マーケット

1.3 世界的ブランドへ


2 ブランド設定

2.1 ドルチェ&ガッバーナ

2.2 D&G

2.3 その他のライン

2.4 インターネット


3 パートナーシップ

3.1 スポーツ

3.2 コラボレーション


4 広告キャンペーン

5 影響とスタイル

6 ドルチェ&ガッバーナ執筆の書籍

7 スペースおよび展示会場

8 展開元

9 論争

9.1 広告

9.2 香港店撮影拒否問題

9.3 ショー中止事件


10 脚注

11 関連項目

12 外部リンク

ブランド

日本語の公式の転写は「ドルチェ&ガッバーナ」[3]。「ドルガバ」とも略される[4]
初期

ドメニコ・ドルチェは、1958年8月13日、シチリア州ポリッツィ・ジェネローザ生まれ。父親は仕立て職人、母親は服地などを売っていた。ドルチェは6歳の時に初めて自分の服をデザインして仕立てた[5]。ステファノ・ガッバーナは、1962年11月14日、ミラノ 生まれ。両親はベネト出身で父親は印刷工、母親は洗濯婦。二人ともそれぞれ別のデザイン学校で学んだのち、同じ服飾デザイン事務所で働いた。2人が初めて接したのは電話でのこと。ドルチェがガッバーナの勤務するデザインスタジオに、職を求めて電話をした時のことである。やがてドルチェが勤務を開始すると、ガッバーナは彼の面倒をみるようになり、デザイン事務所でのデザインのプロセスからデザイン画の描き方まで何でも教えた。ドルチェの勤務開始後間もなくガッバーナは、18ヶ月間の兵役義務に服すことになるが、1982年の徴兵期間終了後、彼らは共同でデザインコンサルタント事務所を開設する[6]。二人はゲイ・カップルであることを公表している(2005年に解消)。

ところが共同経営であったにもかかわらず、彼らは常に別々に請求書を発行していた。しかし経理担当者の提案で、2人まとめて作成するようになる。その結果手続きが簡略化し、コストも下げることができた。それ以後2人はクライアントに、「ドルチェ・アンド・ガッバーナ」と連名の請求書を発行するようになり、やがてその名称が、彼らの手掛けるデザインビジネスの名称になる。[5]彼らがチームになって初のコレクションは、1985年10月。[6]他の5つのイタリア新ブランドとともに、ミラノ・コレクション(Milan Fashion Week)で発表された。2人はモデルを起用する資金がなく、友人に協力を依頼した。また身に付けさせるアクセサリーを調達する資金もなかったので、友人モデルたちは自分のアクセサリーを着けて衣装を引き立たせた。また彼らは、ドルチェが自宅から持ち出したベッドシーツを、ステージのカーテン代わりに使用した。[7]

2人のブランドの初コレクション名は「Real Women(真の女性)」。これは地元のアマチュア女性をモデルに起用したことが由来でもある。[6]彼らの初コレクションからの収入は非常に期待外れだったので、ガッバーナはセカンドコレクション用に注文した生地のオーダーのキャンセルを決断する。しかしドルチェの家族は、シチリアでクリスマスを過ごそうとドルチェの家族を訪ねた2人に、費用を負担することを申し入れた。その時点で生地会社はまだキャンセル通知を受け付ける前だったため、2人がミラノに戻る頃には、生地の準備がすでにできていた。[5]1986年にはセカンドコレクションを手掛け、同年彼らは初店舗をオープンした。[6]アメリカのジャーナリスト、マイケル・グロスは、彼らの第3回コレクションに関して1992年のインタビューでこう記している。「彼らは、わずか一握りのイタリアのファッション誌編集者にしか知られていない存在でした。わずかしかいない彼らのモデルたちは、ボロボロのスクリーンの裏で着替えていました。彼らはその時のコレクションを、コットンTシャツとしなやかなシルクの変革と呼んでいました」。このコレクションの作品は、1点につき7通りの着こなし方が可能で、ベルクロやスナップボタンを使って服の形を様々に変化させることができたのだ。[8]

