Billboard_Hot_100
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Billboard Hot 100(ビルボードホット100)は、ビルボードによるアメリカを代表する楽曲人気チャート。毎週火曜日に発表される。日本のメディア等では、全米チャートと称されることもある。

1958年の開始当初から複合チャートであり、当時はシングルセールス、ラジオのエアプレイ、ジュークボックスで構成していたが[1]、現在は、セールス(フィジカル・ダウンロードの売上を合算)、ストリーミング(サブスクリプション・ソーシャルメディアの再生回数を合算)、エアプレイ(ラジオでの放送回数)のデータに基づいて順位が決定される。
集計期間

セールスとストリーミングの集計期間は金曜に始まり木曜に終わり、エアプレイの集計期間は月曜に始まり日曜に終わる。新しいチャートは編集されて、公式に『ビルボード』から発表されるのは次の火曜であり、発表日付はその週の土曜日の表記になっている。

(例)

1月1日(金曜) - セールスとストリーミング集計期間開始

1月4日(月曜) - エアプレイ集計期間開始

1月7日(木曜) - セールスとストリーミング集計期間終了

1月10日(日曜) - エアプレイ集計期間終了

1月12日(火曜) - 新しいチャートが発表、日付は1月16日(土曜)となる

以前のセールスとストリーミングの集計期間は月曜日から日曜日までの間であったが、2015年7月から新譜の発売日がアメリカを含む世界45カ国で金曜日に統一されたため、集計期間が金曜日から木曜日の間に変更された[2]。Hot 100において最初にナンバーワンになった曲は、リック・ネルソンの "Poor Little Fool" である。1958年8月4日のことであった。2011年2月26日付けで、Hot 100は1000曲のナンバーワンヒットを出している。なお、1000曲目のナンバー・ワンはレディー・ガガの『ボーン・ディス・ウェイ』である。2022年テイラー・スウィフトがトップ10を独占し、64年の歴史で史上初の快挙となった[3]
歴史

現在のHot 100になるまでの経緯はどのようなものであったのか。60年以上に渡り存在感のある大きなチャートであり、大半のポピュラーシングルを毎日いくつかの地域で集計しランク付けしているのである。1940年代から1950年代にかけては、ポピュラーシングルは3つの重要なチャートでランク付けされていた。
Best Sellers In Stores(小売店におけるベストセラー)
小売店において最も売れたシングルをランク付けした(20から50位まで存在)。アメリカ国内至る所の小売店が集計したものの報告による。
Most Played By Jockeys(ジョッキーが最も流した曲)
アメリカのラジオ局で最も流れた曲をランク付けした(20から25位まで存在)。ラジオのディスクジョッキーとラジオ局の報告による。
Most Played In Jukeboxes(ジュークボックスで最も流れた曲)
アメリカ中のジュークボックスで最も流れた曲をランク付けした(20位まで存在)。これは、若者層のリスナーの曲の人気度を測る一般的な方法であり、故に多くのラジオ局はロックンロールミュージックを自分たちが流す曲のリストに入れることに対し長いこと抵抗した。

公式には3つのチャートは同じ「重み」を重要性の面で持っていたのだが、多くのチャート歴史家は小売店におけるベストセラーチャートはHot 100を作成するときに曲の実力を計るものとして優先されたと述べている。

『ビルボード』は、ついにはシングル人気チャートを作り上げた。それは全ての面でのシングルの実力を一体化したもの(セールス、エアプレイ、ジュークボックス)であり、ポイントシステムに基づいており、それはラジオでのエアプレイよりもセールスに大きな重みを置いていた。週の終わりである1955年11月12日、『ビルボード』はThe Top 100を初めて発行した。 "Best Sellers In Stores"、"Most Played By Jockeys"、"Most Played In Jukeboxes" の各チャートも新しい "Top 100" チャートと共存して発行されていた。

1957年6月17日、『ビルボード』は "Most Played In Jukeboxes" のチャートを中止した。それは、ジュークボックスの人気が落ちていき、ラジオ局がロック色のある音楽をプレイリストにさらに加え出したからである。1958年7月28日で終わる週は "Most Played By Jockeys" と "Top 100" チャートが発行された最後の週であり、両チャート共にペレス・プラードの「パトリシア」がトップに上昇した。

1958年8月4日付、『ビルボード』は主要な全ジャンルのシングルチャートを公開した。それは "Hot 100" である。"Top 100" に似ているが、最初のHot 100チャートは全ての曲の「チャート週数」を「1」に戻した。Hot 100は素早く業界の標準になり、『ビルボード』は "Best Sellers In Stores" チャートを1958年10月13日付で中止した。

『ビルボード』はその頃からHot 100を制作していて、2020年代の現在でもアメリカにおける曲の人気を計る際の基準となっている。Hot 100は曲のセールスポイントとストリーミングポイントとエアプレイポイントを合わせることでまとめられている。

