デビュー当時から1994年初期までは、「THE BLANKEY JET CITY」であった。サインを書く際に面倒であるためTHEが抜けた。 浅井と中村は、中村の所属するバンドを浅井が観客として観に行く形で出会い、浅井と照井は名古屋のディスコで出会った。初期から中期にかけては浅井と照井がセッションを行って作曲を進めていくことが多かったため、まれに意見が対立する場合もあったという[要出典]が、その間で中村達也がバランスをとっていた。解散後は、2002年に照井が所属してたROSSOと中村のLOSALIOSが3バンド合同ツアー「WEEKEND LOVER」を行い、共演を果たしている。浅井と照井はサーフィンをきっかけにPONTIACSを結成。その他にもLOSALIOSや浅井のソロアルバムでメンバーの1人とが共演することはたびたびあったが、3人だけでステージに立ったことはない。プライベートの場では浅井と中村が共演し「ガソリンの揺れ方」を披露したことがある。 BLANKEY JET CITYは定期的に、ロンドンやロサンゼルス、ニューヨークなどでライブを行っていた。初の海外ライブはロンドンにて1994年10月26日。1曲目は「Rude Boy」。 発売日タイトルc/w規格品番オリコン最高位収録アルバム備考
メンバーの関係
解散の理由
3人共冒険好きなので、新たなる冒険に旅立ちたい。
ミュージックステーションで浅井健一が語ったところによると「色々あるんですよ」
評価・影響
椎名林檎、JIRO(GLAY)、大貫亜美(PUFFY)、TAMA(ポルノグラフィティ)、小林裕介(THE NOVEMBERS)、木下理樹(ART-SCHOOL)、菅原卓郎(9mm Parabellum Bullet)、常田大希(King Gnu)、白井眞輝([Alexandros])、TAKUYA(JUDY AND MARY)、Momといったミュージシャンや[5][6][7][8][9][10][11][12][13]、最果タヒといった詩人[14]、タモリ、二宮和也、千原ジュニア、小峠英二(バイきんぐ)、後藤輝基(フットボールアワー)といったお笑い芸人・俳優にもバンドやソングライターである浅井健一の音楽性・ファッションから大きな影響を受けたことやファンであることを公言している人たちが多数存在している[8][10][11]。また、タモリは自身が司会を務めていたバラエティ番組である『笑っていいとも!』のコーナーの中で「再結成して欲しいバンド」としてBLANKEY JET CITYの名前を挙げている[11][8][10]。
海外でのライブ
1994年10月26日、29日:「THE SIX」に収録するため、既存曲のリテイクと新曲のレコーディングのためにロンドンに渡った際に、2度ライブを実施。演奏曲は「Rude Boy」「3104丁目のダンスホールに足を向けろ」「嘆きの白」「Punky Bad Hip」「車泥棒」「D.I.Jのピストル」「鉄の月」「死神のサングラス」「Baby Baby」など。実現はしなかったが、「Dust & The World」の案もあった。
1995年:「SKUNK」のレコーディングの合間に同じくロンドンでライブを実施。この模様は「Are You Happy?」にて確認できる。演奏曲は「SKUNK」「D.I.Jのピストル」「Dynamite Pussy Cats」など
ディスコグラフィ
シングル
1st1991年4月12日不良少年のうた
2nd1991年7月5日TEXAS
この曲はライブバージョンしか存在しない。
3rd1991年12月11日冬のセーター
1992年11月9日悪いひとたちTPS-0011位(インディーズ)C.B.Jim過激な歌詞のため、インディーレーベル「東京ピストル」からのリリース。
後に3rdアルバム「C.B.Jim」に収録されるが、歌詞は一部修正されている。
4th1994年4月20日青い花
発売日タイトル備考 発売日タイトル規格品番オリコン最高位備考
1992年2月21日My Way/僕の心を取り戻す為にウォークマンのCMソング・タイアップ。「冬のセーター」と「BANG!!」連動した購入特典によって抽選により得られる作品。
同封の用紙に「2.21 ミュージックステーション出演決定!」と記されてあったものの、地域により2月22日以降に届けられた所もあった。
My Wayは2013年発売のベスト盤にボーナス・トラックで収録された。
1993年5月22日SOON CRAZY (Unplugged Version)/ガードレールに座りながら (Unplugged Version)限定1万部発行の写真集『BJC』の付属CD「Unplugged」に収録
1995年8月26日fifteen代々木公園のフリーライヴで配られたデモCD。
(「15才」の原曲)長らく一般入手は困難であったが、2009年発売のRARE TRACKSに収録された。
アルバム
スタジオ・アルバム
1st1991年4月12日Red Guitar And The TruthTOCT-60878位