彼らの第4回コレクションは、イタリアファッション市場に初めて大きな衝撃を投げかけた。このコレクションでドルチェは、彼の出身地シシリアのルーツを取り入れた。このキャンペーン広告写真は、写真家のフェルディナンド・シアナによって、シシリアで1940年代のイタリア映画の雰囲気を取り入れて白黒撮影された。彼らは引き続きイタリア映画の雰囲気を第5回コレクションでも取り入れ、イタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティの作風と彼の映画『山猫 』の雰囲気を真似た。[6]

これまでにデザインされた貴重な100点のドレスについて解説した本の中で、著者ハル・ルビンスタインは、彼らの第4回コレクションに出展した作品の1つを、「シシリアン・ドレス」と名付けた。これは当時の彼らのブランドの中で、これが最も代表的な作品と考えられたからである。ルビンスタインは2012年にこのように記している。「このシシリアン・ドレスはドルチェ&ガッバーナの核心ともいえる作品で、このブランドのスタイルの基本ともなるものです。このドレスは女性の下着からヒントを得ています。その下着とは、アンナ・マニャーニがこよなく愛したスリップであり、アニタ・エクバーグやソフィア・ローレンなどの女優たちを美しく飾ったシルエットだったのです。このドレスのストラップはまるでブラジャーのそれのようにぴったりと体にフィットしています。襟ぐりはまっすぐ横にカットされていて、その2箇所にストラップがついています。両端ではバストを優しく包み、中央でやさしくバストをプッシュアップしています。このスリップは、単にずれ落ちることがないだけでなく、ウエスト周辺では体をしっかりとサポート。だからといってきつく締め付けているわけではありません。そしてヒップの所で広がりヒップラインを強調してから軽く垂れ下がり、膝の辺りで裾が軽くすぼまって、歩くごとにヒップが揺れて見えるようにデザインされているのです」。[9]
新ラインと新マーケット

1987年、2人はニットウェアラインを発表、1989年にはランジェリーとビーチウェアのデザインを開始。1990年には初のメンズコレクションを発表する。[10]同年、彼らはデザインスタジオを初の正式オフィスとし、元来の衣類デザインに加えて、ドレスなどといった高額な作品も手掛けるようになった。[8]1990春夏レディースコレクションでは、ラファエロの神話画プリントを採用。また2人は、クリスタルをあしらったドレスで評判を築き始める。1991秋冬レディースコレクションでは、フィリグリー(金銀線細工)のメダルや派手な装飾をあしらったコルセットなど、アクセサリー素材をふんだんに使用した。1992秋冬レディースコレクションでは、クリスタル使いのボディースーツを発表しつつも1950年代の銀幕の世界のイメージを取り入れていた。[11]

1991年、彼らのメンズコレクションが、その年の最も斬新なメンズコレクションとしてウールマーク・プライズを受賞。[12] 1990年、カンヌ国際映画祭での『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』(原題:Truth or Dare、別題:In Bed With Madonna)のプレミア試写会で、宝石をふんだんにあしらったドルチェ&ガッバーナのコルセットとジャケットをマドンナが着用したのがきっかけで、国際的に高い評価を得る。その後1993年には2人はマドンナとパートナーを組み、1992年のアルバム『エロティカ』(Erotica)発売後の1993年、彼女の世界ツアー「ザ・ガーリー・ショー(原題:The Girlie Show)」では、1500着以上の衣装のデザインを手掛けた。[10]とあるインタビューでマドンナは衣装について次のように答えている。「彼らのデザインする服はセクシーなのにユーモアがあります。私みたいにね」。[8]1994年には、彼らのデザインスタジオのトレードマークであるダブルのジャケットが、モデルのクリスティー・ターリントンにちなんで「ターリントン(La Turlington)」と名付けられた。同年、彼らは若者を対象としたセカンドライン「D&G」を立ち上げる。1996年、D&Gのファッションショーは、新メディアへの実験的な移行を目的としてインターネットを介してのみ公開され、会場でのショーは行わなかった。同年、ドルチェ&ガッバーナは映画『ロミオ+ジュリエット』(原題:Romeo + Juliet)でも衣装デザインを担当した。[13]

映画界においては、ドルチェとガッバーナは、ジュゼッペ・トルナトーレ監督による1995年のイタリア映画 『明日を夢見て』(伊: L'uomo delle stelle、英: The Star Maker)にエキストラとして出演している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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