Credit_Suisse
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クレディ・スイス・グループAG
Credit Suisse Group AG

チューリッヒの本社
種類株式会社
本社所在地 スイス
チューリッヒ、パラデプラッツ8番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯47度22分11.7秒 東経8度32分19.1秒 / 北緯47.369917度 東経8.538639度 / 47.369917; 8.538639
設立1856年
業種銀行業
法人番号1700150005958
事業内容持株会社
代表者ティージャン・ティアム(英語版)
(最高経営責任者)
従業員数 約47,860人(2019年末現在)
決算期12月31日
外部リンク ⇒www.credit-suisse.com(英語)
jp.credit-suisse.com(日本語)
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Credit Suisse Group AG(クレディ・スイス・グループAG)はスイスに拠点を置く世界的な投資銀行および金融サービス企業である。チューリッヒに本社を置き、世界の主要な金融センターにオフィスを構え、投資銀行業務、プライベートバンキング、資産運用、シェアードサービスなどのサービスを提供する世界9大「バルジ・ブラケット」バンクの1つであり、厳格な銀行顧客の守秘義務と銀行機密の保持で知られている。金融安定理事会は、クレディ・スイスを世界的にシステム上重要な銀行とみなしている。クレディ・スイスは、米国の連邦準備制度理事会のプライマリー・ディーラーおよびフォレックス・カウンターパーティーでもある。

クレディ・スイスは、1856年にスイスの鉄道システムの開発資金を調達するために設立された。スイスの電力網とヨーロッパの鉄道システムの構築に貢献した融資を発行している。1900年代に入ると、中産階級の台頭や、同じスイスの銀行であるUBSジュリアス・ベアとの競争に対応するため、リテールバンキングに移行し始めた。クレディ・スイスは1978年にファースト・ボストンと提携し、1988年に同行の経営権を取得した。1990年から2000年にかけては、ヴィンタートゥール・グループ、スイス・フォルクスバンク、スイス・アメリカン・セキュリティーズ・インク(SASI)、バンク・ロイ (Bank Leu) といった機関投資家を買収している。クレディ・スイスの最大の機関投資家株主は、サウジ国立銀行(9.88%)、カタール投資庁とブラックロック(それぞれ約5%)、ドッジ・アンド・コックス、ノーゲス銀行、サウジ・オラヤングループなどである[1][2]

同社は世界金融危機の際、最も影響を受けなかった銀行の一つであったが、その後、投資事業の縮小、レイオフの実施、コスト削減を始めた。同行は、租税回避に関する複数の国際的な調査の中心となり、2008年から2012年にかけて有罪答弁と罰金26億米ドルの支払いに至った[3][4]。2021年、クレディ・スイスの運用資産(AuM)は1兆6,000億スイスフランを超えた[5]

2021年には、アルケゴス・キャピタル・マネジメントのボジション精算において巨額の損失を出した[6]。2023年3月にアメリカの銀行が続けて倒産すると銀行セクター全体の信用がゆらぎ、さらにクレディ・スイスを支えてきた投資家の一部が追加出資を拒否したことが報道されると、株価は一時は30%も下落した[7]。同年3月15日、スイス国立銀行がクレディ・スイスの資金支援を行うと表明したが事態は沈静化せす[8]、スイス当局の介入によりUBSが2023年3月19日にクレディ・スイスを救済のため破格の32億5,000万ドルで買収することとなった[9][10]。同日、スイスの金融監督機関、連邦金融市場監督機構(FINMA)は、クレディ・スイスの発行したAT1債[注釈 1]170億ドル(約2兆3千億円)相当を無価値化する決定を下し、世界的な物議と混乱をもたらした。同年6月12日、UBSはクレディ・スイスの買収手続きが完了したことを発表した[11]
沿革

※1988年のファースト・ボストン買収まで、クレディ・スイス史は左列、ファースト・ボストン史は右列。

1856年 - クレディ・スイスがチューリッヒで設立。

1869年 - チューリッヒ保険の原点、スイス運送保険会社の設立を主導した[12]

1910年前後 - AEGドイツ銀行・ベルリン商事 (Berliner Handels-Gesellschaft) と合弁の電力事業銀行(Bank fur elektrische Unternehmungen)を設立[13]

1940年 - 初の国外支店をニューヨークに設置。

1944年 - バランスシートの1/3がスイス連邦債となる。

1967年 - スイスの貴金属精錬会社 (Valcambi) を買収。

1971年 - クリフォード・アーヴィング、エディス・アービング夫妻の訴訟事件をめぐり、マグロウヒル社の訴えにより裁判所より口座情報の開示を求められる[14]

1977年 - クレディ・スイス銀行東京支店を設置。スイス国内ではイタリアコモで国境を接するキアッソ (Chiasso) の支店で、店長エルンスト・クールマイヤーがイタリア人顧客と通じ、巨額の保証をつけリヒテンシュタインの金融専門会社テクソン(1861年創業)へ融資[注釈 2]。これをテクソンがイタリア系の企業群に転貸し焦げつかせた[15]。すぐにスイス国立銀行などが30億フランをベイルアウト。しかしかえって信用不安を煽りスイスフランは下落した。


1932年 - チェース銀行とファースト・ナショナル・バンク・オブ・ボストンがグラス・スティーガル法を適用され、投資部門のファースト・ボストン・コーポレーションを独立させた。本体はバンクボストンと称した。3年後にSCE (Southern California Edison) へ巨額融資。

1946年 - メロン・フィナンシャルの子会社メロン証券を吸収。承継した事業と顧客がファースト・ボストンにオファーをもたらした。世界銀行イドロ・ケベック仲介の公債発行と、ガルフ・オイルの株引受である。

1959年 - ファースト・ボストン・コーポレーションが日本戦後初の外債を引受ける。

1970年 - ボストンのホワイト・ウェルド商会 (White Weld & Co.) と提携しユーロ債発行市場を牽引してきた結果、バルジ・ブラケットに数えられる。モルガン・グレンフェル (Morgan Grenfell)、クラインワート、パリバ、ソジェンなどと英仏海峡トンネルのコンソーシアムに参加[16]

1978年 - ホワイト・ウェルドがメリルリンチに買収されてしまい、代わりにクレディ・スイスと提携するようになった。JPモルガンとともにユーロ債取引をリード。


1987年 - ブラックマンデー

1988年 - 米大手投資銀行ザ・ファースト・ボストン・コーポレーションを買収(#世界での事業)。ブラックロック創業。

1989年 - ジャンク債市場崩壊。マイケル・ミルケンが起訴される。

1990年以降 - 傘下においた米証券会社BEAアソシエーツと公式に提携。

1997年 - 200家族で有名なオタンゲル銀行(フランス語版、英語版)のフランス事業を買収。バークレイズのBZW (Barclays de Zoete Wedd) 市場調査部門に参加したり、ヴィンタートゥール保険 (Winterthur Insurance) を95億ドルほどで買収したりした[17]

1998年 - ロングターム・キャピタル・マネジメントの救済融資に参加。

1999年 - フリートバンクがバンクボストンを買収してフリート・ボストンとなる。


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