BLANKEY_JET_CITY
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BLANKEY JET CITY
出身地
日本愛知県
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ガレージ・ロック[1]

ニュー・ウェイヴ[1]

オルタナティヴ・ロック[1]

パンク・ロック[1]

活動期間1987年 - 2000年
レーベル

東芝EMI(1990年 - 1997年)

ポリドール(1997年 - 2000年)

共同作業者土屋昌巳プロデューサー
公式サイト ⇒BLANKEY JET CITY OFFICIAL WEB

旧メンバー

浅井健一ボーカルギター

照井利幸ベース

中村達也ドラムス

BLANKEY JET CITY(ブランキー・ジェット・シティ)は、日本の3人組ロックバンド

1987年2月に結成、2000年に解散。略称はBJC、ブランキー。
メンバー

浅井健一(あさい けんいち〈愛称:ベンジー〉、愛知県出身、1964年12月29日 - )ボーカルギター
ほぼ全ての楽曲において作詞・作曲。

照井利幸(てるい としゆき、愛知県出身、1964年2月28日 - )ベース

中村達也(なかむら たつや、富山県出身、1965年1月4日 - )ドラム

来歴
1980年代

名古屋で浅井、照井がスキャッツというバンドで活動。その後浅井が上京し、友人である中村と活動を共にする。しばらくして中村が所属していたF.O.A.Dのツアーに運転手として雇われていた浅井が照井と名古屋で再会。それがきっかけで照井も上京。
1987年


2月 - 浅井・照井がバンドとして活動を開始する際に、中村が加わり「THE BLANKEY JET CITY」を結成。結成当初は他のドラマーがおり、中村はバンドのマネージャーをしていたが浅井、照井、中村の3人でセッションして手応えを感じたことからその後中村はドラマーとして正式にメンバーに加入。

1990年


8月4日 - 中村達也の提案で「イカ天」に出演[2]。これが彼らのテレビ初出演となった。1週目に「CAT WAS DEAD」を演奏、COLLAGEを下し、25代目イカ天キングとなった。2週目には、「MOTHER」を演奏。この週は有機生命体を5-2で下し、イカ天キングを保持した。そして3週目は、「不良少年のうた」を演奏し、So What!に7-0で勝利。4週目は、「僕の心を取り戻すために」を演奏し、審査員に好評だったウェザーコックスに7-0で勝利。そして最後の5週目は、「狂った朝日」を演奏、CHICK BEに勝利、5週連続勝ち抜きを果たし、第6代グランドイカ天キングを獲得し東芝EMIと契約。デビュー前に山本耀司パリコレのモデルやウォークマンのCMに出演。

1991年


4月 - ロンドンでレコーディングされたデビュー・アルバム『Red Guitar And The Truth』を東芝EMIからリリース。オリコン初登場8位と好セールスを記録したが、プロデューサーであったJEREMY GREENとの意見が合わず、不満の残る仕上がりとなった[3]。当初プロデュースはビル・プライスを予定していたが条件が合わず、プライスのアシスタントだったJEREMY GREENが担当した。

6月 - 神宮プールで行われた「東京コレクション」に登場。デニス・ホッパーと同じステージに立つ。

1992年


1月 - 2ndアルバム『Bang!』をリリース。同アルバムから土屋昌巳がプロデュースを担当。「RAIN DOG」「SOON CRAZY」「ディズニーランドへ」など解散まで主要レパートリーとして取り上げる代表曲を多数収録し、オリコン初登場7位を記録する。

2月 - ミュージックステーション初出演を果たし、「とにかく全ての人たちに自分たちの曲を聴いて欲しい」というメッセージと共に「冬のセーター」を演奏した。ちなみに浅井はタモリと一言も会話を交わさなかった。この時制作されたバンドロゴのセットはその後のライブでも使用された。

9月 - ライブ・アルバム『Live!!!』をリリース。同年5月4日の渋谷公会堂でのライブを収録。CDには収録されなかったがアンコールにてPUNKY BAD HIPの原曲となる「たちの悪い友達」を披露する。

11月 - 初期の代表曲「悪いひとたち」をシングルとしてリリース。歌詞に「麻薬」という言葉が入っているため東芝EMIからはリリースされず、バンド自身の事務所であった「東京ピストル」からリリースされた。後に3rdアルバム『C.B.Jim』に収録されたものとは別バージョンであり、ストリングスが後半部分にダビングされていない。

1993年


2月 - 3rdアルバム『C.B.Jim』をリリース。

12月 - ミニ・アルバム『Metal Moon』をリリース。

1994年


5月 - 4thアルバム『幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする』をリリース。この頃にバンド名から定冠詞「THE」が抜け「BLANKEY JET CITY」と名乗るようになる。

12月 - 初の日本武道館ライブを行う。

1995年


3月 - ベスト・アルバムTHE SIX』をリリース。これにはデビュー・アルバム『Red Guitar And The Truth』から新録された4曲(唯一、「不良少年のうた」は「Rude Boy」という曲名に変わっている)、更に「悪いひとたち」の完全バージョンが収録されている。このバージョンは『C.B.Jim』に収録されたバージョンの完全版である(ストリングスが導入され、「麻薬」という単語がカットされていない)。

6月 - イングランドにて初の海外ライヴを行う。結成当初より個性の強い3人が激しくぶつかり合う音楽性のため、解散の話は絶えず出てきたが、このロンドンツアーにて一度解散を決意。5thアルバム『SKUNK』完成後、同年8月に行われる代々木公園でのライブを最後にする予定[要出典]であった。

8月 - 代々木公園野外ステージにて「Are You Happy?」と題されたフリーライヴを敢行。13000人もの動員を記録した。この時のライブの出来がメンバー3人にとって会心の出来だったため、解散の予定が消滅する[要出典]。

11月 - 5thアルバム『SKUNK』をリリース。前作のオーバープロデュースの反動から、途中からほぼバンド自身のセルフプロデュースとなり、本作を最後に、土屋昌巳のプロデュースから離れる。ロンドンでのレコーディング風景は「ARE YOU HAPPY?」に収録。

1996年


メンバーそれぞれがソロプロジェクトを始動させる。浅井は「SHERBET(後にSHERBETSとなる)」、照井は「Joe Brown」、中村は「LOVE SHOP LOSALIOS(後にLOSALIOSとなる)」として活動。

1997年


初のセルフプロデュースとなる6thアルバム「LOVE FLASH FEVER」をポリドールよりリリース。

1998年


1月 - 東芝EMI在籍時楽曲を集めたベスト・アルバム「国境線上の蟻」リリース。


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