CHARA
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この項目では、ミュージシャン女優について説明しています。漫画雑誌については「Chara (雑誌)」をご覧ください。

CHARA (Chara)

基本情報
生誕 (1968-01-13) 1968年1月13日(56歳)
出身地 日本埼玉県川口市
ジャンルJ-POPソウルR&Bオルタナティブ・ロック[1]
職業シンガーソングライター女優
担当楽器ボーカルギターピアノ
活動期間1991年 -
レーベルエピックレコードジャパン
(1991年 - 2003年)
ユニバーサルミュージック
(2006年 - 2011年、2018年 - 2021年)
BounDEE by SSNW
(2011年 - 2012年)
キューンミュージック
(2012年 - 2017年)
日本コロムビア
(2022年 - 予定)
共同作業者YEN TOWN BAND
Mean Machine
Chara+YUKI
Chara with THE 99 1/2
公式サイトcharaweb.net

Chara
YouTube
チャンネル

Chara

活動期間2020年 -
ジャンル音楽
登録者数約7.16万人
総再生回数約4280万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年7月5日時点。
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CHARA(Charaとも表記。ちゃら、1968年1月13日 - )は、日本ミュージシャン女優、音楽プロデューサー。

埼玉県川口市出身。日本コロムビア所属。血液型AB型
略歴
デビューまで

父、母、妹の4人家族の長女として育つ。4歳からピアノを始め[2]、小学校の頃から作曲を始める。9歳の時にCHARAというニックネームがつく(由来は人物の項参照)。

中学時代に『アメリカン・グラフィティ』や『Ain't No Mountain High Enough』を歌うダイアナ・ロスなどに影響される[3]。高校入学後、『アメリカン・グラフィティ』に登場するローラースケート姿のウェイトレスへの憧れから、ローラースケートを始める[4]。高校卒業後、ピアノ調律専門学校に入学するが、持っていたイメージとの相違が原因で1年で退学[5]

高校生の頃からアマチュアバンドの手伝いでキーボードを弾いていたが、曲作りには興味があったものの歌は勧められても歌わなかった。19歳の時に失恋をしたことがきっかけで曲が出来たため[注 1]、それを歌うために20歳の時にボーカルに転身。新宿RUIDOで初ステージを踏み、六本木のバーでローラースケートのウェイトレスとしてバイトをしながらライブ活動を続ける[6][7][8]
デビュー

デモテープがきっかけとなり、1991年9月シングル「Heaven」でEpic/Sony Records(現・エピックレコードジャパン)よりデビュー[9]1992年、セカンドアルバム『SOUL KISS』で第34回日本レコード大賞ポップス・ロック部門のアルバム・ニューアーティスト賞を受賞[10]1993年サントリーリザーブのシリーズCM「リザーブ友の会」、資生堂「PJラピス」のCMに出演。また、ファンクラブ「チャラクラ」もこの年に発足した[11]

1993年、気鋭の若手映画監督として注目を集めていた岩井俊二からのオファーを受け、映画『PiCNiC』(1996年公開)に出演を決める[12]

1996年岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』に主演。劇中に登場するバンド「YEN TOWN BAND」名義でのシングル「Swallowtail Butterfly ?あいのうた?」は初のオリコンシングルチャート1位を獲得。また、同作で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。1997年、アルバム『Junior Sweet』がオリコン初登場1位を獲得し、ミリオンセラーを記録。同年11月には土屋公平のプロジェクトによる「CHARA with THE 99 1/2」名義でシングルを発表。

1999年YUKIと「Chara+YUKI」を結成、シングルを発表。同年、長男を出産。2001年、「Mean Machine」にドラムとして参加し、シングル2枚とアルバム1枚を発表。
インディーズ活動期

2003年以降、エピックとの契約終了後はレコード会社には所属せず、インディーズでの活動となる。2005年にアルバム『something blue』を2000枚限定で発売したほか、ファンクラブ会員限定ライブ「チャラクラパーティー」を複数回開催。また、新居昭乃とのユニット、「cold sugar」(あきのちゃら)や「a quiet alertness」名義でのライブ活動も行う。
メジャー復帰 - YEN TOWN BAND、活動再開

2006年よりユニバーサルミュージックに移籍し、メジャーでの音楽活動を再開。2007年2月、約4年ぶりのメジャーでのオリジナル・アルバム(10th)『UNION』を発表、全国ツアーも開催した。

2008年2月、夫の浅野が主演を務めた映画「モンゴル」が第80回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ、授賞式が行われるロサンゼルスにて夫婦揃って会見を行い話題となった。同年4月より、音楽番組音楽ば?か』のMCを担当。同年9月、映画『蛇にピアス』で映画の主題歌を担当、原作者の金原ひとみと主題歌「きえる」の詞を共作した[13]

2011年9月、デビュー20周年を迎えた。

2012年、9年ぶりに古巣であるソニー系列のキューンミュージックへレーベル移籍。

2013年、200曲以上の楽曲から厳選したセルフカバー・アルバム『JEWEL』を発売。その後も、コンスタントに楽曲やツアーなどこなし、多くの評価を呼ぶ。

2014年、クロスカンパニー社のグローバル新ブランド「KOE」のブランドアンバサダーに愛娘SUMIREと共に抜擢され、初のCM親子共演を果たす。またそのイメージソングとして「Rainbow」「せつなくてごめんね」を書き下ろす[10]

2015年9月12日、YEN TOWN BANDが『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015』で約12年ぶりのライブを行う。12月2日には19年振りにシングル「アイノネ」をリリースし、合わせてアルバム『MONTAGE』のリマスター盤も発売。これを機に、CHARAとしての活動も活発化となり、定期的にTVやメディア等に出演を果たす。翌年には、KjDragon Ash)がゲスト参加をしたシングル「my town」の発売や、およそ20年振りとなるオリジナル・アルバム『diverse journey』を発売するなど定期的に活動を続けた。
デビュー25周年 - 現在

