CBC放送会館火災
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この項目では、日本愛知県名古屋市にある放送持株会社について説明しています。カナダにある公共放送局については「カナダ放送協会」を、カナダテレビジョン放送局については「CBCテレビジョン」を、東京都中央区の製造販売業については「CBC (企業)」を、その他の用法については「CBC」をご覧ください。

中部日本放送株式会社
CHUBU-NIPPON BROADCASTING CO., LTD.
中部日本放送本社(CBC会館)
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社
市場情報名証プレミア 9402
1960年10月10日上場
略称CBC[注釈 1]
本社所在地 日本
460-8405
愛知県名古屋市中区新栄一丁目2番8号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度10分8.8秒 東経136度54分59.5秒 / 北緯35.169111度 東経136.916528度 / 35.169111; 136.916528座標: 北緯35度10分8.8秒 東経136度54分59.5秒 / 北緯35.169111度 東経136.916528度 / 35.169111; 136.916528
設立1950年12月15日
業種情報・通信業
法人番号7180001038107
事業内容認定放送持株会社
代表者

代表取締役会長 杉浦正樹

代表取締役社長 升家誠司

資本金

13億2000万円
(2023年3月31日現在)[1]
発行済株式総数

2640万株
(2023年3月31日現在)[1]
売上高

連結: 327億1300万円

単独: 46億3900万円
(2023年3月期)[1]
営業利益

連結: 12億3300万円

単独: 10億1300万円
(2023年3月期)[1]
経常利益

連結: 17億7300万円

単独: 14億7200万円
(2023年3月期)[1]
純利益

連結: 11億2300万円

単独: 14億7900万円
(2023年3月期)[1]
純資産

連結: 613億5000万円

単独: 547億0000万円
(2023年3月31日現在)[1]
総資産

連結: 754億2600万円

単独: 645億7300万円
(2023年3月31日現在)[1]
従業員数

連結: 695人

単独: 70人
(2023年3月31日現在)[1]
決算期3月31日
会計監査人有限責任監査法人トーマツ[1]
主要株主資本構成の節を参照
主要子会社連結子会社の節を参照
関係する人物

小嶋源作

佐々部晩穂

國枝忠雄

外部リンクhttps://hicbc.com/corporation/
特記事項:1951年9月1日、日本で初めての民間放送ラジオ局として開局。
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中部日本放送株式会社(ちゅうぶにっぽんほうそう、: CHUBU-NIPPON BROADCASTING CO., LTD.[2])は、日本認定放送持株会社。本社所在地は愛知県名古屋市中区新栄。略称はCBC[2] で、放送局の分社化後も傘下の特定地上基幹放送事業者とその略称を共用している。名古屋市に本社を置く放送事業者では唯一、名証プレミア市場[注釈 2]上場しており、名古屋証券取引所プレミア市場単独上場銘柄である。
概要

1951年昭和26年)9月1日に、日本で最初の民間ラジオ放送局[注釈 3] として開局。同時にこれまで日本放送協会(NHK)が独占的に放送を行ってきた時代が幕を閉じ、日本の民間放送の草分け的存在となった放送局である。1956年(昭和31年)12月1日テレビジョン放送を開始し、ラジオ・テレビ兼営局となった。系列新聞社中日新聞社で、社名も創立当時の中部日本新聞社に因んだといわれている。

中部日本放送は1950年(昭和25年)、中部日本新聞社(現:中日新聞社)が名古屋商工会議所中部地方の財界と連携して設立計画を進め、松坂屋(現:大丸松坂屋百貨店)の社長を務めた第16代伊藤次郎左衛門(伊藤祐茲)が設立発起人総代に就任し、当時松坂屋の副社長であった佐々部晩穂が初代社長に就任して設立された。佐々部は当時松坂屋が経営していた伊藤銀行の副社長だった1941年(昭和16年)、伊藤銀行と愛知銀行名古屋銀行の3行を合併して東海銀行(現:三菱UFJ銀行)を発足させた経緯があった。中部日本放送創立事務局の実行委員会には中部日本新聞社と松坂屋、東海銀行、中部電力東邦瓦斯名古屋鉄道豊田自動織機が参加した。

2013年平成25年)4月1日、ラジオ部門がCBCラジオへ、2014年(平成26年)4月1日、テレビ部門がCBCテレビへ分社化され、認定放送持株会社となる。これはキー局以外の、いわゆる地方局では初の試みとされている[3]

