メンバー名ふりがな担当パート備考 サポートでホーンセクションを入れライブを行う事が稀にある。 グループ名備考 元々は(ホーンセクションを除き)サポートメンバーを付けていなかったが、2008年以降はサポートミュージシャンが付いた。 メンバー名ふりがな担当パートサポート期間備考 SijiMi、AJ-米田渡-、WYなどの活動についてはC-C-Bメンバーによる別プロジェクトでの活動を参照 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
MASAHIRO IWAMOTOいわもと まさひろギター1982年の結成時から1stシングルリリースまで
佐孝康夫さこう やすおキーボード
山下康文やました やすふみキーボード、ボーカル1983年6月リリースの1stアルバムのみクレジット
山本達也やまもと たつやギター、ボーカル
ホーンセクション
大谷ブラザーズ1987年9月7日?8日にC-C-Bが初めて日本武道館での単独ライブをした際に参加。
B-sty Horns2015年2月1日の『ゴーゴーヒデキ』に参加。
2015年6月23日の東京公演にも参加予定だった[2]が、渡辺の入院により公演自体が中止となる[3]。
サポート・メンバー
丸山正剛まるやま まさみちギター2008年の再結成ツアーに参加。元BEE PUBLICのギタリスト。VoThMやTHE GATES、 Mr/KのメンバーでもありC-C-Bメンバーとの繋がりは深い。
カバー・アルバム『Romanticは止められない』のレコーディングにも参加。
仮谷克之かりや かつゆきベース、コーラス2015年の渡辺の追悼ライブ『ヒデキファイナル』からC-C-B名義のライブや2017年の笠と米川の合同ツアーなどC-C-B関連のライブでサポートに入っている。松木隆裕やファンキー末吉と関わりがある。
森藤晶司もりふじ しょうじキーボード、ボーカル2020年の『ヒデキカンレキ!祭』からC-C-Bのサポートを担当。笠の単独ライブや『BLUFF』でもサポートしている。
別名義(C-C-Bメンバーによる別プロジェクト) での活動
経歴
出典検索?: "C-C-B"
1977年、アマチュアバンドでベーシストとして活動をしていた渡辺に、同バンドのドラマーだった伊藤真視が田口を紹介。伊藤が脱退するにあたり、中学の後輩だった笠を後任のドラマーに推薦。以降、3人の交流が始まる。その後、1979年に渡辺はロックバンド「ブルーベリー・ジャム」の二代目ベーシストとして、田口は近藤真彦の第2期専属バックバンド「ダブルス」のメンバーとして各々プロデビューした。
1982年8月(昭和57年)、東京都港区青山(神宮前3丁目交差点近く)に音楽プロデューサーの上野義美が立ち上げたアメリカンDJスタイルのミニFM局「KIDS RADIO STATION」(通称「KIDS」)が誕生[注釈 1]。
その「KIDS」で、夏をイメージした新生バンドを数組結成させ競わせるプロジェクトを企画した。そのうちの一組として、グループ・サウンズの再来を思わせる「和製ビーチボーイズ」をコンセプトとしたバンドを作るためメンバーを探し、Coconut Boysを結成させた。初期メンバーは渡辺、笠、関口と他3名の合計6人(うち1人はデビュー前に脱退し5人になる。田口と米川は1984年に加入)。同年、KIDS自主制作の企画アルバム『RASPBERRY AVENUE』[注釈 2]に参加してマイナーデビュー(後述ディスコグラフィー項参照)。だが肝心のメンバー全員がそれまでビーチボーイズの音楽を耳にしたことはあれど造詣が深いわけではなく、メンバー自身の音楽性や趣味嗜好は反映されなかった。1982年当時ポリドール・レコード(現:ユニバーサルミュージック)でディレクターをしていた渡辺忠孝が音源を聴く機会があり、そして「面白い」と興味を示し、自らプロデュースをしたいと名乗り出た[4]。
1983年(昭和58年)、シングル『Candy』でメジャーデビュー。全農のヨーグルト「ヨープレイト」のCM曲に採用されたが、ヒットには至らなかった。
同年、公式ファンクラブの「MAY CLUB(メイクラブ)」が発足。
1984年(昭和59年)、メンバーの2名が脱退し、田口、米川が新メンバーとして加入し5人体制となる。セカンドシングル『瞳少女』がロート製薬「なみだロート」のCM曲に、同シングルSide-2の『チリドッグがお気に入り』がマツダ「ファミリア」のCM曲に採用される。リリース後すぐにヒットには繋がらなかったが、『Romanticが止まらない』のヒットにより過去の作品も見直された。『瞳少女』はロート製薬がスポンサーを務めたTBSテレビのクイズ番組『クイズダービー』、毎日放送のクイズ番組『アップダウンクイズ』でほぼ毎週オンエアされた。バンド名の表記は、放映開始当初は「ココナッツ・ボーイズ」表記であったが、『Romanticが止まらない』のヒット後に「C-C-B」表記に統一された。マツダのCMでは「ココナッツ・ボーイズ」とカタカナ表記のみ。 翌年1月期に始まるテレビドラマの主題歌担当の話が舞い込み、プロデューサーの渡辺忠孝が実兄の筒美京平にヒットにつながる作曲をと依頼したところ「松本隆が歌詞を書くなら引き受ける」という条件を出された。そして作られた楽曲が出世作となった3枚目のシングル『Romanticが止まらない』である[4]。 筒美はココナッツボーイズのアルバムを視聴し、特に2ndアルバム『Boy's Life』に収録されている「シェリー」に関心を寄せた。笠の透明感のあるハイトーンボイスを気に入りメインボーカルに指名したが、ドラム担当者だと思わなかったという[5]。当の笠は圧し寄せるプレッシャーの中でレコーディングに挑んだが、何度歌い直してもいつもサビの同じ箇所でメロディーを変えて歌ってしまう(「胸が胸が苦しくなる」の末尾「なる」というメロディーを指示された下げ調子ではなく、上げ調子に歌ってしまう)。しかし筒美は咎めることなく「それで良い」と笠に声を掛け、そのメロディーに変更した[6]。 1985年(昭和60年)1月25日、起死回生をかけた3枚目のシングル『Romanticが止まらない』をリリース。TBSテレビの連続ドラマ『毎度おさわがせします』(1985年1月8日放送開始)オープニングテーマ曲に採用される。同年2月21日、音楽番組『ザ・ベストテン』の注目アーティスト紹介コーナー「今週のスポットライト」に出演。そのカラフルな髪色や、当時は珍しかった電子ドラムのシモンズ
「Romanticが止まらない」がヒット
その頃から、バンド名の表記をC-C-Bに統一。以前より「CoconutBoys」の略称として「C-C-B」と名乗っていたが、ヒットのおかげで「C-C-B」の呼ばれ方の方が一般に浸透したこともあり、また音楽番組での紹介や雑誌掲載時に統一感がなく、そのたびに説明をする手間や混乱を回避するためでもあった。