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出典検索?: "BMG JAPAN" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年3月)
株式会社BMGJAPAN
BMG JAPAN, INC.本社が入居していたSME六番町ビル
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
〒102-8353
東京都千代田区六番町4番地5
SME六番町ビル
設立1987年9月21日
(登記上の設立日は1989年8月7日)
業種情報・通信業
事業内容音楽ソフトウェアの企画・制作および販売、著作権管理
代表者代表取締役 佐久間救
資本金41億1,500万円
主要株主株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント 100%
関係する人物堂山昌司(元副社長)
外部リンクSony Music Online Japan
特記事項:2009年10月解散[1]。
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株式会社BMGJAPAN(対外表記:株式会社BMG JAPAN[注釈 1]、ビーエムジージャパン、BMG JAPAN, INC.)は、1987年から2009年まで存在したソニー・ミュージックエンタテインメント日本法人(以下SMEJ)傘下のレコード会社である。2008年9月まではSME米国法人(旧:ソニーBMG・ミュージックエンタテインメント、以下ソニーBMG)の日本法人でもあった。本社は東京都千代田区六番町にあった。
法人格は異なるものの、当社の所在地と規格品番は、株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ(以下SML)の社内レーベル「Ariola Japan(旧:株式会社アリオラジャパン)」が引き継いでいる。 旧BMGジャパン( ← BMGビクター ← RVC ← ビクター音楽産業・RCAレコード事業部 ← 日本ビクター・RCAレコード事業部)とファンハウスからなる。 親会社のソニーBMGはコピーコントロールCD(以下CCCD)を積極的に導入した一方、BMGの日本法人であった当社は、2002年7月に導入予定であったが最終的に導入を見送り、その後もCCCDを全く導入しない姿勢を堅持した。 2008年10月に、ソニーBMGがソニー(初代法人、現:ソニーグループ)の完全子会社となったことに伴い、当社もSMEJの完全子会社になった。SMEJ傘下後は、SMEJが音楽協力で関わっているアニメのテーマソングに所属アーティストの楽曲が起用されるようになった。 1975年9月21日、米国RCAレコード(現:米国ソニー・ミュージックエンタテインメント)と日本ビクター(現:JVCケンウッド)、ならびにビクター音楽産業(現:ビクターエンタテインメント〈二代目法人〉)の合弁会社としてRVC株式会社(RCA Victor Corporation)[注釈 2]を設立。旧日本ビクター音楽レコード事業部の、かつて「S盤」と呼ばれていたRCAレーベル部門をそのまま継承した。 1986年に親会社の米国RCA社(現:仏ヴァンティヴァ社)が経営危機に陥り、子会社のRCAレコードがベルテルスマン(BMG Music、西独)の傘下に入ったことにより、1987年にRVCは後述するBMG Musicの日本法人であるBMGビクターに事業を譲渡して解散する。 東芝EMI(現:ユニバーサル ミュージック ジャパン)に制作ディレクターとして勤めていた元ザ・リガニーズの新田和長が1984年4月に独立し、東芝EMIの全額出資を受けて株式会社ファンハウス(FUN HOUSE, INC.)を設立。新田と関わりがあったJ-POPや歌謡曲系の音楽家が東芝EMIから移籍[注釈 4]。東芝EMIが販売元となった。 1988年、東芝EMIにディレクターとして勤務していた石坂敬一[注釈 5]が同社取締役[注釈 6]に就任すると、新田は東芝EMIから全株を取得し、4月にインディーズ系のレコードレーベルとする。 のちに東急グループの傘下となり、Bunkamura内で「TOKYU FUN STUDIO」を設立[注釈 7]。ポップス系等の販売元をポリドール等に移管したが、歌謡曲やタイアップ系等のレコード・CD等は東芝EMI等からの販売が継続された。 1993年に、録音スタジオが設置された自社ビルを恵比寿に、滞在リゾート型の録音スタジオを札幌芸術の森に隣接する「札幌アートヴィレッジ地区」にそれぞれ竣工。バブル崩壊後共に売却したが建物はスタジオを含め現存。札幌のスタジオはビートルズのプロデューサー「ジョージ・マーティン」が監修した。 1996年3月に、東急グループから離脱。BMGビクターの子会社となり、全作品の販売元を同社に移管して出資母体のビクターエンタテインメント(初代法人)が流通を担当。同時に録音部セクションが独立し「株式会社バーディハウス」として運営開始。恵比寿の旧本社のスタジオおよびBunkamuraの「Bunkamura Studio」(旧TOKYU FUN STUDIO)の運営管理および録音・マスタリング・アーカイブ業務を行っている。札幌市のスタジオは閉鎖状態を経て、2008年に札幌市のイベント会社「WESS」および松山千春の個人事務所「オフィス・ゲンキ」が買取。「芸森スタジオ」としてリニューアル・オープンした。運営は、WESSおよびオフィス・ゲンキの他にCREATIVE OFFICE CUE、ランタイムミュージックエンタテインメント、クリプトン・フューチャー・メディア、デジタルガレージ等が出資した会社「株式会社SAVE」が行なっている。
概要
沿革
RVC
ファンハウス旧恵比寿本社 -「株式会社バーディハウス」と「ヒットユニオン株式会社」[注釈 3]が入居している。地上3階・地下2階の構造で、地下2階まで吹き抜けを通すことで日照を確保している[2]。