C62形
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電化の進展により余剰となった尾久機関区配置の一部(C62 7・8・9・11・19・20)は水戸機関区を経て東北本線の仙台 - 青森間で旅客列車の輸送力を増強、C60形を東北本線から奥羽本線に転属させる検討が行われていた仙台機関区へ転属、同じ目的で小樽築港機関区から42も仙台に転属し、一旦は仙台機関区配置のC60形・C61形運用の一部を置き換える形で平 - 仙台間を中心に活躍を始めて急行「十和田」1往復や「おいらせ」も牽引したが[21]、仙台機関区ではC62形配置後燃料や潤滑油消費の増大が車両管理側から指摘され、また当時の長町 - 盛岡間ではC62形を上回る自重のD62形が運用され、C62形とほぼ同じ軸重のC60形は青森まで運用されていたものの、自重の大きい機関車の入線が増えることによって保線側から軌道への悪影響が懸念されただけでなく[注 13]、既にDD51形ディーゼル機関車の量産が始まっていたこともあり、仙台以北での本格的な運用実現には至らなかった。そのため、仙台機関区に配置されたC62形は一度転属させたC60形を戻すといったことも行われて1964年(昭和39年)に4両(C62 8・19・20・42)を廃車、残りの3両(C62 7・9・11)も1965年(昭和40年)度中に廃車となっている[22]

その後、1965年(昭和40年)の東北本線盛岡駅電化の際に急行「北斗」の格上げで新設された20系による寝台特急ゆうづる」(5・6列車)は所要時分短縮のために平坦な常磐線経由で運転されることとなり[注 14]、非電化のままの平 - 仙台間については平機関区配置のC62形がその牽引機に抜擢されることとなった[1]。以後、C62形の全廃までの間にC62形が配置された各線区で寝台特急が新規設定される事例はなかったため、この「ゆうづる」はC62形が牽引する最後の定期特急列車となった。

なお、この「ゆうづる」のヘッドマークは黒岩保美がデザインしたもので、「夕日をバックに飛翔する鶴」を描いたこのマークは「ゆうづる」が最後の蒸気機関車牽引特急となることを念頭に置いて、C62形に装着した際に最も映えるように配慮してデザインしたと後年に黒岩本人が証言している。彼は、計画段階で列車重量と経由路線からこの新設寝台特急がC62形牽引となることを推定し、しめたと思ったと述懐している。

新設時の「ゆうづる」は当時最新かつ軽量構造の20系客車を用い、現車13両、換算41両、つまり総重量410 tと比較的軽量の編成となっており、新製時の性能査定に基づいたダイヤ編成では特に問題なく運用可能のはずだった。だが、運転開始時点でC62形は既に車齢16年以上が経過し、しかも平機関区へ配置されていた12両はいずれもコンディションが決して良好とは言い難かった。そのため、比較的平坦な常磐線とはいえ平から仙台までの150 kmを無停車のまま2時間15分(上り:表定速度約67 km/h)で走破する厳しいダイヤ設定の「ゆうづる」は定時運行維持が困難と予想され、運転開始前の1965年(昭和40年)9月に品川客車区配置の20系予備車を連ねた15両編成[注 15]を用い、田端操車場青森駅の間で本運用に準じたダイヤでの試運転が実施された。この試運転の結果、発熱量約6,500 kcal/hで、夕張・常磐・筑豊など各産地の異なるグレードの石炭を各機関区でブレンドした通常使用の石炭では火力不足から所定のダイヤでの運転が困難で、しかも仙台到達時点で石炭も水もほとんど使い果たすという非常に厳しい状況であることが判明した。このため営業運転の際には「ゆうづる」の運用(SL甲組 仕業番号1)に限って、北海道夕張産の高カロリーかつ排煙の少ない良質粉炭ピッチを混合・成形した「特級(急)豆炭」と呼ばれた発熱量8,000 kcal/hの甲種練炭限定搭載として機関車性能の底上げが行われ、また、ダイヤ上もあらかじめ設定されていた3パーセントの余裕時分を最大限に活用することで、かろうじて定時運行の維持が図られた。

こうして老朽化したC62形を用いて限界ぎりぎりの運用を実施した「ゆうづる」も、運転開始から2年後の1967年(昭和42年)10月1日には同区間の電化完成でED75形電気機関車の牽引に切り替えられた。電化工事そのものの完成は同年7月30日であり、客車急行や一部普通列車は、順次ED75形の牽引となり、特急「ゆうづる」も下り5列車が8月20日よりED75形の牽引に切り替えられ、上り6列車牽引のC62形は203列車で平から仙台へ回送するように変更された。だが、9月中旬に線内で起こった土砂崩れの影響で、電化に伴う新線切り替え区間が不通となったため、やむなく非電化の在来線に戻して列車運行を実施、この関係で「ゆうづる」は復旧作業中の約1週間にわたって全列車がC62形での牽引となった。その後、下り5列車はED75形牽引に戻ったが、ダイヤ改正前の9月30日まで上り6列車はC62形による牽引が維持された。

