C53形
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Microsoftコードページ932はしご高))が含まれています(詳細)。

C53形蒸気機関車
C53 10
基本情報
運用者鉄道省日本国有鉄道
製造所汽車製造川崎車輛
製造番号別記
製造年1928年 - 1930年
製造数97両
引退1950年
投入先東海道本線山陽本線呉線(全線開通後)
主要諸元
軸配置2C1 (4-6-2、パシフィック)
軌間1,067 mm
全長20,625 mm
全高4,000 mm
機関車重量80.98 t
動輪上重量46.27 t
総重量127.25 t
固定軸距3,980 mm
動輪径1,750 mm
軸重15.44 t(第3動輪)
シリンダ数単式3気筒
シリンダ
(直径×行程)450 mm×660 mm
弁装置ワルシャート式(左右)
グレズリー式(中央)
ボイラー圧力14.0 kg/cm2 (1.373 MPa; 199.1 psi)
大煙管
(直径×長さ×数)140 mm×5,500 mm×28本
小煙管
(直径×長さ×数)57 mm×5,500 mm×88本
火格子面積3.25 m2
過熱伝熱面積64.4 m2
全蒸発伝熱面積220.5 m2
煙管蒸発伝熱面積140.9 m2
火室蒸発伝熱面積13.5 m2
燃料石炭
燃料搭載量12.00 t
水タンク容量17.0 m3
制動装置自車:空気ブレーキ
編成:自動空気ブレーキ
出力1,250 PS
テンプレートを表示

C53形蒸気機関車(C53がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省アメリカから輸入したC52形を解析の上、国産化した3シリンダー型のテンダー式蒸気機関車である。愛称はシゴサン。幹線での急行列車牽引を主な用途とした旅客用蒸気機関車であった。
製造

汽車製造川崎車輛の2社により、1928年から1929年の間に97両が量産された。その状況は次のとおりである。

1928年:C53 1 - 53(53両)

1929年:C53 54 - 97(44両)


汽車製造(47両)

C53 1 - 16(製造番号996 - 1011)

C53 43 - 53(製造番号1038 - 1049)

C53 57 - 59(製造番号1076 - 1078)

C53 71 - 80(製造番号1093 - 1097, 1104 - 1108)

C53 91 - 97(製造番号1152 - 1158)


川崎車輛(50両)

C53 17 - 42(製造番号1241 - 1247, 1254 - 1272)

C53 54 - 56(製造番号1303 - 1305)

C53 60 - 70(製造番号1322 - 1332)

C53 81 - 90(製造番号1375 - 1384)

なお、本形式は製造中において以下に代表される細部の変更が行われた。

砂箱の溶接構造化(C53 34以降、1929年製のC53 54からは外形も変更)

運転室上部天窓の増設と加減リンク受の形状変更(C53 43以降)

シリンダ側面の蒸気室覗き穴を大型化(C53 45以降)

煙室前面に手摺の増設(C53 54以降の川崎車輛製)

汽笛取り付け位置を火室上部からドーム右側面へ、排障器位置を先台車から前部台枠に(C53 57以降)

煙室前面の手摺を煙室扉から煙室外周へ(C53 57以降の汽車製造製)

前デッキ前面の垂直部を一体のものから4分割した引戸に変更(C53 60以降)

開発の背景

大正末期から鋼製客車の出現によって客車の重量が10%ほど増加し特別急行列車の速度を維持するには18900形(後のC51形)では出力不足であり[注 1]、このため狭軌(1067mm軌間)でこれ以上の輸送力増加に対応するには3シリンダー機を導入するしかないと考えられた[2][注 2]

これ以前に1924年(大正13年)頃に輸送力増大を見込んで3シリンダー機関車の案がいくつか挙げられていた。「機70形」「機78-2形」「機80形」という3形式の断片的なデータが残っており、それぞれ以下のような形式であった。
最初期の3シリンダー機計画案[3]

形式名軸配置最大軸重動輪径最高速度運転整備総重量
機70形2C1(4-6-2)15.6t1750mm100q/h130.0t
機78-2形2D1(4-8-2)15.0t1600mm?134.95t[注 3]
機80形2C1(4-6-2)17.8t1600mm95q/h138.4t

これらのうち機70形は急行旅客用で後にC53形を実際に作る時に(大きさや性能の)原型にしたもの、後者2つは重量急行旅客用だが、3シリンダーそのものをまったく扱ったことがない[注 4]当時は中央シリンダー取付位置などは未定のまま[3]で、実際にアメリカから3シリンダーのパシフィック機8200形(後のC52形)を試験的に輸入したところボイラ効率・機械効率が悪いと判断されたので、これらの問題を解消すべくD50形並のボイラーとC51形並の1750mm径動輪を持つ3シリンダー機関車として1928年(昭和3年)から製造された[4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:117 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef