IBM PCには起動テスト (POST) や基本入出力システム (BIOS) のために8KBのROMが搭載されていたが、MacのROMは64KBとかなり大きく、OSのコアとなるコードを格納していた。オリジナルのMac ROMの大半は、Machintosh開発初期メンバーの1人であるアンディ・ハーツフェルドが開発した。天才的なプログラミングのトリックとハッキングにより最適化されたプログラムをアセンブリ言語で記述し、貴重なROMスペースを節約した[7]。彼はROM以外にも、カーネル、 Macintosh Toolbox、複数のデスクトップアクセサリ (DA) も開発した。フォルダやアプリケーションのアイコンは、後にマイクロソフトでWindows 3.0のアイコンをデザインしたスーザン・ケアがデザインした。ブルース・ホーンとスティーブ・キャップスはMacintosh Finderの他にも、たくさんのMacintoshシステムユーティリティを開発した。
Appleはこのマシンを積極的に売り込んだ。発売されるとニューズウィーク誌の1984年11月/12月号で39ページ全ての広告スペースを買い切った。洗練されているが高額な前期種のLisaを売り上げですぐに超えた。AppleはすぐにMacWorksを開発した。これはLisa用のMacintoshエミュレーターで、Macintosh XLとして販売されて開発が終了するまでにSystem 3までのアプリケーションを使用できた。LisaのOSに含まれていた先進的な機能の多くはMachintoshのOSがSystem 7になるまで実現されなかった。 Mac OSの初期バージョンは、モトローラ68000系のMacintoshでのみ動作した。AppleはPowerPCハードウェアを搭載したコンピュータを開発し、OSもPowerPCに移植された。Mac OS 8.1は68000プロセッサ (68040) で動作する最後のバージョンだった。 PowerPC G3ベースのシステムより前は、システムのコア部分がマザーボード上の物理ROMに格納されていた。初代Machintoshに搭載されていたRAMはわずか128KBだけで、OSがこれを使い切ってしまわないようにすることがROMを実装した元々の目的だった。またテキストオンリーのコンソールやコマンドラインがなくてもグラフィカルユーザーインターフェイスだけで低レベルな操作ができるように設計されていた。ディスクドライブが見つからないなどのエラーが起動時に生じると、アイコン、ビットマップフォントのChicago、チャイム音、ビープ音などでユーザーに通知した。対照的にMS-DOS機やCP/M機では黒地の等幅フォントでメッセージが表示され、入力としてマウスではなくキーボードが求められた。このような優れた機能をハードに近い低レベルのレイヤーから利用するため、初期のMac OSはマザーボードに搭載されたROMに含まれるシステムソフトウェアに依存する形になっており、これはまたApple純正のコンピュータや、Appleの著作物であるROMを用いた正規の互換機のみでMac OSが動作することを保障するのにも役立った。 複数の互換機メーカーがMac OSを実行できるMacintosh互換機を数年にわたり開発した。1995年から1997年にAppleはMacintosh ROMをPower Computing、UMAX、モトローラなどの企業へライセンス供与した。これらのマシンでは通常はカスタム版のMac OSが動作した。スティーブ・ジョブズが1997年にAppleへ復帰すると互換ライセンスの提供は終了した。 Macintosh互換機のサポートはSystem 7.5.1で最初に発表され、オリジナルの起動アイコンであるHappy MacをもとにしたMac OSのロゴが初めて使われた。Mac OS 7.6からは名称をSystemからMac OSに変更した。この名称変更はOSがApple純正のMachintosh専用ではないことを示すために実施された[8]。 Macintoshが最初に採用したMachintosh File System (MFS) はサブフォルダのないフラットなファイルシステムだった。発売直後の1985年にはきちんとディレクトリに対応したHierarchical File System (HFS)に置き換えられた。両者には互換性があった。改良版であるHFS Plus(HFS+またはMac OS Extended)が1997年に発表されて1998年に提供された[9]。 DOS、Windows、Unixなどのほとんどのファイルシステムにはフォークが1つだけしかない。一方MFSやHFSにはファイルにフォークが2つある。データフォークには、ドキュメントのテキストや画像ファイルのビットマップなど、他のファイルシステムのファイル内容にあたる情報が含まれる。リソースフォークには、メニュー定義、グラフィック、サウンド、他のシステムのファイル形式に組み込まれるコードセグメントなど、構造化されたデータが含まれる。実行可能ファイルは空のデータフォークを持つリソースのみ、データファイルはリソースフォークのないデータフォークのみとなる場合がある。ワードプロセッサのファイルは、データフォークにテキストを、リソースフォークにスタイリング情報を含めることができるため、スタイリング情報を読めないアプリケーションでもテキストデータを読むことができる。 一方でこのようなフォークを使った仕組みは他のOSとのデータ共有に問題が生じた。Mac OSのファイルをMacintosh以外のOSにコピーすると、デフォルトではファイルからリソースフォークが失われる。大半のデータファイルは、ウィンドウのサイズや位置など欠落しても大きな支障がない情報しかリソースフォークに保存していないが、実行ファイルはリソースフォークが失われると動作しなくなる。BinHexやMacBinaryなどのエンコード処理により、ユーザーは複数のフォークを1つのデータにしたり、逆に1つのデータから複数のフォークに展開してMac OSで使えるようにしたりできた。 1986年のMacintosh Plusの登場から、1997年にMac OSに名称変更されるまで、Systemのアプリケーション群を日本語表示に対応させ、日本語フォントや日本語入力システム(当初はFEPであり、インプットメソッドではない)を同梱するなど日本市場向けに設計されたオペレーティングシステムを漢字Talk(かんじトーク)と呼称した[10]。 技術の進歩に伴いMac OSも様々な変化を遂げている。その系譜は概ねSystem 6までと、System 7、Mac OS 8およびMac OS 9の3つの時期に分かれる。
仕様
互換性
Macintosh互換機
ファイルシステム
歴史
Size:77 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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