その後、平機関区に最後まで在籍したC62形12両は、状態が比較的良好な5両(C62 23・37・46 - 48)が呉線を担当する糸崎機関区へ転属[1]、不調気味の6両(C62 10・22・24・38・39・45)が1967年(昭和42年)11月24日に除籍、解体となった[3]。保存が検討されたC62形ラストナンバーのC62 49は一時保留とされ平機関区に保管されたが、結局引き取り手が見つからずに1968年(昭和43年)6月13日に除籍・解体処分に付されている[3]
函館本線急行ニセコを牽引するC62形重連(1971年)

東海道・山陽本線の電化が進展しつつあった1950年代後半、北海道函館本線で運行されていた対本州連絡急行は、特に急勾配と急曲線が連続する長万部 - 小樽間(通称:山線)でのD51形重連運用と、函館 - 長万部間(通称:海線)での高速運転により乗務・検修の双方に多大な負担を強いていた。前者の形式はストーカー非装備だったことから機関助士2人による人力投炭を強いられ、後者は振動と各回転部の異常磨耗で検修陣に負担がかかっていた[1]

そこでそれらの諸問題の解決策として、所要両数に余裕があり不調機から保留車が出始めたC62形を、軽軸重形に改造の上で転用投入する案が持ち上がり、まず1956年(昭和31年)9月15日C62 3が梅小路から発送され[3]苗穂工場に入場、軸重軽減改造の上で試験運行が実施された[1]。その結果は良好で、破格の大形機故に危惧されていた軌道負担増大の問題についても保線側で充分対応可能な範囲に収まったことから、翌1957年(昭和32年)の初頭に好調機は山陽本線を担当する各区へ配置し、その選に漏れた不調気味の保留車・余剰車から函館本線へ転用する方針が決定[注 16]。こうして6両が選出され、D52形から流用されていた戦時設計ボイラーの新製交換と軸重軽減改造を施工した後、小樽築港機関区へ転属の手続きがとられた[1][3][注 17][23] [24]

まず、1957年(昭和32年)2月に4両(C62 2・27・30・32)がC62 3とともに急行「大雪」の牽引(函館 - 小樽間)に充当された[1]。続いて3月に梅小路からC62 44、10月に宮原からC62 42が加わり、計7両が「大雪」・「まりも」・「アカシヤ」などの急行列車牽引に使用された[1][3]

最も過酷な使用条件の山線区間の急行運用はD51形重連からC62形重連、または前部補機D51形と本務機C62形による重連に変更された。この運用では、除煙板に「つばめマーク」が取り付けられたC62 2が重連の先頭に立つことが多かった。これはファンサービスが目的ではなく、前補機は長万部駅でその日のうちに折り返して検修陣の待つ小樽築港機関区に帰着できるためである。つまり、翌日まで基本的に検修がノータッチとなり、しかも海線での高速走行を行う本務機と比較して運用による負担が軽いため、後述のとおり東海道時代から不調気味で乗務員から信頼の薄いC62 2を前補機として限定運用することは、後述する検修責任者へのインタビューでの回答[25]にもあるように、検修側・運用側の両者にとって望ましかったとされる[注 18]。一方でC62 32・44は好調機と評価され、優先的に本務機の運用に充当されたことが知られている。急行「大雪」のC62形牽引時代末期には、通常期に客車が減車されたため、多客期以外の同列車では基本的に単機牽引となっている。

乗務員経験者のインタビューでは「小樽のC62は1両1両特徴がありました、2号機は息づかいが弱いというか力がなかった、3号機は安心して乗れるカマでした」[26]と答えており、また検修責任者も「2号機は蒸気騰がりが良くなくて、できるだけ函館までの往復仕業には投入しないようにいていた」[25]また「2号機の廃車を何度も札幌鉄道管理局に要請したが聞き入れてはもらえなかった、人気のある車両だったからでしょうか」とも答えている。

また、函館本線の七飯 - 大沼[注 19]間については、1966年(昭和41年)10月1日に下り線の上り勾配緩和のために建設された、通称:「藤城線」と呼ばれる下り線専用の新線が開通する前は、上下列車とも、渡島大野駅[注 20]仁山信号場[注 21]を通る、仁山峠越えの従来線[注 22]経由で運転されていたが、下りの旅客列車のうち、優等列車をはじめとする編成の長い旅客列車については、本務機はC62形、後部補機はD52、またはD51形という形で運転されていた。


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