英国放送協会のラジオ放送
2021年10月20日以降のロゴ
運営英国放送協会(BBC)
設立1927年1月1日
在籍国 イギリス
所在地 イギリス
演奏所 イギリス
外部リンク英国放送協会(BBC)
この項では、英国放送協会(以下BBC)のラジオ放送について解説する。 1920年1月15日、英国郵政庁はグリエルモ・マルコーニが設立した無線機メーカー、マルコーニ無線電信会社の英国チェルムスフォードのニュー・ストリート工場の無線電話装置にラジオ放送の免許を与え、長波帯の波長2,500m(周波数120 kHz)の6 kWで定期放送がはじまった[1]。 2年後、英国ラジオ放送の封印が解かれた。そのきっかけとなったのは、1920年11月2日にウェスティングハウス電機製造会社の技術者フランク・コンラッドにより、世界初の商業ラジオ局KDKAがスタートし、1921年頃になると米国でラジオ放送の人気が急騰したことだった。その評判が英国にも届くようになると、ラジオ放送の再開陳情が英国郵政庁に繰返された。 1922年2月14日、英国郵政庁はチェルムスフォード郊外のライトル
BBCのラジオ放送の歴史1997年から2021年10月20日までの旧ロゴ2020年から2021年10月20日までの旧ロゴ
開局 - 第二次世界大戦
英国ラジオの黎明期
同年2月23日、15 kWの新型送信機による定時放送(11:00-11:30と20:00-20:30)が3月6日まで行われたあと、不定期放送に戻った[1]。
同年6月15日にはオペラ歌手ネリー・メルバ夫人のライブ音楽放送が三カ国語で欧州大陸へ向けて放送され、注目を浴びた[2][3][4][5]。これが世界初の国際放送である[6]。
チェルムスフォードのラジオ放送は大西洋を越えカナダでも受信された[7]。しかし同年秋、英国空軍の無線に混信を与えることが問題となり、英国におけるラジオ放送は封印されてしまった。
1922年5月11日、マルコーニ科学機器社MSICはライトル2MTに次ぐ第二局をロンドンに開局し、火曜日と木曜日の夜に30分間の放送を始めた。英国郵政庁はこのラジオ局には呼出符号2LOを付与した。また5月16日にはマンチェスターのメトロポリタン・ヴィッカーズ社が英国郵政庁の許可を得て、呼出符号2ZYで試験放送をスタートさせている。 1922年10月18日、英国郵政庁の音頭により、マルコーニ社、メトロポリタン・ヴィッカーズ社、無線通信社(Radio Communication Company)、ウェスタン・エレクトリック、ゼネラル・エレクトリック・カンパニー、英トムソン・ヒューストン社
英国放送会社BBCの設立
同年11月14日、まずロンドン2LOが波長361m(周波数831 kHz)で英国放送会社ロンドン局として放送を開始し、翌15日には波長384m(周波数781 kHz)で、マンチェスター2ZYとバーミンガム5ITも英国放送はじめた[10]。年末に12月24日にニューカッスル5NOが波長312m(周波数962 kHz)で開局した。
1923年1月17日、英国放送会社に移管されずにマルコーニ科学機器社MSICに残っていたライトル2MTは、「英国ラジオ放送を再開させる」という大役を終えて閉局した。英国放送会社のラジオ局は、同年2月13日にカーディフ5WA、同年3月6日にグラスゴー5SC、同年10月10日にアバディーン2BD、同年10月17日にボーンマス6BDが続いた。
1926年5月 - ゼネストが発生し、新聞の発行も止まる中、BBCは放送を継続し、双方の模様を伝える形でストを報道(通信社からのニュース配信も止まったため、ここでBBCは初めて自前の記者を雇ってニュースを収集する)。正確な情報を伝えたことで、ニュースメディアとしてのラジオの信頼性が大きく高まった[11]。
英国放送協会BBCの設立
1927年1月 - 英国放送会社が、国王の特許状に存立の根拠を置く英国放送協会(British Broadcasting Corporation)に改組。
1930年 - 英国放送協会は2LO等の呼出符号の使用を中止した[12]。英国放送協会は全国放送を「BBCナショナル・プログラム(National Programme・全国放送)」、各都市の放送を「BBCリージョナル・プログラム(Regional Programme)」とした。
1932年12月 - 19日、海外向け放送「エンパイア・サーヴィス(Empire Service)」開始。25日、ジョージ5世のクリスマス・メッセージを全国放送。これ以後、王室行事などの中継が本格化する。
1938年1月 - エンパイア・サーヴィスで初の外国語放送(アラビア語)開始。