BNF_(識別子)
[Wikipedia|▼Menu]

フランス国立図書館
Bibliotheque nationale de France

創設1368年
所在地パリ
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度50分01秒 東経2度22分33秒 / 北緯48.83361度 東経2.37583度 / 48.83361; 2.37583座標: 北緯48度50分01秒 東経2度22分33秒 / 北緯48.83361度 東経2.37583度 / 48.83361; 2.37583
収蔵情報
収蔵数30,000,000品 (14,000,000点の本などの出版物)[1]
利用情報
貸し出し人数2,101,816人(パリ
その他
予算額254,000,000?[1]
館長ロランス・アンジェル
職員数2,700人
ウェブサイト ⇒bnf.fr

フランス国立図書館(フランスこくりつとしょかん)(: Bibliotheque nationale de France[† 1]、略称:BnF)は、フランスパリを中心とした国立図書館である。1367年シャルル5世によって創立された王室文庫 (Bibliotheque du Roi) を起源とする。フランス革命により国立図書館 (Bibliotheque Nationale) となり、以後帝政期には帝国図書館 (Bibliotheque Imperiale) などとも呼ばれたが、1994年に現在の名称であるフランス国立図書館となった。

1区パレ・ロワイヤル北側至近に位置し、2区リシュリュー通り(フランス語版)にあるリシュリュー館(旧館)を母体とし、2014年現在は7つの施設で構成される。その中でも1994年に完成した13区のベルシー地区(トルビアック地区)にあるフランソワ・ミッテラン館が中心的な施設となっている。このほか、世界中から閲覧できる電子図書館「ガリカ」も運営している。現在も有効な1537年の法令により、フランス国内で出版される全ての印刷物は、必ず1部この図書館に保存されることになっている。図書館には1000万を超える書籍と35万束の手稿・写本に加え、地図コイン文書版画レコードなどが所蔵されている。
歴史リシュリュー通り旧館の19世紀または20世紀初頭の様子
王家の図書館

フランス王室の図書室はルイ9世(聖王)まで遡ることができ、それ以前のカール大帝の息子、ルイ敬虔王所蔵の写本も現存するが、一般にはシャルル5世の収書が国立図書館の起源とされる。しかしフランス革命以前の図書館は王の個人的な蒐集物であり、現在の開かれた図書館ではなく、また相続により蔵書が散逸することもあった[2]

シャルル8世イタリア戦争により、アラゴン王家から蔵書を没収し、次代のルイ12世も戦争で没収した書物で図書館を大きくした。フランソワ1世は、さらに1544年ルイ12世が創設したブロワ図書館から1890冊の図書をフォンテンブローに運ばせて、ヨーロッパ随一の図書館を造った。ギリシア学者ギヨーム・ビュデ司書長にE.ロッフェを製本師長に任命したフランソワ1世は、1537年モンペリエ勅令で印刷本の納本制度を作って領土内で印刷された本を集め、現在の図書館における基礎を確立した。納本制度の主要な目的は現在では出版物の保存にあるが、当時は検閲を目的としていた[3]リシュリュー通り旧館の手稿閲覧室

フランソワ1世の嗣子アンリ2世も立派な装幀を愛する集書家であった。続くシャルル9世アンリ3世は集書に関心を示さなかったが、シャルル9世はフォンテンブロー宮殿の図書をパリに移した。アンリ4世はカトリーヌ・ド・メディシスの古写本の収集を王室図書館に加え、サン・ドニ修道院からカール禿頭王所蔵であった聖書を買っている[4]

ルイ14世ジャン=バティスト・コルベールも集書に努力し東洋の写本、文献も集まるようになった。1667年には12万点もの版画を購入し収めている[5]。『千夜一夜物語』の翻訳で知られるアントワーヌ・ガランらの蔵書も王室図書館に入った。1684年から1718年に死ぬまで図書館を管理したルーボア神父は写本300冊を遺贈し、1719年にはクロード・ソメーズのノートと写本630、エティエンヌ・バリューズの集めた写本957、古文書700、手稿7笥が購入された。コルベールの造った東インド会社1723年中国から漢籍1800部を7箱に詰めて贈ったという。フランス革命前には刊本の蔵書は15万冊以上となっていた[4]
フランス革命


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:55 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef