この項目では、第二次世界大戦時のアメリカ陸空軍のB-26について説明しています。
1948年から1966年までのアメリカ空軍のB-26については「A-26 (航空機)」をご覧ください。
第二次世界大戦時のイギリス製哨戒雷爆撃機(B.26)については「ブラックバーン ボウタ」をご覧ください。
飛行するB-26B-55-MA 42-96142号機
(1944年撮影)
用途:軽爆撃機
設計者:爆撃機
製造者:グレン・L・マーティン社
運用者 アメリカ合衆国
アメリカ陸軍航空隊
アメリカ陸軍航空軍
アメリカ海軍
アメリカ海兵隊 ほか
初飛行:1940年11月25日
生産数:5,288機
運用開始:1941年
退役:1948年
運用状況:退役
ユニットコスト:10万2,659.33米ドル(B-26A)
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B-26 マローダー(Martin B-26 Marauder)は、マーティン社が開発し、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空隊で運用された爆撃機。
米陸軍航空軍における愛称の「マローダー(Marauder)」とは、「略奪者」の意である。同時期に開発されたB-25 ミッチェルより、高速性能などで勝っていたが、操縦の難しさから初期型では事故が多発し、乗員には「マーダラー(人殺し)」「キラー・プレイン(殺人機)」「ウィドウ・メーカー(未亡人製造機)」と呼ばれて嫌われた。その結果、B-25に比べて生産数や運用国の数で大きく差がつく結果となった。 1939年1月にアメリカ陸軍航空隊から出された新型高性能爆撃機の仕様に対して、マーチン社が計画・開発したのがB-26である。計画書は特に速度性能を重視しており、当時の爆撃機に比べて円形断面で紡錘型の胴体を持ち翼面荷重の高い高翼機となっていた。 これが陸軍当局の要望と一致したため、本機は試作機無しにいきなり1,100機の大量発注を受けることとなった。1940年11月に量産第1号機が初飛行した。この機体は、最高速度508km/hという高速を出した。しかし、新型機に対する訓練期間が必要だったため、実際に戦場に登場したのは、第二次世界大戦中の1942年に入ってからとなった。 B-26は高速で、重武装かつ防御力の優れた爆撃機だったが、高速力を目指したために翼面荷重が高くなり、操縦はかなり難しく、また、着陸速度は200km/hを超えるなど危険な航空機であった。このため離着陸時や低速飛行時の事故が続発し、最初の生産型であるB-26Aは一時生産中止になった。その後改良を加えた型であるB-26Bが開発され生産が再開された。この型は武装と装甲も強化されており、B-26各型の内で最も多く生産された。 この後も、主翼面積を増大させたり迎角を増加させたりするなどした改良型が作られ、第二次世界大戦では主にヨーロッパ戦線で使用された。ヨーロッパ戦線では高い生還率を誇ったものの、同時期に運用されたB-25 ミッチェルと比べると運用し辛かったため、必ずしも現場での評判は高くなかった。 また、一部の型は魚雷を胴体下に装備する事もでき、対艦攻撃機として対日戦のミッドウェー海戦やニューギニア方面などで用いられたが、投入機数が少なかったこともあり大きな戦果を挙げることはできなかった。第二次世界大戦終結後も暫く運用されたが、1948年には全機退役している。 第二次大戦中には、連合国のイギリス軍や自由フランス軍に対してもレンドリース機として相当数が供与された。なお、1961年に発生したピッグス湾事件で亡命キューバ人部隊に供与され、実戦使用されたのは本機ではなく、1948年の機種区分変更以前はA-26 インベーダーと呼ばれていたダグラス社製の航空機である。
目次
1 概要
1.1 開発
1.2 実戦投入
1.3 海軍での運用
2 採用国
3 スペック
4 現存する機体
5 登場作品
6 関連項目
概要
開発
実戦投入 爆弾を投下するB-26B 自由フランス軍のB-26B