BASF SE
BASF本社
種類欧州会社(Societas Europaea)
市場情報FWB: BAS
BASF(ビーエーエスエフ、独: BASF SE)は、ドイツ南西部のルートヴィヒスハーフェン・アム・ラインに本社を置き、150年の歴史を持つ世界最大の総合化学メーカーである。フランクフルト証券取引所、ロンドン証券取引所上場企業(FWB: BAS、LSE: BFA)。スイス証券取引所にも上場しており、ニューヨーク証券取引所、東京証券取引所にもかつて上場していた。 カール・ボッシュがハーバー・ボッシュ法を発明した老舗である。第二次世界大戦前はバイエル、ヘキスト(現サノフィ・アベンティス)と共にIG・ファルベンを構成した事業体の一つであり、分割後もドイツ三大化学メーカーの一角を占めていた。主力製品は伝統的な化学品・農業関連製品にとどまらない。戦後、石油・ガス事業へも進出した。今ではプラスチック製品・高機能製品も生産する。BASFのレパートリーはドイツの化学会社でも特に多い。かつては医薬品部門(Knoll AG
概要
「BASF」とは創業時の社名「Badische Anilin - u. Soda -Fabrik」[注釈 1]の頭文字を取った略称である。創業者であるフリードリヒ・エンゲルホルン(ドイツ語版)が事業立上げ当初にSoda(炭酸ナトリウム)を産し、「バーデンアニリンソーダ化工」と名乗った[2]。1973年以降はこの略称であるBASF(ベーアーエスエフ)を正式な社名としている。日本では一般に「バスフ」と読まれることも多く、傘下のレコードレーベル(後述)の日本国内盤(1970年代中期時点ではテイチクが発売)にも「バスフレコード」のカナ表記が見られたが、正式な読みは「ビーエーエスエフ」である。ただし、中国においては「巴斯夫(バスフ、B?s?f?)」を現地での社名としている。
沿革
1865年 - フリードリヒ・エンゲルホルンが、ドイツのマンハイムに旧バーディシェ・アニリン・ウント・ゾーダ・ファブリーク (BASF) として創立[3]。
1869年 - ウィリアム・パーキンに先んじて、ハインリヒ・カロがBASFでアリザリンの商業生産法を開発した。
1880年 - ルブラン法によるソーダ生産をソルベー法に切り替え。
1890年 - 鉛室法による硫酸生産を接触法に切り替え。
1906年 - ハーバー・ボッシュ法を開発した。
1913年 - オッパウ工場でアンモニア生産を開始[3]。
1921年 - オッパウ工場で爆発事故(オッパウ大爆発)が発生。
1925年 - バイエルやヘキストなどの化学工業会社とともに合同し、IG・ファルベン (IG Farben) が成立する[3]。
1935年 - IG・ファルベンとAEGがオープンリールを初めて開発した。
1952年 - IG・ファルベンが解体され、新バーディシェ・アニリン・ウント・ゾーダ・ファブリーク(BASF)として再発足[3]。またロイヤル・ダッチ・シェルと提携し、合弁でライニッシェ・オレフィンを設立した。
1968年 - ヘルボルを買収した。
1969年 - ウィンターシャルとWyandotte Chemicals Co. を買収した[3]。
1975年 - ドラッグストアのブーツと医薬品のKnoll AGを買収した[3]。
1990年 - 東ドイツ人民公社のSynthesewerk Schwarzheide を支配した[3]。
1999年 - ヘルボルをアクゾノーベルへ売却した。
2001年 - サプライチェーン・マネジメントにエレミカ(Elemica)というクラウドサービスを採用した[3][注釈 2]。
2008年1月14日 - BASFはドイツの株式会社法に基づく株式会社(Aktiengesellschaft, AG)から欧州会社 (Societas Europaea, SE) に生まれ変わり、社名を BASF Aktiengesellschaft (BASF AG) から BASF SE に変更した。
同年9月15日 - 元チバガイギー社の一部事業を買収した。
2016年10月18日 - ルートウィヒスハーフェンの本社工場で火災が発生し、少なくとも2人が死亡、6人が重傷を負い、さらに6人が行方不明となった。この火災が、配合飼料やサプリメント等の価格高騰を引き起こした。
2018年8月1日 - バイエルの一部事業を買収[5]。同社のモンサント買収に伴うもの。
2020年12月 - 出光興産との合弁会社であるBASF出光における1,4-ブタンジオールの生産を終了。その後、BASFと出光興産の合弁契約も解消[6]。