第二次世界大戦後、ルイスの愛読者であり離婚歴のある17歳年下のアメリカ人詩人ジョイ・デイヴィッドマン・グレシャム(en)と知り合い、1956年に結婚する。この結婚は当初、骨髄癌に侵されたジョイが英国籍を取得するための形式的なものであり、結婚式もジョイが入院している病室で質素に取り行なわれた。互いの愛情は徐々に深まり、ルイスはジョイを「唯一の女性」と呼んで愛しんだ。この結婚は、ジョイに離婚歴があり非キリスト教徒(後にキリスト教に改宗)でもあったため、周囲から多くの非難を浴びた。創作をめぐって関係が悪化していたトールキンとも、これを契機に断交している。ジョイとのストーリーは戯曲『シャドウランズ』(Shadowlands )およびその映画化作品『永遠の愛に生きて』(Shadowlands )で描かれ、広く知られるようになった。ジョイは結婚からわずか4年後の1960年に45歳で死去し、ルイスは N・W・クラーク名義の著書『悲しみを見つめて』で彼女の死を深く悼んだ。
ジョイの死から3年後の1963年の半ば、心筋梗塞に倒れて昏睡状態に陥る。翌日には意識を回復して後に退院するが、一向に復調の兆しが見えず已む無く辞職を決意。診断によると、3年前に患った腎炎の後遺症で慢性腎不全に陥っており、その後は徐々に体力を失っていく。65歳の誕生日をちょうど1週間後に控えた1963年11月22日に死去した。遺体はオックスフォード郊外ヘディントンにあるセント・トリニティ・チャーチに埋葬された。 幼少の頃はアイルランド国教会に基づくキリスト教を信仰していた。14歳の時に無神論に転じ、神話やオカルトに興味を持ち始める。その後様々な書物や大学時代の友人の影響を受け、31歳で同じ聖公会系のイングランド国教会の下で再びキリスト教信仰を始めた。『奇跡』(Miracles, 1947)『悪魔の手紙』『キリスト教の精髄』『喜びのおとずれ』などの神学書や自叙伝、ラジオ講演などを通じて、信徒伝道者としてキリスト教信仰を伝えている。 著作には詩集、神学論文集などがあるが、特に有名なものは『ナルニア国物語』全7巻である。神学者としても著名で、『ナルニア国物語』にもその片鱗が現れているような新プラトン主義的な見解をラジオの連続講義でも披露。スイスの弁証法神学者カール・バルトから、激しい反撥を受けた。1957年には『さいごの戦い』でカーネギー賞を受賞している。 米国聖公会では聖人に叙せられており、命日である11月22日が祝聖日とされている。 日本語訳が現在手に入る作品に限る。
信仰と著作
主要作品リスト
ナルニア国物語(The Chronicles of Narnia, 1950-1956)
ライオンと魔女 (The Lion, the Witch and the Wardrobe, 1950)
カスピアン王子のつのぶえ (Prince Caspian, 1951)
朝びらき丸 東の海へ (The Voyage of the Dawn Treader, 1952)
銀のいす (The Silver Chair, 1953)
馬と少年 (The Horse and His Boy, 1954)