CBS
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1950年:時代は徐々にラジオからテレビに移り変わっていったが、50年代後半まではまだラジオが経営主体であった。しかし、テレビがより発達していくに連れラジオのスター達はテレビに移行し始めた。同年、Burns & Allenが移動。55年に常に高視聴率だったJack Benny Showのジャック・ベニーが、57年に「Edger Bergen's Sunday Night Show」が終了した。


1956年:CBSにおいてラジオとテレビの形勢が逆転、テレビ時代の到来を告げた。


1960年:11月25日をもって昼間のレギュラー番組が終了。


1962年:9月30日、ゴールデンタイムのレギュラー番組が終了。


1972年:トークショーのパイオニア、アーサー・ゴッドフリーが退職。その後のCBSラジオは1時間ごとの報道番組、ドキュメンタリーやスポーツの実況、夜は「Mystery Theater」など比較的古いスタイルの番組を現在も続けてはいるが、どうしてもニュースに関連するような番組が多くなってしまっている。

テレビ

1939年:CBSは当時ライバル関係にあった
RCAに対抗するため1日1時間の実験的テレビ放送をニューヨーク市を中心に開始。続いてHytron Labratoriesを買収し、すぐにカラー放送を開始した。当時多くの技術特許の問題で複雑だった状況の中でRCAは連邦通信委員会に働きかけCBSとの差を開かせ一躍脚光を浴びた。DuMont社を始めとした放送局は同年に開催されたニューヨーク万博でテレビを大々的に公共化した。


1941年:7月1日連邦通信委員会は最初にRCAとニューヨークのNBC支局(WNBT)にテレビ放送を認可。同日、ニューヨークのCBS支局(WCBS)にも与えた。CBS-Hytronはカラー放送の認可を同委員会に申請したが、質の悪さで白黒放送と争えるほどの力はなく、委員会はこれを却下した。


1946年:第二次世界大戦中は事実上民放は機能していない状態で同年になってやっと元通りのプログラムに復帰した。CBSがまだこの余韻の消えないうちにRCAとDuMontは熾烈な支局開設争いを実施。
フランク・スタントンアイ・ラブ・ルーシー

1950年:NBCがテレビ業界で優勢となりCBSは新しい支局やスタジオの買収、建設に躍起になった。かつてのNBCの番組「Talent Raid」はから出た40人あまりのスターは現在CBSと契約していた。その中にはラジオからテレビに移行する番組「My Favorite Husband」の製作に乗り気ではないルシル・ボールもいた。同番組はルシルの実際の夫の生活を描写するものであったが映像が付くテレビとはその心境に差があった。会長ペイリーと社長のフランク・スタントンはわずかな希望を込めて、代わりに現在のシットコムの先駆けとなった「アイ・ラブ・ルーシー」を製作。同番組は彼女の夫デシ・アーナズも出演、ルシルの代表作にもなった。また、この頃、テレビはアメリカにおいて主要な娯楽、情報源に成長。CBSの成長率もラジオ全盛期のそれを上回った。また、同局は7?8の時間帯枠トップ10を設定しABCがCBSの放送局1位の座を奪い取った1970年中頃まで続けられた。70年代の1位からの転落の原因として「Smothers Brothers Comedy Hour」「All In The Family」など少し論争のある番組を制作したことと、会社がこの頃細分化されたことなどであった。


1960年:会長ペイリーは美術収集家でありニューヨーク近代美術館の後援者でもあった。CBSのオフィスに何かオリジナリティのあるものをという要求をされたことをうけ、同じ趣味を持っていたフランク・スタントンと共にシャレたデザインの物を使用することを決めた。1936年に買収したKNX Los Angeles西海岸本社をフランクは建築家ウィリアム・レスカーゼルに特徴的でモダンな放送局を設計してくれるよう依頼した。同じように、建築家エーロ・サーリネンにニューヨークのCBS本社のデザインを依頼した。スタントンはさまざまな場所に関わり、その中には「デスクの上に何が置かれているか?」などもあった。そして、現在のロゴである「The Unblinking Eye(瞬きしない目)」がウィリアム・ゴールデンによってデザインされた。CBS社の便箋には秘書がタイプライターで文字を打ち始める時の目安になるようにと小さな点がすでに印刷されているなど、さまざまな工夫を凝らした部分を持っていた。


1962年:1953年に初めてカラー放送を開始したのにもかかわらずRCAに先を越され、わずかな番組を除いてカラー放送はメジャーな存在ではなかった。62年にはNBCが多くのカラー番組を持っていたのにもかかわらずCBSは出遅れていた。この頃のCBSの代表的なカラー放送としては「The White House With First Lady Jackie Kennedy」があったが青の色が灰色などに比べ悪かった。


