Bellissima!
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『Bellissima! ベリッシマ』
ピチカート・ファイヴスタジオ・アルバム
リリース1988年9月21日 (1988-09-21)
ジャンル

ロック

ソウルミュージック

ジャズ

ポップス

レーベルCBS/SONY
プロデュース

小西康陽

高浪慶太郎

田島貴男

チャート最高順位


97位(オリコン

ピチカート・ファイヴ アルバム 年表

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couples

(1987年 (1987))


Bellissima!

(1988年 (1988))


女王陛下のピチカート・ファイヴ ?ON HER MAJESTY'S REQUEST?

(1989年 (1989))



『Bellissima!』収録のシングル

ベリッシマep
リリース: 2017年2月22日 (2017-02-22)

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『Bellissima!』(ベリッシマ)は、1988年9月21日 (1988-09-21)に発売されたピチカート・ファイヴ通算2作目のスタジオ・アルバム
解説

制作に携わった人たちすべてから“大傑作”との賞賛を得たにもかかわらず、1987年リリースの前作『couples[注釈 1]はセールスで充分な結果を残せなかった。アルバムリリース同月に行われたライブ[注釈 2]の翌々日、次のアルバムの打合せに訪れたプロモーション・スタッフの御領博と、ディレクターの河合マイケルからヴォーカリスト交代を示唆された小西康陽は約1か月間悩んだ末、ヴォーカル佐々木麻美子と、作風が異なり始めていた鴨宮諒を、当時既にオリジナル・ラヴを率いてインディーズで活動を開始していた田島貴男と交代することに決めた。そして1988年2月5日 (1988-02-05)、渋谷ラ・ママでのオリジナル・ラヴのライブ終演後、小西が田島にピチカートへの加入を要請した[1]

その時の様子を田島は「『ATTACK OF... MUSHROOM PEOPLE』[注釈 3]の続編でクリスマス・アルバム[注釈 4]の企画があって、その時はすでにオリジナル・ラヴ名義で参加したんですよ。そのとき一緒に参加していたのが小西康陽さん。小西さんが僕らのこと、すごく気に入ってくれてね。僕の才能を“すごい”って言ってくれる人が出たっていうんで、僕もすごくうれしくてさ。それでピチカート・ファイヴのヴォーカルをやらないかって言われたんですよ。で、オリジナル・ラヴも同時にやれるならやりますって答えたんです。そのとき、僕の中で“ポップス”を作りたい気持ちが強くなってきていて。ピチカートもその時は“ポップス”ってことをすごく考えていたから。じゃ、3人で作っていこうってことになったんです」「ピチカートに入るちょっと前からソウルが好きになって。その頃はソウル・ミュージックばかり聴いていたんですよ。それで小西さんから『田島くん、次はどういう音楽をやったらいいと思う?』って聞かれて。最初はやっぱり『カップルズ』[注釈 1]の延長線上みたいな感じかなって話だったんですけど、やっぱり僕はソウルをやりたいですって言って。それで、小西さんがピチカート流のソウルっていうのはこういうのじゃないかって、フィリー系のものとか、スモーキー・ロビンソンとかいろいろ出してきて。そこから『ベリッシマ』を作り始めたんです。レコーディング前にデモをたくさん作ったんですけど、その時っていうのは僕がソウルっぽい曲をちょうど書きはじめた頃でしたね。まだ本当にできかけっていう段階だったんですけど」[2]と、後年インタビューで答えている。

田島を新メンバーに迎えてのピチカート・ファイヴは、このアルバムのためのリハーサルからスタートした。リハーサル中に生まれた大滝詠一作品<指切り>のカヴァーは、このセッションの初日にレコーディングされたにも拘らず、小西曰く“作詞者である松本隆氏の気まぐれにより”[3]本作への収録は見送られ、『月面軟着陸[注釈 5]でようやく日の目を見た[注釈 6]

アルバム・タイトルについて小西は「かっこいいじゃないってとこから、ってそれはウソですけど、それは大きいですね。『ベリッシマ』っていうと知ってる人はヴィスコンティの映画『ベリッシマ』を思い出すらしくて、僕もあの映画は大好きなんだけど、直接あの映画のイメージで考えてたわけじゃなくて、このタイトルにしようと思ったのは去年の夏に草月ホールで映画の上映会観た時に、リチャード・レスターが『ヤァ・ヤァ・ヤァ』を撮る前に撮った映画で、くだらないロック映画だったんだけど、その中で『ベリッシマ』っていう歌が出てきて、“素敵な男はベリッシモ、かわいい女の子はベリッシマ”みたいなね、すごいくだらない歌詞だったんだけど、その時に“あ、この言葉いいな”って思ってね、ちょうどイタリアっぽい何かっていうのを考えてたから、例えばフェリーニとかアントニオーニとかの軽くてオシャレな感じとね、重たくて不毛な感じとのギャップがあるものがひとつにあるような感じ。音は軽くて聴きやすいのに歌詞とか聴き終わった後の感触がすごく重たくて暗い感じになっちゃうみたいなものを作ってみたいと思っていたから、ちょうどいいタイトルだなって思って」[4]と、リリース直後のインタビューで答えている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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