BURRN!
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BURRN!
愛称・略称バーン、B!、B!
ジャンル
ヘヴィメタル全般
刊行頻度月刊
発売国 日本
言語日本語
定価820円
出版社シンコー・ミュージック(1984?1990)
バーン・コーポレーション(1991?2013)
シンコーミュージック・エンタテイメント(2013?)
編集部名BURRN!編集部
発行人草野夏矢
編集長酒井康(1984?1993)
広瀬和生(1994年1月号?)
編集顧問伊藤政則
刊行期間1984年9月5日 -
姉妹誌METALLION
BURRN! JAPAN

BASTARDS!
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BURRN!(バーン)は、ハードロック/ヘヴィメタル、その中でも洋楽を中心に紹介する音楽情報系専門月刊誌。編集・発行はシンコーミュージック・エンタテイメント。毎月5日発売。
歴史

1984年9月5日、日本初のヘヴィメタル専門誌として創刊。創刊当時は「別冊ミュージック・ライフ」であった。創刊号の表紙は、オジー・オズボーンジェイク・E・リー[1]。初代編集長は、元ミュージック・ライフ副編集長の音楽評論家・酒井康

国内外の“ヘヴィメタル”全般を扱っているものの、洋楽雑誌という体裁をとっていることから、2014年11月号で30周年を迎えた後も日本のバンドやミュージシャンが表紙になったことは1度も無かったが[注釈 1]、2016年1月号、日本人アーティストとして初めて、LOUDNESS高崎晃が表紙を飾った[2]。その後も少数ではあるが2018年2月号のLOUDNESS、2019年4月号のANTHEM、2019年6月号(令和第1号)ではインタビュー初掲載となるB'z[3]が表紙を飾っている。2021年3月号には、1985年11月号でのデビュー・アルバムのレビュー以来、直接の接点が無かった聖飢魔IIが表紙を飾った。

1990年代前半より、発行及び編集は酒井が社長を務めるバーン・コーポレーションが手がけていたが、2013年11月号より元のシンコー・ミュージックによる発行となった。それに伴い、関連ラジオ番組の『Heavy Metal Syndicate』もBURRN!の手から離れ[4]、誌面上から(発行人としての)酒井の名もBURRN!から消え、発行人には現シンコーミュージック・エンタテイメント社長の草野夏矢が記載されている。

編集部の奥野は、酒井の会社は2013年9月下旬の時点で無くなっていること[5]、酒井が2011年頃に出した「改革案」[6]に対しても否定的な意見を残すなど、編集部内で確執があったことをTwitterで明かしている[7][8]

1986年5月号で、編集顧問の伊藤政則の事務所に当時所属していたANTHEMの「VICTIM IN YOUR EYES」のソノシートが収められていたことがあったが、以降音源の付録は無かった。2014年9月号でMR. BIGの未発表曲CDの付録が、発売前に公式にアナウンスされた[9][10]
特徴

創刊時のキャッチコピー:「日本初のヘヴィメタル専門誌、BURRN!」現在のキャッチコピー:「THE WORLD'S HEAVIEST HEAVY METAL MAGAZINE, BURRN!」

人気企画であるアルバム・レビューでの最高得点は、99点を獲得した『KAIZOKU-BAN』(1986年、アクセプト)、『5150』(1986年、ヴァン・ヘイレン) 、『WILD FRONTIER』(1987年、ゲイリー・ムーア)、『HYSTERIA』(1987年、デフ・レパード) 、『IOWA』(2001年、スリップノット)の5作。

最低点の0点を出したアルバムは、『聖飢魔II?悪魔が来たりてヘヴィメタる』(1985年、聖飢魔II[11]、『I LIKE IT WHEN YOU DIE』(1997年、A×C×)。レビューが原因でアーティストとトラブルが起きた事もある(例:ストラトヴァリウス)。

