C62形
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C62形蒸気機関車
京都鉄道博物館のC62 2
基本情報
運用者運輸省日本国有鉄道
西日本旅客鉄道
北海道旅客鉄道
製造所日立製作所 (C62 1 - 21)
川崎車輛 (C62 22 - 36)
汽車製造 (C62 37 - 49)
製造年1948年[1] - 1949年
製造数49両[1]
引退1973年
愛称シロクニ
投入先東海道本線山陽本線
常磐線函館本線
主要諸元
軸配置2C2[1]
軌間1,067 mm狭軌[1]
全長21,475 mm
全高3,980 mm
機関車重量88.83 t[1]
動輪上重量48.23 t(原形)[1]
44.59 t(軽軸重形)[1]
炭水車重量56.34 t[1]
総重量145.17 t
動輪径1,750 mm[1]
軸重16.08 t
(原形 第1・第2動輪上)
14.96 t
(軽軸重形 第1・第2動輪上)
シリンダ数単式2気筒
シリンダ
(直径×行程)520 mm×660 mm(原形)[1]
500 mm×660 mm(軽軸重形。ただし2.構造で述べられているとおり軽軸重型でボアダウンを実施したという一次資料は存在せず他形式と混同された可能性が高い)[1]
弁装置ワルシャート式
ボイラー圧力16.0 kg/cm2
(≒1.57Mpa[1]
ボイラー水容量9.87 m2[1]
大煙管
(直径×長さ×数)140 mm×5,000 mm×35本[1]
小煙管
(直径×長さ×数)57 mm×5,000 mm×94本[1]
火格子面積3.85 m2[1]
全伝熱面積244.5 m2[1]
過熱伝熱面積77.4 m2[1]
全蒸発伝熱面積167.1 m2[1]
煙管蒸発伝熱面積147.4 m2
火室蒸発伝熱面積17.5 m2
燃料石炭
燃料搭載量10.0 t[1]
水タンク容量22.0 t[1]
制動装置空気自動空気ブレーキ
最高運転速度129 km/h[1] (日本最速の蒸気機関車)
最大出力2,163 PS
動輪周出力1,620 PS
シリンダ引張力13,870 kg
粘着引張力12,058 kg
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国鉄C62形蒸気機関車(こくてつC62がたじょうききかんしゃ)は日本国有鉄道(国鉄)の旅客用テンダー式蒸気機関車である。

1948年昭和23年)から翌1949年(昭和24年)にかけてD52形蒸気機関車の改造名義で49両が製造され、その牽引力や重量から、輸送量を要求される主に平坦地や軟弱地盤の少ない東海道本線呉線山陽本線など主要幹線優等列車牽引に使用された。通称シロクニ。松本零士の漫画作品『銀河鉄道999』に登場する主要列車「999号」の牽引車のモデルとして知られる(後述)。
改造までの経緯

第二次世界大戦当時、国鉄(当時は運輸省)には戦時物資輸送用の貨物用蒸気機関車としてD51形D52形が大量に在籍していたが、終戦とともに軍事輸送の廃止と工業生産の低下で貨物需要が激減したため、これらの機関車は大半が余剰となった[1]。一方で、生活物資の買出しや戦地・植民地からの復員・引き揚げ輸送の影響で旅客需要が激増し、戦争中に製造が中止されていた旅客用蒸気機関車は極端に不足していた[1]。特に幹線は逼迫(ひっぱく)しており、大型の旅客用蒸気機関車であるC57形C59形の増備が急がれたが追いつかず、また燃料である石炭の質の悪化による性能低下を補うべく、より大型で強力な重量旅客用機関車を製造する必要に迫られた[1]。しかし占領軍の方針や資材の不足もあり機関車の新製は困難だった[1]

そこで、GHQ側担当将校デ・グロートの助言に従い、余剰となっていた貨物用機関車のうち一部の車両のボイラーを旅客用機関車に転用することとし、ボイラー以外の部分は既存の旅客用蒸気機関車C57形・C59形の設計を流用して組み合わせた機関車を『改造』名義で製造することになった[1]。財政難で発注がキャンセルされたC57形・C59形(戦後型)のメーカー仕掛部材救済が目的の一つであり、鋳造台枠を削って無理やり収めた2軸従台車の設計や、本形式の49両という中途半端な製造両数もこれに起因している。なお、D52形より転用されたボイラーは、戦時製造のため信頼性が低く、少数の早期廃車機を除いては後に新製ボイラーに換装されている。

占領軍 (GHQ) のインフレ抑制政策(ドッジ・ライン)の指示は、本形式とC61形がほぼ全機ロールアウトする後の1949年(昭和24年)2月のことであり、巷間言われるような関係はない。

これにより、D51形からC61形D52形からC62形が改造された。C61形は、C57形相当の乙線規格の機関車で、C62形はC59形に代わる特別甲線での特急列車急行列車の牽引を目的に改造されたものである[1]
構造

機関車全長は、炭水車を含めて21.48 m。重量は145.2 t。走り装置はC59形を基本とし、動輪直径もC59形と同じで国内最大となる1,750 mm。軸配置は、従来の2C1(先輪2輪 + 動輪3輪 + 従輪1輪の意味)のパシフィック形では軸重が特甲線の上限(16.08t)を超過してしまうため、従輪を2軸とした2C2(先輪2軸 + 動輪3軸 + 従輪2軸の意味)のハドソン形として動軸の軸重を許容上限である16.08 t 以下に収めた。また、この従台車の支点の位置を変え[注 1]、先台車の板バネ枚数を16枚から17枚に増やしバネ定数を変更することで動軸の軸重を甲線対応の14.9 t へ引き下げることが可能[注 2]で、この軽軸重化は新製時から軽軸重形として製造された8両(C62 19 - 21・45 - 49)と[1]、完成後の配置機関区の変更の際に軽軸重化されたものとを合わせて26両に施工された。これら軽軸重型は白河以南の東北本線や、仙台以南の常磐線で使用されたほか、末期には、電化の進展で余剰を来たした通常形を軽軸重形に改造の上で、軽軸重形の需要があった函館本線に転用している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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