この項目では、日本のポップ・ユニットマフィアについて説明しています。コーサ・ノストラについては「COSA NOSTRA (曖昧さ回避)
」をご覧ください。「桜井鉄太郎」はこの項目へ転送されています。大蔵官僚については「桜井鉄太郎 (官僚)」をご覧ください。
COSA NOSTRA
出身地 日本
ジャンルJ-POP
渋谷系
活動期間1991年-
レーベルトイズファクトリー
(1994年 - 1998年)
エスエムイーレコーズ
(1999年 - 2000年)
HEAT WAVE
(2000年)
JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
(2003年)
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
(2005年)
BBMC
(2006年)
ジェネオン
(2007年)
something/anything? record
(2009年)
ステイミュージック
(2010年)
メンバー桜井鉄太郎(ボーカル・コーラス・プログラミング・キーボード・ギター)
長田定男(パーカッション・プログラミング・ハープ・コーラス)
旧メンバー小田玲子(ボーカル・コーラス)
鈴木桃子(ボーカル・コーラス)
太田要(ベース・ギター・キーボード・コーラス)
佐々木潤(ギター・キーボード・コーラス)
吉岡忍(ボーカル)
COSA NOSTRA(コーザ・ノストラ)は日本のポップユニット。渋谷系に属する。1991年結成。1994年トイズファクトリーからメジャー・デビュー。1999年エスエムイーレコーズへ移籍。現在は、インディーズで活動。 インディペンデント・プロデューサーの桜井鉄太郎が、南青山7丁目(高樹町)のレコーディング・スタジオ『ラント』を拠点とし、1986年頃、西麻布で隆盛を極めつつあったclub 「tool's bar」や「P-Picasso」などで活動していた多くのDJ達とのセッションをスタートさせたことが始まりである。
経歴
ヴォーカル・オーディションを開催し鈴木桃子、吉岡忍を獲得。彼女たちだけでなく他の多彩なゲストも迎えた『Medicated Soul』を1993年にSONY/WAVEレコードから発表。同年、CLUB QUATTROでワンマンライブを行う。
1994年、トイズファクトリーへ移籍、吉岡忍はソロへ転向し脱退。オーディションで選ばれた小田玲子が新加入。この頃、DJの長田定男、佐々木潤、ベースのKANAMEもメンバーとして定着し、グループとして本格的な活動を始める。
その後、アル・クーパーの「ジョリー」のカバーを発表。続いてリリースされたシングル「GIRL TALK」(森永カフェラッテのCMタイアップ曲)でJ-WAVEの年間チャート1位を獲得。さらに同曲収録のアルバム『SEVEN』は10万枚超の売上を記録した。
TOY'S FACTORYでは8枚のアルバムと7枚のシングルを残したあと、1998年に佐々木潤が脱退、1999年、エスエムイーレコーズへ移籍、5人のメンバー全員がプロデューサーとなり制作されたアルバム『Yipee!』をリリース、さらに3枚のシングルと『Yipee!』のリミックス盤を発表する。
2000年に入り日本コロムビア/HEAT WAVEからリリースされたシングル「You Make Feel Brand New」を最後にメンバーの鈴木桃子とKANAMEが脱退、桜井鉄太郎・長田定男・小田玲子の3人のメンバーになる。この3人体制で様々なゲストをフィーチャーしながら、2003年にJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントから『Arrival』、2005年にヤマハミュージックコミュニケーションズから『texture』、2006年にはBBMCからZERO時代のリマスター再編集盤『rawstripling』、2007年にはGENEONからり久々のオリジナルメンバー6人が集合した楽曲「IKO IKO」を含むアルバム『LIFE』をリリース。
2008年6月には中野サンプラザにて、久々のホールコンサートを13人の『COSA ALL STARS』とでもいうべきメンバーで行った。
2009年にAvex traxからTOY'S FACTORY時代の編集盤『reflection 2009』と『ZERO Years Cut Up Groovies』をリリース。
2010年、小田玲子が脱退、あらためて創立メンバーの桜井鉄太郎とosadasadao(長田定男)の二人で新生COSA NOSTRAを再始動。2010年7月にはラフォーレ原宿・グランバザールのTVCM曲「catch me」を手がけた。