CMパンク
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CMパンク
基本情報
本名フィリップ・ジャック・ブルックス
通称ベスト・イン・ザ・ワールド
声なき声の代弁者
ストレートエッジ・スーパースター
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 (1978-10-26) 1978年10月26日(45歳)
出身地イリノイ州シカゴ
所属WWE
身長185cm
体重101kg
リーチ185cm
階級ウェルター級
バックボーンプロレス
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CMパンク(CM Punk、1978年10月26日 - )は、アメリカ合衆国男性プロレスラー総合格闘家。本名はフィリップ・ブルックス (Phillip Jack Brooks)。イリノイ州シカゴ出身。

ストレート・エッジ(日本語字幕では「禁欲主義」と翻訳)の信奉者で、手の甲に×印を描くなど自身のギミックにも反映されている。日本のプロレスラーの得意技を混ぜ合わせたファイトスタイルが特徴。
来歴
2006年以前NWA参戦時(左)

バックヤードレスリングでのデビュー間もない20歳過ぎの頃に、急遽「Chick Magnets」というタッグチームに参加することになるが、その頭文字を組み合わせたリングネームを現在まで使い続けている。インディー団体(ROHIWAミッドサウス等)で活躍後、トライアルとして、「ヒート」でのケン・ケネディーとの試合やダーク・マッチを経て、WWEとディベロップメンタル契約。バル・ビーナスとの試合は、スリリングなレスリング展開や、バルをあと一歩手前まで追い詰める等、ジョバーの枠でありながら異例なものを見せた。その後、OVWでOVW王座に着くなどの活躍の後、2006年8月1日、ECWのTVショーでデビューする。

番組内でムエタイとブラジリアン柔術の経験者というギミックで紹介され、インディーでも名を知られていたため注目された。デビュー戦でジャスティン・クレディブルと対戦し勝利。その後シャノン・ムーアマイク・ノックスと抗争。徐々に実績を積んでいく。

同年、サバイバー・シリーズでDXチームの5人目として、PPV初参戦。その後、ディセンバー・トゥ・ディスメンバーに出場しECW王座に挑戦するが王座奪取とはならなかった。翌年1月9日のショーン・デバリ戦で敗れ、シングル戦での無敗記録がストップする。
2007年

ロイヤルランブルに出場するも敗退。その後、WrestleMania 23マネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに出場し、エッジらと鞄を争ったが、敗れる。9月1日のECWにてECW王座を獲得する。その後ジョン・モリソンザ・ミズ、復帰したチャボ・ゲレロらと抗争する。
2008年

2008年1月、対チャボ・ゲレロ戦にてエッジの協力(乱入)を受けたチャボにECW王座を奪われる。その後、レッスルマニア直前のノー・ウェイ・アウトにてチャボ・ゲレロの持つECW王座に挑戦するも敗退。翌週のECWでも同タイトルに挑むが、またしてもチャボの前に敗れ、これをきっかけにECW王座を諦める。WrestleMania XXIVで行われたマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチで優勝し、マネー・イン・ザ・バンクを獲得する。

6月23日に行われたドラフトでRAWに移籍する。翌週のRAWでバティスタの襲撃によりグロッキーになっていたエッジに対し鞄の権利を行使し、世界ヘビー級王者となる。

9月7日のアンフォーギヴェンチャンピオンシップ・スクランブル形式の世界ヘビー級王座戦に出場予定だったが、試合前のインタビュー中にランディ・オートンらの襲撃を受けてしまい、出場不可能になる(アングル上)。出場予定だったスクランブル戦には代わりにクリス・ジェリコが出場し、ジェリコが世界ヘビー級王座を取ってしまう。後日ジェリコとのスティールケージマッチで世界ヘビー級王座を賭け対戦するが敗れ、奪還することはできなかった。

その後はコフィ・キングストンとタッグを組み、オートンと共に襲撃したコーディ・ローデステッド・デビアス・ジュニアと抗争を重ね、ローデス・デビアス組から世界タッグ王座を奪取する。しかし12月に行われたハウス・ショージョン・モリソン&ザ・ミズ組に王座を奪われる。世界タッグ王座を失った後、コフィとタッグを解消し再びシングルに戻る。
2009年

シングルに戻った後、IC王者ウィリアム・リーガルと抗争を重ねる。最初に行われたIC王座戦はリーガルが反則負けになったが、GMのステファニー・マクマホンが再戦を決定し、再戦でリーガルが反則負けになってもタイトルが移動する試合形式に変更された。翌週にIC王座戦の再戦が行われたが、今度はパンクが反則を犯してしまう。この事態にまたしてもステファニーが現れ、次週に再々戦を行い、ノーDQ形式に変更してIC王座戦を行うことを発表した。再々戦は激しい試合になったが最後はパンクがGTSを決めてIC王座を獲得した。しかしレッスルマニアの2週間前にRAWで行われたJBLとの王座戦に敗れ、王座を失う。

WrestleMania XXVで行われたマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチで2年連続優勝。マネー・イン・ザ・バンクを獲得する。4月のドラフトにより、スマックダウンへ移籍する。移籍後、鞄の権利を行使しようとしているところにウマガの乱入に会う。それによりウマガと抗争を開始する。6月のエクストリーム・ルールズではサモアン・ストラップ・マッチでウマガに勝利しその後のエッジとジェフ・ハーディーのラダー戦後に乱入し、鞄の権利を行使する。新王者となったジェフに勝利し、新世界ヘビー級王者となる。以降ジェフとの抗争を繰り広げ徐々にヒール化していく。そして7月26日のナイト・オブ・チャンピオンズではジェフに敗れ王座を失う。ナイト・オブ・チャンピオンズでは放送終了後にジェフに握手を求めたが、翌週のスマックダウン放送においてジョン・モリソンと闘い王座防衛したジェフを襲ってヒールターン。その後もジェフの薬物使用歴やリスクの高いファイトを含めた素行を非難、彼を支持するファンにも説教をし始めるが、そのマイクアピールと矛盾する卑劣な暴行を背後からジェフに加え続けた。8月のサマースラムではTLC戦でジェフと世界王座を争い、ジェフから王座を奪う。しかしその直後ジェフの倒れていた場所に休場していたはずのジ・アンダーテイカーが出現、チョークスラムを浴び撃沈。テイカーとの抗争を開始する。9月にモントリオールで開催されたブレーキング・ポイントでのサブミッションマッチではモントリオール事件を模倣したような結末となり防衛に成功する。しかし10月のヘル・イン・ア・セルではテイカーに敗れ王座を失う。その後はルーク・ギャローズを禁欲主義信者として従えRトゥルースマット・ハーディーと抗争する。
2010年ストレート・エッジ・ソサエティ

年が明けてからも飲酒、喫煙、薬物を徹底して見下すマイクアピールを続ける。それに加えて観客の中から一人を選びリングに上げ、それらを断ち自分たちの仲間(禁欲主義社会、ストレート・エッジ・ソサエティ)入りすることを誓わせ、男女問わず丸刈りにするパフォーマンスを行うようになる。


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