次のモデルCray-1S(1979年)は、クロック周波数が若干上がって12.0nsとなり、メインメモリは100万/200万/400万ワードである。主記憶の大容量化は、25nsのアクセス時間で動作する4096ビットのバイポーラRAM集積回路によって実現できた[6]。データゼネラルのマシンは独自の16ビットマシン(80MIPS)に置き換えられた。I/Oシステムはメインのマシンとは分離され、6MB/sの制御チャネルと100MB/sの高速データ転送チャネルで接続された。この分離によって1Sの外観はCray-1Aをふたつに分けて少し離したように見えた。これによりI/Oシステムは必要に応じて拡張できるようになった。システムはいくつかの構成から選ぶことができた。S/500はI/O無しで0.5Mワードメモリであり、S/4400は4Mワードメモリで4台のI/Oプロセッサを持つ。 Cray-1S の次にはCray-1M(1982年)が登場した[7]。"M"は低価格なMOSベースのRAMをI/Oシステムに使用していることを表す。1Mは3つのバージョンがあり、メインメモリの容量だけで分けられている。M/1200は 1Mワード(8バンク)、M/2200 は2Mワード(16バンク)、M/4200は4Mワード(16バンク)である。いずれもI/Oプロセッサは2?4台であり、高速データチャネルがもうひとつ追加された。ユーザはMOSベースのRAMを8から32Mワード分追加してソリッドステートドライブとして使用することができた。 1978年、Cray-1リリース時の最初のソフトウェアは以下の3製品から構成されていた。 アメリカ合衆国エネルギー省が出資しているローレンス・リバモア国立研究所、ロスアラモス国立研究所、サンディア国立研究所、アメリカ国立科学財団のスーパーコンピュータセンター(高エネルギー物理学向け)は、ローレンス・リバモア国立研究所が開発した Cray Time Sharing System
Cray-1M
ソフトウェア
Cray Operating System (COS)。Cray-1とCray X-MPで使用されたオペレーティングシステム。1984年にUNIX系統のUNICOSに置き換えられた。
Cray Assembler Language (CAL)
Cray FORTRAN (CFT)。最初の自動ベクトル化FORTRANコンパイラ
NCARは独自のオペレーティングシステム NCAROS を開発した。
アメリカ国家安全保障局も独自のOSとプログラミング言語を開発したが、詳しいことは不明である。
クレイ・リサーチが提供したライブラリは、後のNetlibの一部となった。
他にもOSが開発されているが、プログラミング言語の多くはFORTRAN系である。ベル研究所では試験的にC言語コンパイラを開発した(ベクトル非対応)。このおかげで、クレイ・リサーチはETAシステムズより6カ月先行して Cray-2 向けUNIXを完成させることができ、ルーカスフィルムは初のCGI試験フィルム The Adventures of Andre and Wally B. の制作に Cray-1 用C言語を利用した。
アプリケーションの多くは機密(核開発用、暗号解読用など)あるいはプロプライエタリ(石油貯蔵施設のモデリングなど)である。大学の顧客が少なく、顧客間でアプリケーションソフトウェアを共有することがほとんどなかったためである。数少ない例外として、気象や気候に関するプログラムがある。 日本では1980年1月13日にCray-1の日本第1号機がセンチュリ リサーチ センタの東京本社に[8]、同年7月に第2号機が三菱総合研究所に設置された[9]。センチュリ リサーチ センタに設置されたCRAY1は300MBのディスク装置が4台接続され、同年4月1日よりサービス提供が開始された[10]。 Cray-1は以下のような場所で展示されている。
日本における導入実績
博物館
Bradbury Science Museum(ロスアラモス国立研究所内)
コンピュータ歴史博物館(マウンテンビュー)
DigiBarn Computer Museum
ドイツ博物館(ミュンヘン)
アメリカ大気研究センター(ボルダー)
サイエンス・ミュージアム(ロンドン)
国立航空宇宙博物館(ワシントンD.C.)[11]
Chippewa Falls Museum of Industry and Technology(ウィスコンシン州チッペワフォールズ)
スイス連邦工科大学ローザンヌ校(スイス、ローザンヌ)
(アメリカ国立暗号博物館内)
Cray-1の画像
回路基板群
タワー内部
冷却機構
筐体上部
回路基板のクローズアップ
Cray-1A の電源部
Cray-1(コンピュータ歴史博物館)