2016年9月、デビュー25周年を迎えた。デビュー日に当たる9月21日には25周年記念プロジェクトの環として、19年前に発売した最大のヒットアルバム『Junior Sweet』のリマスター盤と再現ツアーや、自身としては初の45曲を選曲したオールタイム・ベスト『Naked & Sweet』を立て続けにリリースした。また、22年前の1994年に開催されたツアー唯一の会場であった日本武道館公演の映像を蔵出しし、当時の公演日程だった11月11日だけの限定上映がなされた。

2017年7月19日、25周年の締めくくりとして、オリジナル・アルバム『Sympathy』を発売。同アルバムには、岸田繁くるり)・ケンモチヒデフミ(水曜日のカンパネラ)らが参加。この他、楽曲提供にも積極的に参加をしており、近年では新山詩織倖田來未といったアーティストにも全面プロデューサーとして関わっている。

2021年4月2日公開の映画『ゾッキ』(監督:竹中直人山田孝之齊藤工)にてキャリア初の音楽監督をつとめ、主題歌を息子HIMIと歌う。

2021年9月、デビュー30周年を迎えた。同月20日、LINE CUBE SHIBUYAでのデビュー30周年記念公演『Chara's Time Machine: 30th Anniversary Live』開催。日本コロムビアへのレーベル移籍を発表。

2021年秋冬シーズンのGUイメージキャストに登場した[14]

2021年11月6日、映画『スワロウテイル』公開 25周年を記念して、KURKKU FIELDSにてYEN TOWN BAND の1日限りのスペシャルライヴを開催。

2021年12月20日、デビューから30年の軌跡を辿る書籍『Chara’s Time Machine Book』発売。

2022年 オーケストラ公演「billboard classics Chara 30th ANNIVERSARY Premium Symphonic Concert 2022- Chara?s Time Machine -」を3月27日に兵庫県?芸術?化センター KOBELCO?ホールと、4月15日にBunkamuraオーチャードホールにて開催。
人物

CHARAというニックネームがついた9歳の頃の自分が「インナーチャイルド」として内に存在していて、そのおかげで音楽活動や愛する人達との生活ができると語っている[15]。また、CHARA自身を楽しませることのできるインナーチャイルドを「happy toyちゃん」(2007年)[16]、自分の中に存在する陽の部分を「キャロルちゃん」、陰の要素を持った女の子を「リリコちゃん」(2009年)と呼んでいる。キャロルとリリコは背中合わせで存在する同一人物で、顔がキャロルで心がリリコの時もあるとのこと。陰と陽のバランスを取ることが大事であると語っている[17]

ニックネームの由来は、当時発売された粗挽きソーセージの「あらびき」とcharaの旧姓の語感が似ていたために「粗挽き」と呼ばれるようになったことが始まりで、「チャラびき」に変化した後、学校の先生に「チャラ」と呼ばれそれが定着し今日に至っている[18]。2023年6月4日に公開した自身のInstagramを通じて、改めてCHARAの由来がチャラチャラしているからではないことを綴り、また、自身の本名が「美和(みわ)」であることを公表した[19]

東京都渋谷区にあるセレクトショップdual」で取り扱っているアリス・マッコール (Alice McCALL) の製品がお気に入りで、その中でもワンピースが大好きであると語っている[20]

背中に青い鳥、うなじにスミレの花の入れ墨を施している。青い鳥の入れ墨は、幼い頃から好きだった童話の青い鳥を基に、幸せや愛の象徴として彫ったとのこと[21]
私生活

1994年の春、岩井俊二監督の映画『PiCNiC』で共演した俳優浅野忠信と出会い、交際を始める。同年、日本武道館でのライブを2日後に控えた11月9日に妊娠が判明[22]なお、武道館公演の模様はお蔵入りとなってしまい、今まで映像化は実現しなかったが、23年の時を経て2016年11月11日に『1994.11.11.CHARA「Happy Toy Tour 」in 日本武道館』と題して1日限定で映画館にて上映された[23](この模様は5日後の11月16日に発売したベストアルバム『Naked & Sweet』の初回限定盤に付属のDVDにて初ソフト化となった)。1995年3月31日に入籍。婚姻届提出の後に渋谷の路上で指輪を交換したという[24]。同年7月4日に長女SUMIREを出産、1999年12月19日に長男佐藤緋美を出産[25]。以後、ベビーシッターを利用するなどして育児と芸能活動を両立していくこととなる[26]

2009年7月24日苗場スキー場にて開催のフジロックフェスティバルに出演(夫の浅野も別のステージでDJとして出演予定だったが雨天のため中止)[27]。翌25日、公式ウェブサイトにて浅野と協議離婚したことを連名で発表[28]、14年余りの結婚生活にピリオドを打った。離婚届は代理人によって25日午前0時過ぎに都内の区役所に提出された[29]。浅野は仕事のため多い時で年間7割ほど家を空ける年もあったこと、数ヶ月前から急に離婚に向けての話し合いが進展し別居を経て離婚に至ったこと、長女長男共にCHARAが親権を持つこと、慰謝料はないことなどを浅野の所属事務所が明かした[30][31]
音楽性

ソウルR&Bにルーツを持つ[12]

ウィスパーボイスやストロングボイスといった発声法を用いている[32]。また、2007年のNHKホールでのコンサートで自身の声が年月と共に変化していることに触れ、「声って成長する」と語った[33]

作詞においては、「うつす」などの同訓異字平仮名で歌詞に取り入れることで、複数の意味(ダブルミーニング)を持たせる手法を用いる[34]


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