Brown Universityユニバーシティ・ホール
ラテン語: Universitas Brunensis
校訓In Deo Speramus (Latin)
校訓(英語)In God We Hope[1]
学校種別私立大学、セメスター制
設立年1764年
基金$3.07 billion (June 30, 2015)[2]
名誉理事長Thomas J. Tisch
学長Christina Hull Paxson
副学長Richard M. Locke[3]
学生数8,619[4]
学部生数6,182
大学院生数1,974
その他の学生数463 (medical)
所在地米国
ロードアイランド州プロヴィデンス
北緯41度49分34秒 西経71度24分12秒 / 北緯41.8262度 西経71.4032度 / 41.8262; -71.4032
ブラウン大学(英語: Brown University)は、米国ロードアイランド州プロビデンス市に本部を置く、イギリス植民地時代(1764年)に設立された私立大学。アイビー・リーグの一校である研究大学である。
ブラウン大学は、7人のノーベル賞受賞者、一人のフィールズ賞(数学のノーベル賞)受賞者、57人のローズ奨学制度獲得者[8]、5人のアメリカ人文科学勲章(英語版)受賞者[9]、8人の1000億円以上の所得保有者[10]、10人のアメリカ国家科学賞受賞者[11]を輩出している。 ロードアイランド州の州都、プロヴィデンス東部の高台に約60ヘクタールのキャンパスを構える。大学周辺は「イーストサイド」、「カレッジヒル」と呼ばれ、高級住宅街とされる。他のアイヴィー・リーグ諸校のキャンパス同様、自然との融合を重視した設計で、「メイン・グリーン」と呼ばれる芝生公園を中心にキャンパスがデザインされている。 前身の「カレッジ・オブ・ロードアイランド」が、イギリス植民地時代の1764年に国内11番目の大学として設立された。 1804年にニコラス・ブラウンからの寄付金により、現在地であるロードアイランド州プロヴィデンスに移転し、ブラウン大学と改称した。校訓は In deo speramus(ラテン語で「我々は神のもとに希望を持つ」という意味)。アイヴィー・リーグ八校の一つである。 設立当初はバプティスト系の教育機関であった。しかし、同様に宗教系大学として設立されたアイヴィー・リーグ他校と違い、ブラウン大学は設立当初からバプティスト以外の宗教の信仰者も人種や性別に関わらず受け入れることで知られていた。従って、現在のリベラルな校風には歴史的背景がある。現在は、大学としては無宗教でありながら全宗教を受容するという姿勢を採っており、いくつかの宗教のために礼拝場所を提供(例えば、ローマ・カトリック・プロテスタント・仏教の学生団体にManning Chapelの使用を許可)しているなど、幅広い宗教を受容している。[12] 現在の学長は、前任者ルース・J・シモンズ(英:Ruth J. Simmons 学生数は8,020人(学部生5,874人。大学院生2,146人)。 教員数は628人。ブラウン大学の人気の理由には独自のカリキュラムや前衛的な研究、そして教授の質の良さがある。教授陣は世界的にトップクラスの研究者が占める。また、2002年にアイビー・リーグは勿論、主要総合大学として初めて黒人女性を大学総長として迎えたことからもわかる通り、進歩的な政治姿勢を大切にする大学である。従って、保守的なイメージが強い他のアイビー・リーグ諸校と対照的である。生徒は62カ国以上から来ており、国際色が強い。 学生の満足度は全米1位である。[13]他のアイビー・リーグ校にも合格していながら、あえてブラウン大学へと進学する学生も多い。著名人では、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニアがハーバード大学、マシ・オカがハーバード大学とマサチューセッツ工科大学、エマ・ワトソンがイェール大学・コロンビア大学・ケンブリッジ大学、水沢アキの息子である水沢ジュリアン・スィーヒ 毎年受験倍率 また、トップ大学にはSAT (大学進学適性試験)・ACT (The American College Testing Program)
目次
1 キャンパス
2 歴史
3 組織
4 学生
5 教育
6 ランキング
7 関連人物
7.1 主な出身者
7.2 主な教職員
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク
キャンパス
歴史
組織
学生
教育
ブラウン大学は純粋な学問と研究の場を提供することを目標としているため、メディカル・スクールを除き、大学創設以来一貫してビジネス・スクールやロー・スクールあるいは教員養成大学院などの専門職大学院の設置を避け続けている(ただし、2010年からエグゼクティブ用のEMBAプログラムをスペインのIE Business Schoolと開始した[20])。この方針は、ブラウン大学と他のアイビー・リーグ諸校とを明確に識別する対照的な特徴である。そのため、戦後の日本において企業や官庁との提携を通じてその名を知られることになったコロンビア大学やハーバード大学と比較すると、ブラウン大学の日本での知名度は低い。