1966年:視聴者のカラー放送への強い要望を受け全ての番組をカラー放送に変更。


現在:CBSは204のVHF(超短波)とUHF(極超短波)を発信する局をアメリカ国内に持っており、現在最もアメリカで見られているテレビ局である。その視聴率を引っ張っているのはサスペンスドラマ「CSI:科学捜査班」やバラエティショー「サバイバー」などである。

その他CBS経営体制の変化

1965年:CBSは新たな投資の基盤として多角経営に乗り出した。レオ・フェンダーのフェンダーギター社を買収。フェンダーも健康上の理由から自身が同社を経営していくことが困難であったため買収に同意。しかし、65年から1985年の間にかけて同社のギターアンプの質があからさまに低下し、怒ったフェンダーギターのファン達は1985年にFMIC(Fender Music Instrument Company)を設立した。他の多角経営の試みとしては球団ニューヨーク・ヤンキースの買収が一番大きなもので、出版社、地図製作会社、おもちゃ工場など。また、映画制作会社Cinema Center Filmsの設立で映画業界にも進出を試みるも1972年には倒産し計画は頓挫した。同映画会社は現在はパラマウント・ピクチャーズの一部になっており家庭用DVDの発売やCBSのテレビ映画の製作などを行っている。


1971年:Memorex社との合弁事業で世界初のノンリニア編集機CMX-600を開発するも先進的過ぎたその性能や当時の値段で250,000ドルという値段から6台しか製造されなかった。PDP-11ミニコンピュータがベースになっており、RAMを内蔵することによってランダムアクセス性を確保しノンリニア編集を可能としていた。NTSCPALの両方に対応可であった。


1978年:ホームビデオ業界に進出。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーと手を組みMGM/CBSホームビデオ(英語版)という会社を立ち上げるも1983年にMGMと契約を解消。その後20世紀フォックス(現:20世紀スタジオ)とCBS/FOXビデオ(英語版)(現:CBSホームエンターテインメント(英語版)、現:20世紀スタジオ ホーム エンターテイメント)を設立。82年のトライスター ピクチャーズの設立でCBSはトライスターの作る映画をCBS/FOXで売るという、二つの仕事を持つことになった。


1982年:CBSはコロンビア ピクチャーズHBOと共に新たなハリウッド進出を計画。現在のトライスター ピクチャーズになった。また、この時テレビゲーム市場にも短期間ながら参入。すでに買収していたGabriel Toys社にゲームを作らせゲームセンターや家庭用ゲーム機Atari 2600用のゲームなどを販売した(後にCBSはGabriel Toys社をView-Master社に売却)。


1986年:会長ウィリアム・S・ペイリー(英語版)は自身が高齢になったこともあり引退を考え、その後継者を探していた。功績のあるビジネスマンを求めることを発表。新しく会長の座に着いたのはペイリーの信頼を最も得たローレンス・ティッシであった。


1988年:ティッシは社長就任後にビジネスマンとしての力量を発揮したが、社員にとって良い物ではなく、多くの社員はリストラなどを受ける結果となった。また、1938年の買収以来CBSの主要部門であったコロムビア・レコード(CBSレコーズ・グループ)の売却を検討し、日本市場で合弁事業(CBS・ソニーレコード)を行っていたソニーに売却された。同社は「ソニー・ミュージック」と名を変え、2004年にはBMGとの合併で「ソニーBMG(SONY BMG Music Entertainment)」となった(なお、日本を除いた市場では現在も「コロムビア・レコード」の名称を使用している)。


1990年:ケーブルテレビの普及と、高い番組制作費により経営状況は悪化。視聴率はまずまずであったが、堕落しているイメージが付きまとった。ティッシは影響力を失い、新たなオーナーを探すこととなった。


1991年:日本の東京放送(現:TBSホールディングス)との間でニュース報道における独占包括契約を締結[1]


1995年:ウェスティングハウス・エレクトリック社が5億4000万ドルで買収。同社の民放参入は1920年代以来で、メージャーメディアに成ろうという会社の目標からの買収であった。


1997年:150以上のラジオステーションを持つInfiniti Broadcasting Corporation(現在のCBS Radio)を4億9000万ドルで買収。また、2つのケーブルテレビ会社、TNN(現在のSpike TV)とCMT(Country Music Television)も買収。正式名称をColumbia Broadcasting CenterからCBS Corporationに変更、本社をペンシルベニア州ピッツバーグからニューヨーク市へと移動した。そして、多角事業を展開していた頃の子会社の中でテレビに関係のない会社を全て売却した。


1998年:American Radio System Corporationを2億6000万ドルで買収したことにより新たに90のラジオステーションを獲得。


1999年:King World Productionsを2億5000万ドルで買収。同社は人気番組「ウィール・オブ・フォーチュン」「The Oprah Winfrey Show」などを製作する番組販売会社。
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