CBC放送会館火災
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1946年(昭和21年)1月22日 - 放送局開設の免許申請[5]

1949年(昭和24年)12月15日 - 中部日本新聞社内に創立事務局設置[5]

1950年(昭和25年)12月15日 - 中部日本放送株式会社、設立。

1951年(昭和26年)

4月21日 - 電波監理委員会より、ラジオ放送の予備免許が交付される[注釈 4]

8月17日 - 午後10時40分、試験電波発射。

8月27日 - ラジオ放送の本免許が交付される(JOAR、1090kc)。

9月1日 - 午前6時30分、日本初の民間放送としてラジオの本放送を開始[注釈 5]宇井昇アナウンサーによる「JOAR、1090キロサイクルでお送りいたします。皆さん、おはようございます。昭和26年9月1日、わが国で初めての民間放送、中部日本放送は、ただいま、放送を開始いたしました」[6] の第一声で民間放送の幕を開けた。詳細は「CBCラジオ#日本初の民間放送開始当日の番組」を参照

社屋:現在のCBC放送センターの場所で送信所の様な社屋だった。正面玄関の壁に「1090KC JOAR」の、正面玄関庇には「CBC」の、巨大な点灯式看板が付いていて、夜間は灯が入っていた(KC:キロサイクルは、周波数単位・現在のkHz:キロヘルツである)。社屋の写真は社史「東海の虹 中部日本放送10年史」と「中部日本放送50年のあゆみ」(愛知県図書館等で所蔵中)で確認出来る。

送信所:愛知郡鳴海町伝治山(現:名古屋市緑区鳴海町伝治山=現在、県営伝治山住宅などがある。「伝治山」は山ではなく小字(北緯35度5分45.9秒 東経136度57分27秒))



1952年(昭和27年)

1月 - 民間放送初の大相撲中継(東京開催の初場所)を放送[注釈 6]。ラジオ東京(KR。現:TBSラジオ)の制作により、KR・CBC・新日本放送(NJB。現:毎日放送)・ラジオ九州(RKB。現:RKB毎日放送)の4局ネットで放送された[注釈 6]。当時KRにスポーツ実況の出来るアナウンサーがいなかったため、NJBのアナウンサーとともに、CBCのアナウンサーも実況を担当した[注釈 7]

7月3日 - テレビ放送局開設の免許申請[5]


1953年(昭和28年)

3月2日 - 松下電器産業(現:パナソニック)提供平日早朝の長寿ラジオ番組『歌のない歌謡曲』を新日本放送からネット受けして放送開始。

8月 - 本局周波数を1070kcに周波数変更。


1954年(昭和29年)

3月15日 - 豊橋放送局=ラジオ局=開局(1485 kHz<1978年以降> 100W、スタジオ併設、かつてJOAEのコールサインを所有)。

12月3日 - テレビ放送に予備免許交付[5]


1955年(昭和30年)10月28日 - CBC放送会館建設着工[5]

1956年(昭和31年)

10月30日 - テレビ放送に本免許交付[5]

11月15日 - CBC放送会館竣工[5]

11月30日 - 本社社屋であるCBC放送会館落成。

12月1日(昭和32年)- 名古屋初の民間テレビ局としてテレビ放送を開始(JOAR-TV、5ch)。日本テレビラジオ東京とのクロスネットでスタート。


1958年(昭和33年)6月 - ラジオ東京(KRT、現在のTBSテレビ)、北海道放送(HBC)、大阪テレビ放送(OTV、現在の朝日放送テレビ)、ラジオ九州(RKB、現在のRKB毎日放送)とテレビニュースネットワークに関する協定を締結。

1959年(昭和34年)

8月1日 - JNN協定締結。

9月1日 - ラジオの深夜放送とテレビの早朝放送開始[5]

10月 - ラジオ本局周波数を1030kcに周波数変更。


1960年(昭和35年)

2月1日 - KRT・ABC・RKBと四社連盟を結成。開局以来放送されていた日本テレビ系列番組の殆どを打ち切る(同月25日[5]、HBCが加わり五社連盟となりこれがJNNの基本協定となる)。

4月 - ラジオ本局周波数を1070kcに変更。

6月 - 全日本アマプロゴルフ選手権大会(現:『中日クラウンズ』)を開催。

10月 - 名古屋証券取引所へ株式上場。


1962年(昭和37年)2月 - ラジオ本局周波数を1050kcに変更。

1964年(昭和39年)

7月7日 - カラーテレビ放送の免許を申請。翌月の8月28日に同放送の本免許を取得。

9月1日 - カラーテレビ本放送開始。[注釈 8][7]


1965年(昭和40年)

3月29日 - 松坂屋が提供し「0時半です松坂屋ですカトレヤミュージックです」の冒頭アナウンスで知られた、2008年(平成20年)まで40年に渡って続いた長寿ラジオ音楽番組『カトレヤミュージック』が放送開始。初代パーソナリティーは日比英一アナウンサーほか。のち、岸佳弘、荒川戦一、島津靖雄、小堀勝啓多田しげお中西直輝森合康行各アナウンサーなど歴代、CBCのアナウンサーが司会を担当。2014年(平成26年)4月27日、6年1か月ぶりに『松坂屋 presents 帰ってきたカトレヤミュージック』として復活した。パーソナリティは小堀勝啓渡辺美香両アナウンサーで、ゲストがチェリッシュ。生放送場所はレギュラー放送と同じ「松坂屋南館オルガン広場」で、当日12:30 - 13:30に公開生放送された[注釈 9]

5月2日 - 同日結成のラジオネットワーク・JRNに加盟。


1966年(昭和41年)

4月17日 - 視聴者参加型テレビ番組『どんぐり音楽会』放送開始。初代司会は柳有。後に砂川啓介の司会で同局を代表する人気番組となる。

6月30日 - 7月2日 - ザ・ビートルズ日本公演を主催。7月1日の昼の公演の模様は日本テレビ系列で放送されたが、CBCは同公演の主催者ということもあり東海3県ではCBCで放送された[8][9](詳しくは、「ザ・ビートルズ日本公演」の項を参照のこと)。
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