いくつかのコンポーネントチャートが存在する。チャートの中身はHot 100の集計に含まれる要素の一部分である。最も有名なものを以下に挙げる。
Hot 100 Airplay(ホット100エアプレイ)
(『ビルボード』による)約1000のラジオ局において行われる。「アダルト・コンテンポラリー・ミュージックR&Bヒップホップカントリー・ミュージックロックゴスペルラテン、クリスチャン・ミュージック形式の曲をデジタルで1日24時間、1週間ずっと調べる。チャートは聴衆へ曲が届いた回数で決められ、ラジオの正確なエアプレイ回数をアービトロンの持つリスナーデータを参照にすることで算出している。」1984年10月20日付から公表を開始した。
Hot 100 Singles Sales(ホット・シングルズ・セールス)
(『ビルボード』による)「売れているシングルを小売店、量販店とインターネットによるセールスで計る。そのデータはニールセン・サウンドスキャン (Nielsen SoundScan) によって集められ、まとめられ、供給されている。」ここでいうシングルとはフィジカル・シングル(物理媒体のシングル)のことである。Hot 100 Airplayと同じく1984年10月20日付から公表を開始したが、アメリカにおけるフィジカル・シングルの販売枚数の減少から、2017年11月25日付で終了した。最後の1位作品は、N.I.C.E.の「I Got Angels, Emcee」だった。
Hot Digital Songs(ホット・デジタル・ソングス)
デジタルのセールスは、ニールセン・サウンドスキャンによって集計されていて、その曲のセールスポイントも含まれている。2004年10月30日付から公表を開始した。
ポリシー変更

データの入手・作成方法のポリシーは、チャートの歴史上至る所で何回も変更された。

シングル・ミュージック・チャートの出現により、チャート歴史家、チャート・ウォッチャー、大きく影響された大衆文化、数え切れないほどたくさんのトリビアを生み出してきた。Hot 100の主目的は、音楽産業を作る補助であった。それは「製品」(シングル、アルバムなど)の人気を反映し、大衆市場の傾向をつかむことであった。『ビルボード』は(何度も)集計方法とポリシーを変えてきた。それは、何が人気か最も正確に反映させるためである。一番基本となる例はセールスとエアプレイの比率の変更であろう。Hot 100の初期の時代において、人々が音楽を購入する最も一般的な方法はシングル盤であった。シングル・セールスが伸びると共に、シングルのセールスポイントにラジオのエアプレイより大きな比重が置かれた。

時代は過ぎ、レコード産業はシングル・セールスよりもアルバム・セールスに集中していった。ミュージシャンたちもついには自分たちの作品をシングルよりもフル・アルバムにまとめ、1990年代には多くのレコード会社がシングル発売を完全に止めてしまった(後述のアルバムカットを参照のこと)。曲のエアプレイポイントはセールスより重きを置かれた。『ビルボード』はセールス/エアプレイの比重を幾度となく調節してきた。それは、曲の本当の人気をさらに正確に反映させるためである。
両A面シングル

『ビルボード』は「両A面シングル」と見なされるものの、Hot 100におけるポリシーも何度か変更している。Hot 100チャートの前身 "Best Sellers In Stores" においては、A面とB面を一括でチャートインさせ、より多く流れていた面(他のチャートに基づいていた)を先に表記していた。最も有名な曲の一つとしてエルヴィス・プレスリーの「冷たくしないで」/「ハウンド・ドッグ」がある。プレスリーのシングルがチャートに登場している間、表面は2曲のどちらかが行ったり来たりしていた。しかし、同時に存在した "Most Played By Jockeys"、"Most Played In Jukeboxes"、"Top 100" では他のすべての曲と同様に、2曲は別々にチャートインしていた。1958年のHot 100のイニシエーションにより、前身のTop 100のようにA面とB面は別々にチャートインすることになった。

1969年11月29日付のHot 100チャートから、このルールは変更された。もし、両面ともエアプレイ回数が多ければ、2曲の合算でチャートインすることになった。その結果、ビートルズの「カム・トゥゲザー」/「サムシング」は同日付のHot 100で2曲のポイントが合算されて1位となった。これは、1972年に論争の種となった。それは、大半の大手レコード会社が1960年代以後、一般的に行うようになった「同じ曲をシングルの両面に収録し、ラジオに提供する」という方法のためである。

もっと複雑な問題が出てきた。典型的なA面、B面フォーマットが12インチシングルやマキシシングルで発売されるようになって、多くのそういったシングルはB面に2曲以上収録するようになった。さらなる問題としては数例において、B面曲がA面曲を人気で上回ってしまった場合があった。そういう場合、すぐにレコード会社は新しいシングルを出した。元々のB面曲がA面曲となり、「新しい」B面曲が一緒に収録された。

アルバムカットをHot 100に含めることによって両面ヒットは消滅した。
アルバムカット

Hot 100チャートのポリシーの多くは長年かけて改められてきたが、変わらないルールがあった。シングルとして発売されない曲はHot 100へのチャートイン資格がないというルールである。しかし、1998年12月5日、Hot 100は「シングル」のチャートから「楽曲」のチャートに替わった。1990年代、アメリカの音楽産業におけるトレンドは「シングルを発売せず、アルバムから収録曲をラジオ向けにプロモートする」というものであった。大手レコード会社は、シングルの発売によりアルバムの売り上げが落ちることを恐れ、ゆっくりとフェードアウトさせていった。この時期は、チャート操作に対する非難が始まった。それはレーベルがシングルの発売をエアプレイのピークまで遅らせることで、初登場トップ10や一部の例では初登場1位が誘発されていたことである。


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