C・L・ムーア
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C・L・ムーア
Catherine Lucille Moore
誕生 (1911-01-24)
1911年1月24日
インディアナ州インディアナポリス
死没 (1987-04-04) 1987年4月4日(76歳没)
カリフォルニア州ハリウッド
職業小説家SF作家
国籍 アメリカ合衆国
ジャンルSFファンタジー
配偶者ヘンリー・カットナー (1940 - )
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C・L・ムーア(C. L. Moore, 1911年1月24日 - 1987年4月4日)は、アメリカ合衆国小説家SF作家ファンタジー作家。本名はキャサリン・ルシール・ムーア(Catherine Lucille Moore)。代表作〈ノースウェスト・スミス〉シリーズなどで人気を博した。夫のヘンリー・カットナーもSF作家であり、夫婦で多くの合作を行なった。
生涯ウィアード・テイルズ誌1934年10月号。「暗黒神のくちづけ」が表紙になっている。

1911年1月24日、インディアナポリスに生まれる。子供のころは身体が弱く、いつも読書ばかりしていて、やがて自分でもお話を作って書くようになる。インディアナ大学に入学したが、世界恐慌をきっかけとして大学を中退し、インディアナポリスの Fletcher Trust Company に秘書として就職。1931年に書店で『アメージング・ストーリーズ』を目にしてSFを書くことを志し、作品を同誌に持ち込んだが没にされ、次作「シャンブロウ」を『ワンダー・ストーリーズ』に持ち込んだが拒絶され、『ウィアード・テイルズ』で採用された。以後このノースウェスト・スミスを主人公とするシリーズは同誌でR・E・ハワード英雄コナンシリーズと並ぶ人気となる。またこれに続いてジョイリーのジレルを主人公としたシリーズも同誌に発表を始めた。

当初、名前を「C・L」と略すことで性別は隠された。1934年に(発行40部の)同人誌『The Fantasy Fan』にてムーアが女性であるという事実が明かされ、サム・モスコウィッツ『Seekers of Tomorrow』によると、これによりムーアは「SF界において『フランケンシュタイン』の作者M.W.シェリーに次ぐ枢要な女性の地位に置かれることになったのだ」と述べられるようになった[1]

1936年、当時『ウィアード・テイルズ』の新鋭作家であったヘンリー・カットナーはムーアを男と勘違いしたままファンレターを書き、ロバート・ブロックやフランク・グルーバーを交えた交際ののち、2人は1940年に結婚した。

カットナーとムーアは、結婚前から合作による作品を発表するようになり、結婚後はルイス・パジェット(Lewis Padgett)を初めとする多数の(浅倉久志によると19もの)ペンネームの下に、作風、投稿する雑誌を変えて大量の合作を行なった。この活動は、やもすれば「有望な新人作家が、カットナー夫妻の新しい別名に過ぎないのではないかと疑われる」という珍現象(カットナー・シンドローム)を招いた(ジャック・ヴァンスはカットナー夫妻の別名義と思われた作家の一人である)。パジェットはユーモアものを発表する際によく使用された名義で、この名義での代表作には「ホグベン(Hogben)一家」シリーズがある。カットナーの関与の度合いが薄いものについてはローレンス・オドネル (Lawrence O’Donnell) というペンネームをよく使った。結婚後には単独作は少なく、むしろカットナーの共作者として働いた。カットナー名義の作品の中にもムーアの書いたものが含まれるとも、自身で語っている[2]

有名な合作作品としては「ボロゴーヴはミムジィ」(2007年の映画『ミムジー ?未来からのメッセージ?』の原作)や「ヴィンテージ・シーズン」(1991年の映画『グランド・ツアー』の原作)がある。《ノースウェスト・スミス》シリーズの一編「スターストーンを求めて」も合作している。1956-57年には、「マイケル・グレイ」という精神分析学者が主人公の合作ミステリ小説4作を発表。1957年「新世界の黎明」が最後の長編小説となった。

1958年にカットナーが亡くなると、ムーアはほとんど創作活動をやめ、夫が講師を務めていた南カリフォルニア大学の創作講座を引き継いで4年間勤める。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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