Berkeley_Software_Distribution
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「BSD」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「BSD (曖昧さ回避)」をご覧ください。

Berkeley Software Distribution
開発者CSRG, UCB
プログラミング言語C
OSの系統UNIX
開発状況休止(派生版は継続)
ソースモデル歴史的にはクローズドソースで、徐々にオープンソースに移行
初版1977年
最新安定版4.4-Lite2 / 1995年
使用できる言語英語
プラットフォームPDP-11VAXIntel 80386
カーネル種別モノリシックカーネル
ユーザランドBSD
既定のUIキャラクタユーザインタフェース
ライセンスBSDライセンス
ウェブサイトN/A
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Berkeley Software Distributionは、1977年から1995年までカリフォルニア大学バークレー校 (University of California, Berkeley, UCB) の Computer Systems Research Group (CSRG) が開発・配布したソフトウェア群、およびUNIXオペレーティングシステム (OS) を言う。略称はBSD(ビーエスディー)。なお、今日「BSD」という名称は同OSを元に開発されたBSDの子孫の総称として使われることもあるが、この項では主に前述のUCBによるソフトウェア群およびOSについて述べる。

元となったコードベースと設計はAT&TのUNIXと共通であるため、歴史的にはBSDはUNIXの支流 "BSD UNIX" とみなされてきた。1980年代、ワークステーションクラスのシステムベンダーがプロプライエタリなUNIXとしてBSDを広く採用していた。例えば、DECUltrixサン・マイクロシステムズSunOSなどである。これは、ライセンス条件の容易だったためと、当時の多くの技術系企業の創業者がBSDを熟知していたためである。

それらプロプライエタリ (proprietary:非公開 ) なBSD派生OSは、1990年代にはUNIX System V Release 4OSF/1に取って代わられ(どちらもBSDのコードを取り入れており、他の現代のUnixシステムの基盤となった)、後期のBSDリリースはいくつかのオープンソース開発プロジェクトの基盤となった。例えば、FreeBSDNetBSDOpenBSDDragonFly BSDなどが今も開発中である。さらにそれら(の全部あるいは一部)が最近のプロプライエタリなOSにも採用されている。例えば、WindowsTCP/IPコード(IPv4のみ)やApplemacOSである。
歴史UNIX系統図
PDP-11版

ベル研究所は1970年代に初期のUnixをソースコードも含めて配布し、大学の研究者らがUnixを修正・拡張できるようにした。バークレーでの最初のUnixシステムはPDP-11を使ったもので、1974年にインストールされ、計算機科学科が様々な研究に使用した。

他の大学はバークレーで改良されたソフトウェアに関心を寄せるようになり、当時バークレーの大学院生だったビル・ジョイが1977年、それらを first Berkeley Software Distribution (1BSD) としてまとめ始め、1978年3月9日にリリースした[1]。1BSDは独立した完全なOSというよりも Sixth Edition Unix へのアドオンであり、その主なコンポーネントはPascalコンパイラとジョイが開発したラインエディタ ex(英語版) だった。

1979年5月にリリースとなった Second Berkeley Software Distribution (2BSD)[2]は、1BSDのソフトウェアの更新版だけでなくジョイが新たに開発した vi エディタ(exのスクリーンエディタ版)と C Shell も含まれていた。

2BSDの後のリリースでは、PDP-11アーキテクチャからVAXベースへとプラットフォームが変化している。1983年の2.9BSDには4.1cBSDからのコードを含んでおり、それまでアプリケーションとパッチの集まりだったものが初めて完全なOS(Version 7 Unix の修正版)のリリースとなった。2BSDの最終版は1992年にリリースされた 2.11BSD である。2008年現在、2BSD用のパッチ447が2008年12月31日にリリースされており、ボランティアによる保守が続いている[3]
VAX版

1978年、UnixをVAXアーキテクチャに移植した UNIX/32V がバークレーのVAXにインストールされたが、これはVAXの仮想記憶機能を生かしたものではなかった。32Vのカーネルをバークレーの学生達が大幅に書きかえて仮想記憶を実装し、2BSDのユーティリティ群をVAXに移植したものと32V由来のユーティリティ群をまとめて完全なOSとしたものが 3BSD として1979年末にリリースされた。3BSDは、Virtual VAX/UNIX または VMUNIX (Virtual Memory Unix) とも呼ばれ、BSDのカーネルイメージは4.4BSDまで /vmunix と呼ばれるようになった。

3BSDに注目した国防高等研究計画局 (DARPA) は、バークレーの Computer Systems Research Group (CSRG) に資金提供することを決め、CSRGにDARPAの研究プロジェクトである VLSI Project のための標準Unixプラットフォームを開発させることにした。1980年、CSRGは3BSDに様々な改良を加えた 4BSD をリリースした。

4BSD(1980年11月)が3BSDに加えた改良としては、既にリリース済みだったcshでのジョブコントロール(英語版)、delivermail(sendmailの前身)、高信頼のシグナルcursesライブラリなどがある。

4.1BSD(1981年6月)は、VAXの主要OSであるVMSに比べてBSDの性能が悪いという批判に応えたものだった。ビル・ジョイは4.1BSDカーネルがVMSといくつかのベンチマークで互角になるまで体系的に性能強化を施した。当初 5BSD と呼ぶ予定だったが、AT&TUNIX System V との混同を恐れて異議を唱えたため、4.1BSD となった[4]

4.2BSDはいくつかの大きな改修を行い、リリースまで2年以上かかった。4.2BSDがリリースされるまでに中間バージョンが3度リリースされている。4.1a はBBNの予備的なTCP/IP実装を導入している。4.1b はマーシャル・カーク・マキュージックが実装した Berkeley Fast File System を導入した。4.1c は4.2BSDの数カ月前にリリースされた中間バージョンである。

4.2BSDの設計方針を決定するため、DARPA は運営委員会を立ち上げた。委員にはUCBからボブ・ファブリー、ビル・ジョイ、サム・レフラー、BBNからアラン・ネメス、ロブ・ガーウィッツ、ベル研究所からデニス・リッチースタンフォード大学からキース・ランツ、カーネギーメロン大学からリチャード・ラシッドMITからバート・ハルステッド、ISIからダン・リンチ、UCLAからジェラルド・J・ポペックが参加した。この委員会は1981年4月から1983年6月まで会合を開いていた。

4.2BSDは1983年8月に正式リリースされた。実は、リリース前の1982年にはビル・ジョイが大学を離れてサン・マイクロシステムズを共同創業している。その後はマイク・カレルズとマーシャル・カーク・マキュージックがプロジェクトリーダー的役割を果たした。また、4.2BSDのリリースと同時にジョン・ラセターの描いたBSDデーモンというマスコットもデビューした。最初の登場はUSENIXで配布されたマニュアルの表紙である。
4.3BSD


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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