内容については1986年に忌野の1枚目のソロ・アルバム『RAZOR SHARP』のレコーディングでイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズと出会い[注 4]、彼らをはじめ英国のミュージシャンが政治や社会情勢に対してダイレクトなメッセージを歌う姿勢に刺激を受け、忌野自身も育ての母から生みの母の戦争体験を知らされたことが重なって決まったものだった[8]。
忌野は1987年にコンサートなどでボブ・ディランの「風に吹かれて」を日本語で歌っている。また、それを気に入ったレコード会社の宣伝部の主任に洋楽を日本語でカバーしたテープを自宅で録音して送っていた。入っていた曲はこのアルバムでカバーされた曲であり、このテープがきっかけで『COVERS』の構想へと発展した[8]。
忌野は「ラヴ・ミー・テンダー」の訳詞について「チャボ(仲井戸麗市)にはブラックな感じで受けていた」と述懐している。実際仲井戸は後述のラストデイズ「忌野清志郎×太田光」で「RCサクセションとしても戸惑った」と当時を振り返る発言をしている[7]。もっとも、忌野は以前から原発に対する問題意識は持っており、RCの前作『MARVY』に、核問題を隠喩した「SHELTER OF LOVE(ツル・ツル)」という曲を収録している。
また、全部の曲が時事ネタ・プロテストソングではなく、原曲のイメージを大事にしたものから、言葉遊びそのものの「バラバラ」まで、バラエティに富んだ内容となっており、当初本人たちは「素直に楽しめる面白い作品になった」と感じていたという。
「シークレット・エージェント・マン」は、金賢姫と大韓航空機爆破事件をテーマにした、ある意味「ラヴ・ミー・テンダー」や「サマータイム・ブルース」以上に危ない日本語詞である。(同曲中には、金賢姫の記者会見での本物の音声が使用されているが、この件に関しては事前に外務省の了承を得ている。)
ちなみに、三浦友和は「ドック・オブ・ザ・ベイ」の訳詞を勝手に考えてきたが採用されなかった。 RCは、『カバーズ』発売中止に対する怒りを込めたライヴ盤『コブラの悩み』を、1988年(昭和63年)12月16日に発表。また、忌野によく似た人物が率いる覆面バンド、ザ・タイマーズの『THE TIMERS』(1989年(平成元年)10月11日発表)には、反核をテーマにした「LONG TIME AGO」が収録されている。何故か、これら2枚のアルバムは問題なく東芝EMIから発売された。また、ザ・タイマーズは本件に対する皮肉が込められた「原発賛成音頭」も発表しているが、スタジオ音源としてはアルバムに収録されていない(2016年発売の『THE TIMERS スペシャル・エディション』のDVDにライブ映像として収録された)。 なお、ライブでは「君はLOVE ME TENDERを聴いたか?」という一連の騒動に対するアンサーソングを披露している。内容の詳細はRCサクセションの項を参照。 忌野の死去から2年後の2011年(平成23年)3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う福島第一原子力発電所事故の際には、原子力発電所批判を題材としている本アルバムの収録曲「サマータイム・ブルース」がインターネット上で注目を集め[1][9]、ラジオ番組へのリクエストが数多く寄せられたほか[9]、Amazon.co.jpの音楽部門で上位にランクインするなど、20年以上前に発売されたCDアルバムとしては、異例の売り上げがあったという[1]。ピーター・バラカンは同年4月1日、自身が担当するInterFM「BARAKAN MORNING」で「キヨシローは声があまり好きじゃないが、多数のリクエストがあったのと、今こそその時ではないかと考えて『ラヴ・ミー・テンダー』を掛けようとしたら局に止められた」と明言。当日の番組を「ではまた来週。僕のクビがつながっていればの話だけど」と締めた。週が明けて5日、変わらず出演したが、今度はやはりリクエストの多かった『サマータイム・ブルース』に続いて『Tell it Like it is』『You Lie too Much』(直訳では“本当のことを言って” “あなたはウソばかり”)を放送した[10]。 当アルバムにゲストとして参加した桑田佳祐は福島第一原発事故発生後、自身のラジオ番組「やさしい夜遊び」で「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」について発売当時は原子力発電への関心がなく「イタいというか面倒くさい話をしているな」と思っていたことを明かし、その事への反省と後悔の弁も同時に述べた[11]。2011年6月25日放送の同番組「33回目のデビュー記念日に、勝手にひとりで生歌スペシャル」では「グッバイ・ワルツ」の歌詞を、原子力発電についての問題点や原発に対する世論の変化を問う内容に改作している。桑田は『ROCKIN'ON JAPAN』2015年4月号で「『原発反対、原発反対』ばっかりリピートするのが果たしてポップミュージックなのかどうかね。だからそのへんのバランスはやっぱり取るべきじゃないかな」といった持論を述べ、インタビュアーを務めた渋谷陽一が「自分の言葉のメッセージで社会を変えよう、政治に物申すっていうのではなくて、桑田佳祐も清志郎も、歌にした動機はひとつ、歌いたいからだったと思うんですよね」「『女とヤリたい』って歌いたい人もいるだろうし、『空はきれいだ』と歌いたい人もいるだろうし、でも桑田佳祐は『ピースとハイライト』[注 5]とどうしても歌いたかった。清志郎は『原発の発電所の中で眠りたい』[注 6]ってどうしても歌いたかった。で、問題はただひとつ、その歌がかっこいいかかっこ悪いか、それだけで」と述べると、桑田も「だからその、押しつけがましい事をしてるわけじゃないんでしょうね。清志郎さんも」「だから清志郎さんも意味合いだけじゃなくて衝動だったんだろうね。思想だけじゃなくてね。だから悲しみを叫びたかったのかもしれないし」と渋谷の意見に賛同した[14]。
その後