またロサンゼルスに海外支局を設けており、現在の支局長は尾関淳哉である[4]
沿革創業当初の社屋CBCラジオ長島送信所(三重県桑名市)CBC放送センター(名古屋市中区)

1945年昭和20年)12月25日 - 第1回発起人会。中部日本放送の開設が決定される[5]

1946年(昭和21年)1月22日 - 放送局開設の免許申請[5]

1949年(昭和24年)12月15日 - 中部日本新聞社内に創立事務局設置[5]

1950年(昭和25年)12月15日 - 中部日本放送株式会社、設立。

1951年(昭和26年)

4月21日 - 電波監理委員会より、ラジオ放送の予備免許が交付される[注釈 4]

8月17日 - 午後10時40分、試験電波発射。

8月27日 - ラジオ放送の本免許が交付される(JOAR、1090kc)。

9月1日 - 午前6時30分、日本初の民間放送としてラジオの本放送を開始[注釈 5]宇井昇アナウンサーによる「JOAR、1090キロサイクルでお送りいたします。皆さん、おはようございます。昭和26年9月1日、わが国で初めての民間放送、中部日本放送は、ただいま、放送を開始いたしました」[6] の第一声で民間放送の幕を開けた。詳細は「CBCラジオ#日本初の民間放送開始当日の番組」を参照

社屋:現在のCBC放送センターの場所で送信所の様な社屋だった。正面玄関の壁に「1090KC JOAR」の、正面玄関庇には「CBC」の、巨大な点灯式看板が付いていて、夜間は灯が入っていた(KC:キロサイクルは、周波数単位・現在のkHz:キロヘルツである)。社屋の写真は社史「東海の虹 中部日本放送10年史」と「中部日本放送50年のあゆみ」(愛知県図書館等で所蔵中)で確認出来る。

送信所:愛知郡鳴海町伝治山(現:名古屋市緑区鳴海町伝治山=現在、県営伝治山住宅などがある。「伝治山」は山ではなく小字(北緯35度5分45.9秒 東経136度57分27秒))



1952年(昭和27年)

1月 - 民間放送初の大相撲中継(東京開催の初場所)を放送[注釈 6]。ラジオ東京(KR。現:TBSラジオ)の制作により、KR・CBC・新日本放送(NJB。現:毎日放送)・ラジオ九州(RKB。現:RKB毎日放送)の4局ネットで放送された[注釈 6]。当時KRにスポーツ実況の出来るアナウンサーがいなかったため、NJBのアナウンサーとともに、CBCのアナウンサーも実況を担当した[注釈 7]

7月3日 - テレビ放送局開設の免許申請[5]


1953年(昭和28年)

3月2日 - 松下電器産業(現:パナソニック)提供平日早朝の長寿ラジオ番組『歌のない歌謡曲』を新日本放送からネット受けして放送開始。

8月 - 本局周波数を1070kcに周波数変更。


1954年(昭和29年)

3月15日 - 豊橋放送局=ラジオ局=開局(1485 kHz<1978年以降> 100W、スタジオ併設、かつてJOAEのコールサインを所有)。

12月3日 - テレビ放送に予備免許交付[5]


1955年(昭和30年)10月28日 - CBC放送会館建設着工[5]

1956年(昭和31年)

10月30日 - テレビ放送に本免許交付[5]

11月15日 - CBC放送会館竣工[5]

11月30日 - 本社社屋であるCBC放送会館落成。

12月1日(昭和32年)- 名古屋初の民間テレビ局としてテレビ放送を開始(JOAR-TV、5ch)。日本テレビラジオ東京とのクロスネットでスタート。


1958年(昭和33年)6月 - ラジオ東京(KRT、現在のTBSテレビ)、北海道放送(HBC)、大阪テレビ放送(OTV、現在の朝日放送テレビ)、ラジオ九州(RKB、現在のRKB毎日放送)とテレビニュースネットワークに関する協定を締結。

1959年(昭和34年)

8月1日 - JNN協定締結。

9月1日 - ラジオの深夜放送とテレビの早朝放送開始[5]

10月 - ラジオ本局周波数を1030kcに周波数変更。


1960年(昭和35年)

2月1日 - KRT・ABC・RKBと四社連盟を結成。開局以来放送されていた日本テレビ系列番組の殆どを打ち切る(同月25日[5]、HBCが加わり五社連盟となりこれがJNNの基本協定となる)。


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