C・S・ルイス
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C・S・ルイス
C. S. Lewis
1917年のC・S・ルイス
ペンネームC・S・ルイス/C. S. Lewis
C・S・ハミルトン/C. S. Hamilton
N・W・クラーク/N. W. Clerk
誕生クライブ・ステープルス・ルイス
Clive Staples Lewis
1898年11月29日
イギリス
 アイルランドアントリム県ベルファスト
死没 (1963-11-22) 1963年11月22日(64歳没)
イギリス
イングランドオックスフォード
職業小説家英文学者神学者
国籍 イギリス 北アイルランド
ジャンルファンタジーSF児童文学神学中世ヨーロッパ
主題キリスト教聖公会)の信徒伝道者
代表作『ナルニア国物語』シリーズ
(1950年 - 1956年)
『キリスト教の精髄』(1952年)
『愛とアレゴリー』(1936年)
『悪魔の手紙』(1942年)
別世界物語』シリーズ
(1938年 - 1945年)
『愛はあまりにも若く
プシュケーとその姉』(1956年)
主な受賞歴カーネギー賞(1956年)
『さいごの戦い』
配偶者ジョイ・デイヴィッドマン・グレシャム
Joy Davidman Gresham
本名:ヘレン・ジョイ・デイヴィッドマン
Real Name: Helen Joy Davidman
(結婚期間:1956?60年(死別))
子供ダグラス・グレシャム
Douglas Gresham
(ジョイの2人の連れ子の兄の方。
共同映画制作者
(『ナルニア国物語』『悪魔の手紙』)
キリスト教系ラジオ番組司会者
影響を与えたもの

W・B・イェーツ
G・マクドナルド
G・K・チェスタトン
ヒューゴー・ダイソン
J・R・R・トールキン

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“C・S”クライブ・ステープルス・ルイス(Clive Staples Lewis[1], 1898年11月29日 - 1963年11月22日)は、アイルランド系イギリスの作家、学者[2]、中世文化研究者、キリスト教擁護者、信徒伝道者。全7巻からなるハイファンタジー小説『ナルニア国ものがたり』の著者として有名。3歳の頃に愛犬ジャクシー(Jacksie)を交通事故で喪った直後から自らをジャクシーと名乗り、それが徐々に周囲に受け入れられていき、家族や友人からは生涯を通じてジャックと呼ばれた。そのため、あえてフルネームを Clive Staples "Jack" Lewis と綴る場合もある。ベルファストのホリウッド・ロード4-12のホリウッド・アーチズ図書館の前にあるC・S・ルイスの銅像
生涯

アイルランドアルスター地方ベルファスト事務弁護士の家に生まれる。ルイス家は19世紀半ばの祖父の代にウェールズから渡ってきた移民であり、ルイスが幼い頃に亡くなった母親はアイルランド国教会の司祭の娘であった。子供時代は3歳上の兄ウォレン・ハミルトン(Warren Hamilton Lewis 愛称:ウォーニー (Warnie))と一緒に「ボクセン(英語版)」という想像の国を作り、その物語を書いて遊んだ。パブリック・スクールに馴染めず、元・ラーガン大学 (Lurgan College) 校長で父の個人講師を勤めていたカークパトリック(William T. Kirkpatrick)による個人教育を受けて、オックスフォード大学ユニバーシティ・カレッジ(英語版)に進学、古典語、英文学にて最優等を取る。第一次世界大戦に従軍後大学に戻り、モードリン・カレッジで英文学特別研究員を務め、後に世界的に有名な『指輪物語』の作者となるJ・R・R・トールキンと知り合う。その後1954年ケンブリッジ大学モードリン・カレッジに移り、中世ルネッサンス英文学の主任教授を務める。この間、1950年から1956年にかけて『ナルニア国物語』を出版する。

第二次世界大戦後、ルイスの愛読者であり離婚歴のある17歳年下のアメリカ詩人ジョイ・デイヴィッドマン・グレシャム(en)と知り合い、1956年に結婚する。この結婚は当初、骨髄癌に侵されたジョイが英国籍を取得するための形式的なものであり、結婚式もジョイが入院している病室で質素に取り行なわれた。互いの愛情は徐々に深まり、ルイスはジョイを「唯一の女性」と呼んで愛しんだ。この結婚は、ジョイに離婚歴があり非キリスト教徒(後にキリスト教に改宗)でもあったため、周囲から多くの非難を浴びた。創作をめぐって関係が悪化していたトールキンとも、これを契機に断交している。ジョイとのストーリーは戯曲『シャドウランズ』(Shadowlands )およびその映画化作品『永遠の愛に生きて』(Shadowlands )で描かれ、広く知られるようになった。ジョイは結婚からわずか4年後の1960年に45歳で死去し、ルイスは N・W・クラーク名義の著書『悲しみを見つめて』で彼女の死を深く悼んだ。

ジョイの死から3年後の1963年の半ば、心筋梗塞に倒れて昏睡状態に陥る。翌日には意識を回復して後に退院するが、一向に復調の兆しが見えず已む無く辞職を決意。診断によると、3年前に患った腎炎の後遺症で慢性腎不全に陥っており、その後は徐々に体力を失っていく。65歳の誕生日をちょうど1週間後に控えた1963年11月22日に死去した。遺体はオックスフォード郊外ヘディントンにあるセント・トリニティ・チャーチに埋葬された。
信仰と著作

幼少の頃はアイルランド国教会に基づくキリスト教を信仰していた。14歳の時に無神論に転じ、神話オカルトに興味を持ち始める。その後様々な書物や大学時代の友人の影響を受け、31歳で同じ聖公会系のイングランド国教会の下で再びキリスト教信仰を始めた。『奇跡』(Miracles, 1947)『悪魔の手紙』『キリスト教の精髄』『喜びのおとずれ』などの神学書や自叙伝、ラジオ講演などを通じて、信徒伝道者としてキリスト教信仰を伝えている。

著作には詩集、神学論文集などがあるが、特に有名なものは『ナルニア国物語』全7巻である。神学者としても著名で、『ナルニア国物語』にもその片鱗が現れているような新プラトン主義的な見解をラジオの連続講義でも披露。スイスの弁証法神学者カール・バルトから、激しい反撥を受けた。1957年には『さいごの戦い』でカーネギー賞を受賞している。

米国聖公会では聖人に叙せられており、命日である11月22日祝聖日とされている。
主要作品リスト

日本語訳が現在手に入る作品に限る。
ナルニア国物語(The Chronicles of Narnia, 1950-1956)
ライオンと魔女 (The Lion, the Witch and the Wardrobe, 1950)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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