B-29_(航空機)
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日本での通称「ビーにじゅうく」)は、アメリカボーイングが開発した大型戦略爆撃機[2]
特徴

B-29は、中型爆撃機から発展したB-17と異なり、最初から長距離戦略爆撃を想定した設計である。B-29による日本本土空襲は、日本の継戦能力を喪失させる大きな要因となった。

愛称は「スーパーフォートレス」[3]。戦時中の文献ではスーパーフォートレスという愛称を「.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}超(てう)空の要塞」と説明したものがあり[4]、当時のニュース映像では「超空の要塞(ちょうそらのようさい)」と呼んでもいる[5]朝日新聞が選定した名称は「ビイ公」(1945年5月12日)[6]

B-29は専門の航空機関士を置く初めての機体にもなった。B-17までの従来の軍用機は、操縦席の計器盤に飛行に必要な計器の他にエンジン関係の計器が取付けられており、パイロットは飛行に必要な計器の他にエンジン関係の計器類を監視しなければならなかったが、B-29ではそれらが全て航空機関士の前に置かれ、パイロットは飛行に専念することができるようになり、飛行機操縦の分業化が図られている[7]
機体

従来の飛行機では高空で機内の気圧・気温が低下するため酸素マスクの装備、防寒着の着用が必要だが、B-29は高度9,000 mで高度2,400 m相当の気圧を維持することができた。これはボーイング307の技術を応用し、毎分11.25 kgの加圧能力を持つ与圧装置を設置したことによる[8]爆弾倉を開閉する必要から、B-29では機体前部の操縦室と機体後部の機関砲座を与圧室とし、その間を直径85 cmの管でつなぎ、搭乗員はこの管を通って前後を移動した。被弾に備えて酸素ボンベも設置された。機内冷暖房も完備され、搭乗員は通常の飛行服のみで搭乗していた[9]。撃墜されたB-29乗員の遺体を日本側が回収した際、上半身Tシャツしか着ていない者もいるほど空調は完備されていた。それを知らない日本側は搭乗員に防寒着も支給できないとし、アメリカもまた困窮していると宣伝を行った。機体は軽量ながら強靭な装甲板に覆われて防御力も高かった。日本軍の戦闘機や対空砲火で無数の弾痕や高射砲の破片痕が開き、中にはそれが機体上部から下部に達するような大穴であったり、尾翼の大半が破壊されたりしても、マリアナ諸島の飛行場まで自力で帰還できた。また、このような大きな損傷を受けても修理を経て再出撃できる整備性があった[10]

重量はB-17の2倍となったが、翼面積はB-17の131.92m2に対してB-29は159.79m2と21%増に留まり、翼面荷重はB-17の約2倍となった。翼面荷重が増加すると着陸時の速度が高速となってしまうが、フラップを長さ10mの巨大なものにすることにより、着陸速度を減少させるだけでなく離陸時の揚力も増加させている。そのためにB-29の主翼は縦横比(アスペクト比)が大きな、細長く空気抵抗の少ない形状となった。垂直安定板の前縁には防氷装置も設置された[11]。空気抵抗を極限まで減少させるため、機体には外板を接合するリベットに沈頭鋲を使用したり、機体との接合部には重ね合わせせずに電気溶接で直接接合させている[8]
エンジン

B-29はライト社が開発した強力な新型エンジン、ライト R-3350を4発搭載していた。R-3350は空冷星型9気筒を複列化した二重星型18気筒で、2基のゼネラル・エレクトリック社製B-11ターボチャージャーが装着されており、ミネアポリス・ハネウェル・レギュレータ社製の電子装置で自動制御され、高度10,000 mまで巡航時で最大2,000馬力の出力を維持できた[12]。(離昇出力は2,200馬力)しかし、先進的な設計により、エンジンは過熱しやすくよくエンジン火災を起こすことになった。特に軽量化のために多用されたマグネシウム合金の可燃性が強いため、重篤な火災となることも多かった。試作第一号機のXB-29-BOもエンジン火災により墜落している[13]。当初はその信頼性の低さから、ライト(Wright)エンジンはロング(Wrong = 誤りだらけの意味)エンジンと呼ばれたり、火炎放射器などと揶揄されたが、のちに、シリンダー・バッフル(整流用のバッフル板)とカウル・フラップの設計変更により過熱をかなり低減させている[12]。運用当初はR-3350の交換時期を飛行時間にして200時間から250時間に設定していた。これは平均15回の出撃に相当したが、エンジンの冷却性能向上により750時間まで延長することができた。エンジン交換は熟練した整備兵により5時間30分で完了し、取り外したエンジンは本国に送り返されてオーバーホールされた。インドやマリアナ諸島の前線基地に飛行する際に、爆弾倉に1個の予備エンジンを搭載した[14]

耐久時間は延長されたが、エンジン発火の問題は最終的な解決までには至らず、第869爆撃団のH.W.ダグラスによれば「エンジンの火災は、大問題だった。マグネシウム合金部分が燃え出すと、もう手が付けられなかった。ある夜、私の機はプラットで訓練中に、衝突でエンジン火災を起こした。消防車が到着して、ありったけの消火液をかけたが、炎の勢いはちっとも弱まらなかった。」と回想している。B-29クルーの間ではエンジンが発火した場合「30秒以内には、火が消えるか、自分が消える!」という言い伝えがあったという[15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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