1989年から2012年まで「ROCKOMANGA!」を連載していた喜国雅彦によると酒井時代のBURRN!の特徴として「日本のバンドを載せない」「お笑いは許さない」という空気が編集部内で強く[注釈 2][12]、80年代当時に日本代表であるLOUDNESSをロクに載せなかったことを不思議に思っていたと語っている[ep 1]。喜国は漫画を連載する条件の一つとして酒井から「日本のミュージシャンはダメ」と言われたとのことである[12]。但し、編集長が広瀬に交代してからは日本のバンドインタビューもBURRN!誌上に増え、喜国も日本のバンドの情報(主にライブレポート)を執筆する様になった。酒井時代の方針の一つであった「お笑いは許さない」に関して、ギャグ漫画家である喜国をBURRN!編集部(増田勇一)に紹介したのは、喜国の友人で当時ZIGGYのベーシストであった戸城憲夫との事で、戸城はZIGGYのライブ後の楽屋で喜国、増田との会話で「BURRN!は誌面が固すぎるから喜国さんの漫画みたいなくだけた物があった方がいい」と増田に進言し、増田はその後酒井に交渉。上記の「日本のバンドを載せない」という条件で連載が決まった[12]

2012年5月号でページ数の削減、コラムの殆どが終了している。同号発売と同時にTwitterアカウントを取得。2018年には公式サイトである「BURRN! ONLINE」を立ち上げた。
発行部数

1989年当時の酒井のコラムやインタビューによれば、創刊号の初回発行部数は45,000部で、発売と同時に売り切れた事により新たに10,000部を再版[ep 2]。1989年の時点で国内発行部数107,000部、海外輸出部数35,000部で合計142,000部[ep 3]。広瀬によると日本市場でのBURRN!の発行部数やヘヴィメタルバンドのアルバムの売り上げピークは1997年とのことである[ep 4]。一般社団法人 日本雑誌協会によれば2013年?2014年にかけての発行部数は100,000部であると発表されている[13]
お家騒動

2013年10月、編集部の前田、奥野のTwitter及び同年10月5日発売の「BURRN!」11月号巻末の編集後記にて、編集・発行ともにシンコー・ミュージックになったことが発表される。前田や奥野の証言によれば、2012年に多くのコラムを終了させた原因は、当時社長・酒井の改革案[6]であるとし、前田、奥野の二人は酒井から呼び出しを受け、「この俺(酒井)の案が受け入れられない場合は今後の身の振り方を考えろ」と釘を刺されたと明かしている[14]。酒井自身は、社長業だけでなく上記の改革案を元に再び「BURRN!」編集長に返り咲き、改革案に賛成できない人物を左遷し、それでも部数が伸びないのなら休刊にしようという考えを持っていた[15]。しかし、この酒井の考えた自分勝手な改革案に編集部内で反発が起きた。2012年に藤木が一時的に編集部から外された件に関しても、人員削減と称して酒井個人が気に入らない部員を外したこと[16]、日本のバンドの扱いが悪かったのも酒井の方針であったことを暴露。

結果として2013年9月にはバーン・コーポレーションが閉鎖、酒井及び『Heavy Metal Syndicate』も「BURRN!」とは無関係になり[4]、酒井はシンコーの社員として勤務しているという[17]。前田は、酒井の改革案をそのまま受け入れていた場合、雑誌は確実に休刊していたと批判[18]、他にも、酒井がTwitterで『Heavy Metal Syndicate』のアカウントを取得しておきながら番組の宣伝もせず突如鍵をかけたり、「リツイートする者はブロックする」などと発言したことに関して批判的なコメントを残し、ブロック対象者はリツイートした番組のリスナーだけでなく「BURRN!」編集部員にまで及んでいたことも暴露している[19]

こうした酒井への批判は前田、奥野だけでなく、かつて編集部員だった増田も、「BURRN!」2013年10月号での広瀬との対談で酒井のことをあえて“先代”と呼び、「表紙にするアーティストのルックスに関しても先代が好む“正しいヘヴィメタル”像でないと納得しないというものがあった」とし、例として当時パンテラフィル・アンセルモに柔道着を着用させた表紙[ep 5]も酒井が短髪・短パン姿のメタルバンドを認めたくなかったが為に苦肉の策であった事、酒井を満足させる為に作っていた側面があったことも明かしている[ep 6]

また、酒井の名が消えた2013年11月号の編集後記内に記載された広瀬の選曲リストの中には、NoGoDの「愚かな王」、クイーンズライクの「Revolution Calling」、レインボーの「Kill The King」、アイアン・メイデンの「Hallowed Be Thy Name」が挙げられている[ep 7]

なお、酒井は「BURRN!」編集部から追い出されたことに関するコメントを一切残しておらず、唯一のメディア出演となっていた『Heavy Metal Syndicate』も2014年の6月を最後に23年5か月の歴史に幕を降ろした。


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