COMPLEX_(音楽ユニット)
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COMPLEX
出身地
日本 東京都
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ロック[1]

テクノ[1]

デジタルロック[1]

活動期間

1988年 - 1990年

2011年

2024年

レーベル東芝EMI/EASTWORLD
公式サイトユニバーサルミュージック合同会社によるページ

メンバー

吉川晃司ボーカルギター

布袋寅泰(ギター・コーラス

COMPLEX(コンプレックス)は、シンガーソングライター吉川晃司と元BOOWYのギタリスト布袋寅泰の2人により結成された日本ロックユニット。通常は別々の活動をしているアーティスト同士が結成したグループであるため、スーパーグループにも位置づけされる。

発表した楽曲の権利関係は、全曲布袋の所属事務所の出版社「アイアールシートゥコーポレーション トイボックス・ゼロ」が管理している[2]
メンバー

名前生年月日担当
吉川晃司
(きっかわ こうじ) (1965-08-18) 1965年8月18日(58歳)ボーカル
作詞
作曲
ギター
布袋寅泰
(ほてい ともやす) (1962-02-01) 1962年2月1日(62歳)ギター
作曲
編曲
コーラス
作詞
ベース
キーボード

来歴
結成

2人は、布袋の所属していたバンドであるBOOWYの『JUST A HERO』に吉川が参加、また吉川の『MODERN TIME』『A-LA-BA・LA-M-BA』『GLAMOROUS JUMP』にギタリストとして布袋が参加したほか、一時期同じマンションに居住しており、夕飯のおかずを持ち寄ったり、プライベートでハワイ旅行へも行くなど、結成以前から公私に渡る交流があった[3]。当時、渡辺プロから独立したての吉川と、BOOWY解散後の布袋の、酒の席での一緒にやろうかと言う話から[3]、双方の事務所も乗り気となり結成へと至る。

吉川サイドはアイドルからの脱却とソロアーティストとしてのキャリアしかなくソングライターとしてはまだ未熟であったと同時に[3]、ロックバンドという活動形態に魅力を感じ、それを通して「自分のコンプレックスそのものである洋楽に匹敵するスケールの大きい音楽」を採算度外視で作るため[4]、布袋サイドはソロアルバムに対し、一部のBOOWYファンからの布袋のボーカルへの否定的な声や、ギタリストとしてギターインストの作品を求める声が挙がり、布袋本人もギタリスト、プロデューサーとして、未熟なボーカリストの自身を認められずにいたため[3]、双方の事務所はこのユニットの企画を積極的に進めていった。

1988年12月10日にCOMPLEX結成を公表[3]。翌1989年4月8日にシングル『BE MY BABY』でデビュー。活動時に発売された作品はすべてオリコンチャートで1位を獲得した[5]
活動休止

結成から2年後の1990年11月8日、この日開催の東京ドーム公演『ROMANTIC EXTRA』をもって無期限の活動休止となった。

休止の理由については、ビジネス面は一切眼中になく、本能のままに生音の楽曲を制作し、シンガーソングライターとして急成長する吉川と、楽曲の細部にまでわたるこだわりだけでなく、活動コンセプトや作品毎の世界観、ファッション・メイク、ライブでのアレンジや演出、プロモーションなどのビジネス面に至るまでを綿密に計画し、音楽活動をプレイヤー視点とプロデューサー視点の双方からトータルで捉える布袋との間に次第に溝が生まれ、最後は飲み屋での殴り合いにまで発展した[3]。当時、世界の音楽シーンで隆盛していたコンピュータを多分に導入した隙のないサウンド作りを考えていた布袋と、COMPLEXのツアーで一流ミュージシャンによる生演奏の中で唄うことの楽しさを知った吉川との間に音楽性の根本的な違いが生じたことも休止の要因と言われている[4]

活動休止公表後のインタビューでは吉川・布袋共にCOMPLEXを結成した当初から確執が生じていたことを認めており、布袋は『ROMANTIC 1990 TOUR』ファイナルとなった1990年7月25日の日本武道館公演後の打ち上げで吉川と「なんか一緒にやんなきゃよかったな」「一緒にやんなかったら、ずっと友達で毎晩飲んでたかもしんねえな」という会話を交わしたと述べている[6]。吉川は「組んでみたら最初から全然感覚から何から違っていて、最後のアルバムを出すときには“もう勝手にやって”という感じだった[3]」、「俺たちの場合、バランスが取れなかった。もっと違うやり方があったと思うけど、その時ってクソ意地になるとこがあった。だから二人とも居心地が悪かったと思う」と述懐している。

布袋も「COMPLEXをやった2年間はアーティストとしてはあまり前進してなかったと思う。だからすごい後悔してる部分もあるよね[6]」「商業的な成功以外、何も得るものがなかった[3]」と述べており、解散ライブ『ROMANTIC EXTRA』の翌日にはソロ復帰作となる『GUITARHYTHM II』の制作に向けて早々にロンドンへと渡英している[7]。当時の布袋の日記を掲載した著書『よい夢を、おやすみ。』には、渡英後にロンドンのオフィスで『ROMANTIC EXTRA』のビデオを観たものの「そこに映る自分がどことなく虚しくて最後まで観る気になれなかった」「解散したところで以前のような友情は戻らないだろう」と記している[7]

『ROMANTIC EXTRA』開催の経緯について吉川は「1回ドームでやりたかった。2ndアルバムのツアーが終わってから、最後のライブはやりたいって布袋君に言ったら、彼はもう「GUITARHYTHM」に入りたかったみたいで、やりたくないって言うわけ。「いいじゃん。君はドームやったけど、僕はやったことないんだよ。ドームはちょっとやりたいんだけどね」って言って。で、彼の会社の人も賛成だったみたいで、東京ドームでやろうっていう話になった」と明かしている[8]。同ライブについて吉川は、布袋との意識が同じではなかったため「バンドでありながら、知らんぷりしてライヴをやるってのは、初めての体験で。


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