Classic_Mac_OS
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初期のMacintoshはシングルタスクであったため、別のアプリケーションを使用するには一旦終了させなければならない。これは、搭載していたメモリが少なかったことに起因する。

デスクアクセサリは起動と終了の手間を省くための手段として用意された。わずかなメモリしか使わないため、使用中のアプリケーションとは別に起動しておくことができ、このころのMacintoshには欠かせないものだった。サードパーティーからは小物の位置づけであるにもかかわらず多機能なデスクアクセサリが多数開発された。Mac OSにあらかじめ搭載されていたデスクアクセサリもある。Mac OS 9まで残された「計算機」や「スクラップブック」がそうである。

デスクアクセサリを使用するためには、まず「Font/DA Mover」と呼ばれるユーティリティソフトウェアでシステムにインストールする。インストールしたデスクアクセサリはAppleメニューから起動できるようになる。

System 7でMacが疑似マルチタスクになるとデスクアクセサリは単なる一アプリケーションとなり、Font/DA Moverも姿を消した。Appleメニューはアプリケーションやファイルを起動するためのランチャーとなった。Mac OS 9まではデスクアクセサリのランチャーであったことの名残だということがうかがえる。
開発

ジェフ・ラスキンは1978年後半に普通の一般人をターゲットにした使いやすくて安いコンピュータを目標にMacintoshプロジェクトを立ち上げた。ラスキンは1979年9月にプロトタイプを開発できるエンジニアを探した。リサのチームに所属していたビル・アトキンソンは、その年の上旬に入社していたサービス技術者のバレル・スミスを紹介した。

AppleはMacintoshのコンセプトとして、ユーザーがオペレーティングシステムの存在をなるべく意識しなくても済むことを目指していた。他のOSではOSに対する知識がなければできないような基本的なタスクを、Macintoshではマウスとアイコンの操作により実現できた。MS-DOSなどの当時のOSはテキスト入力形式のコマンドラインインターフェイスを採用しており、これとは一線を画していた。

1981年1月にスティーブジョブズがMachintoshプロジェクトを引き継いだ。LisaとMachintoshのプロジェクトが始まってから3か月後の1979年12月に、ジョブズとAppleのエンジニアたちはXeroxのパロアルト研究所を訪問した。パロアルト研究所で斬新なGUI技術を開発しているとの話をラスキンらパロアルト研究所の元研究者たちから聞いたジョブズは、Appleの株を提供する見返りとして、Xerox Altoの実物と、Smalltalkの開発環境を視察する約束を取り付けた[5]。商品化されたLisaやMacintoshはXerox Altoのコンセプトをベースにしているが、メニューバー、プルダウンメニュー、ドラッグアンドドロップ、ドラッグによるウィンドウサイズ変更などの直感的な操作など、グラフィカルユーザーインターフェイスの要素の大半はAppleが独自に開発した[6]

IBM PCには起動テスト (POST) や基本入出力システム (BIOS) のために8KBのROMが搭載されていたが、MacのROMは64KBとかなり大きく、OSのコアとなるコードを格納していた。オリジナルのMac ROMの大半は、Machintosh開発初期メンバーの1人であるアンディ・ハーツフェルドが開発した。天才的なプログラミングのトリックとハッキングにより最適化されたプログラムをアセンブリ言語で記述し、貴重なROMスペースを節約した[7]。彼はROM以外にも、カーネル、 Macintosh Toolbox、複数のデスクトップアクセサリ (DA) も開発した。フォルダアプリケーションアイコンは、後にマイクロソフトWindows 3.0のアイコンをデザインしたスーザン・ケアがデザインした。ブルース・ホーンとスティーブ・キャップスMacintosh Finderの他にも、たくさんのMacintoshシステムユーティリティを開発した。

Appleはこのマシンを積極的に売り込んだ。発売されるとニューズウィーク誌の1984年11月/12月号で39ページ全ての広告スペースを買い切った。洗練されているが高額な前期種のLisaを売り上げですぐに超えた。AppleはすぐにMacWorksを開発した。これはLisa用のMacintoshエミュレーターで、Macintosh XLとして販売されて開発が終了するまでにSystem 3までのアプリケーションを使用できた。LisaのOSに含まれていた先進的な機能の多くはMachintoshのOSがSystem 7になるまで実現されなかった。
仕様
互換性

Mac OSの初期バージョンは、モトローラ68000系のMacintoshでのみ動作した。AppleはPowerPCハードウェアを搭載したコンピュータを開発し、OSもPowerPCに移植された。Mac OS 8.1は68000プロセッサ (68040) で動作する最後のバージョンだった。

PowerPC G3ベースのシステムより前は、システムのコア部分がマザーボード上の物理ROMに格納されていた。初代Machintoshに搭載されていたRAMはわずか128KBだけで、OSがこれを使い切ってしまわないようにすることがROMを実装した元々の目的だった。またテキストオンリーのコンソールやコマンドラインがなくてもグラフィカルユーザーインターフェイスだけで低レベルな操作ができるように設計されていた。ディスクドライブが見つからないなどのエラーが起動時に生じると、アイコン、ビットマップフォントのChicago、チャイム音、ビープ音などでユーザーに通知した。対照的にMS-DOS機CP/M機では黒地の等幅フォントでメッセージが表示され、入力としてマウスではなくキーボードが求められた。このような優れた機能をハードに近い低レベルのレイヤーから利用するため、初期のMac OSはマザーボードに搭載されたROMに含まれるシステムソフトウェアに依存する形になっており、これはまたApple純正のコンピュータや、Appleの著作物であるROMを用いた正規の互換機のみでMac OSが動作することを保障するのにも役立った。
Macintosh互換機

複数の互換機メーカーがMac OSを実行できるMacintosh互換機を数年にわたり開発した。1995年から1997年にAppleはMacintosh ROMをPower Computing、UMAXモトローラなどの企業へライセンス供与した。これらのマシンでは通常はカスタム版のMac OSが動作した。スティーブ・ジョブズが1997年にAppleへ復帰すると互換ライセンスの提供は終了した。

Macintosh互換機のサポートはSystem 7.5.1で最初に発表され、オリジナルの起動アイコンであるHappy MacをもとにしたMac OSのロゴが初めて使われた。Mac OS 7.6からは名称をSystemからMac OSに変更した。この名称変更はOSがApple純正のMachintosh専用ではないことを示すために実施された[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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