CIMA_(プロレスラー)
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CIMA
2023.03.18 撮影
プロフィール
リングネームCIMA
シーマ・ノブナガ
大島 伸彦
本名大島 伸彦
ニックネームリングに咲いた悪の華
ドラゲーの絶対王者
身長174cm
体重85kg
誕生日 (1977-11-15) 1977年11月15日(46歳)
出身地 日本大阪府堺市北区
所属GLEAT
スポーツ歴陸上
野球
トレーナーウルティモ・ドラゴン
ドス・カラス
デビュー1997年5月11日
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CIMA(シーマ、本名:大島 伸彦(おおしま のぶひこ)、1977年11月15日 - )は、日本男性プロレスラー大阪府堺市北区出身。血液型O型。

「心臓バクバクするプロレス」をテーマに掲げている。闘龍門JAPANの旗揚げのメンバーであり、1期生でもあるDRAGON GATEでは中心選手として活躍していた。
経歴
闘龍門入門以前

中学生のころ、兄と見に行ったウルティモ・ドラゴンのプロレスを見て感動してプロレスラーを目指す。高校生の頃は部活にも入らずトレーニングとアルバイトの日々を送り、時にはアルバイトのために学校を休むこともあった。貯まったアルバイト代でメキシコへ渡り、ドス・カラスに師事する。電話で母の声を聞いてホームシックにかかり帰国するが、その後もプロレスのためにトレーニングとアルバイトを3年間続けた(この時、非公認ではあるが、プロのリングでの試合も経験)。

メキシコ修行と前後してアマチュアプロレス団体最大手のJWA関西に入団してアマチュアプロレスデビュー。覆面レスラー「ミッキー隼野Jr.」として当時から非凡な才能を発揮していた。ミッキー隼野はJWA関西にて一時代を築いたアマチュアプロレス界屈指の名選手で、Jr.として名を継いだことからも期待の逸材であったことが窺える。なお、現在所属しているDRAGON GATEの意向により、同じくJWA関西に所属していた吉野正人と同様にアマチュアプロレスのJWA関西で活動していたキャリアについては公式に公表されていない。
闘龍門

その後、ウルティモ・ドラゴンが立ち上げるというプロレススクール「闘龍門」の記事を見て一念発起。闘龍門の1期生に応募。1期生の枠4人のうち、すでに旗揚げ以前からウルティモ・ドラゴンと面識のあった黒木克昌(マグナムTOKYO)、藤井達樹(現:ドン・フジイ)、諏訪高広(現:SUWA)の3名が決定しており、最後の1人を決める際に、ウルティモ・ドラゴンが知人である三遊亭楽太郎の妻に依頼して、選ばれたのがCIMAである。

1997年5月11日、メキシコのアレナ・ナウカルパンにおける対黒木克昌戦で大島伸彦の名でデビュー[1]。その後、シーマ・ノブナガに改名。

ユニットのCRAZY-MAXを1期生のSUWA、フジイと共に結成(その後TARUが加入し、4人体制に)、最年少ながらリーダーとなった。日本上陸後、しばらくしてSHIIMAに、その後CIMAへ改名する。

2000年に開催された第3回「スーパーJカップ」では、決勝で獣神サンダー・ライガーに敗れて準優勝となったが、一躍日本のジュニア界にその名を知らしめた。

その後、M2Kイタリアン・コネクションと抗争を繰り返す。
DRAGON GATE

2004年、闘龍門から闘龍門ジャパンが独立しDRAGON GATEとなると、同団体でもエースとなった。闘龍門JAPAN時代に保有していたUDG王座は封印されることとなったが、代わりに新設されたオープン・ザ・ドリームゲート王座の初代王者に認定された。

また、C-MAX解散後は後継軍団といえるブラッドジェネレーションを結成。


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