飛行するB-25C-NC 41-12823号機
(1942年10月撮影)
用途:爆撃機、哨戒機
分類:爆撃機
設計者:ジョン・リーランド・アトウッド
ノース・アメリカン B-25 ミッチェル(North American B-25 Mitchell )は、アメリカ合衆国のノースアメリカン社が開発し、アメリカ陸軍航空軍や海軍で運用された爆撃機。第二次世界大戦において各戦場で運用された。
愛称はミッチェル(Mitchell、由来は後述)。海軍にはPBJ ミッチェル(North American PBJ Mitchell )哨戒爆撃機として納入された。 本機は第二次世界大戦中のあらゆる局面において用いられ、連合国に敵対するドイツと日本に対する攻撃に使用された。「ミッチェル」の愛称はアメリカ陸軍の将校ウィリアム・ミッチェル准将にちなむ。なお、アメリカの軍用機のうち、個人名が愛称として採用されたのはこのB-25「ミッチェル」のみである。派生型を含めた総生産数は約10,000機。 開発は1938年より開始された。初飛行は1939年1月29日。主翼は中翼配置であり、レシプロエンジンを2基装備している。尾翼は双垂直尾翼(twin tail)である。 B-25はアメリカ陸軍・海軍のほか、オーストラリア・イギリス(900機以上)・自由フランス・中華民国・中国人民解放軍・オランダ・ソ連によって多数運用された。インドネシア・ベネズエラ・チリ・ブラジルを含む国々は、最後のJ型を1960年代まで運航していた。 第二次世界大戦中の1942年4月18日に日本本土への爆撃(ドーリットル空襲)で使用された。また、1945年7月28日にはニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングへの衝突事故が発生している(1945年エンパイア・ステート・ビルディングB-25爆撃機衝突事故、死者14人)。
概要
派生型NA-40日本空襲に向かうB-25BB-25Hの機首のクローズアップ。12.7mm機銃4丁と、75mm砲が望めるシャングリ・ラ艦上のPBJ-1H
NA-40
1938年にUSAAFから出された双発爆撃機という要求により試作された機体。Pratt&WhitneyのR-1830-56C3-Gを搭載した機体で1939年1月29日に飛行したが、出力及び飛行安定性が欠けていた。
NA-40B (NA-40-2)
NA-40のエンジンをWright R-2600-A71-3 (1,600Bhp)へと換装した機体。1939年3月1日に飛行、1940年4月11日に墜落し喪失。
B-25
R-2600-9 (1,700Bhp)エンジンを搭載したB-25の初期生産型。機首に7.62mm機関銃を3丁、機尾に12.7mm機関銃を1丁を装備し、3,600lbs (1,633kg)の爆弾を搭載可能だった。
B-25A
セルフシーリングタンク、搭乗員用の防弾板を採用した改良型。
B-25B
機尾等の一部有人の銃座を遠隔操作式に換装。イギリスにもMitchell Mk Iとして供与された。24機が日本空襲に向けた改修が施された(詳細はドーリットル空襲#米空母艦載機による空襲計画を参照)。
B-25C
B-25Bの改良型でエンジンをR-2600-13に換え、除氷・防氷機能も追加した。B-25C-1ブロックからは翼下に爆弾用、胴体下に魚雷搭載用ラックの装着が可能になるなどの改良がされた。
B-25D
B-25Cとほぼ同様の機体構成だがB-25Cはカリフォルニア州イングルウッド、B-25Dはカンザス州カンザスシティで製造されている。
F-10
B-25Dの写真偵察型。
AT-24
練習機に改造された機体。戦後の命名規則変更によりTB-25に改称。
XB-25E・XB-25F
XB-25Eはエンジン排気循環式、XB-25Fは電気コイル式の除氷・防氷機能試験機。
XB-25G
B-25Cに75mm M4
B-25G
原型のXB-25Gより装甲及び搭載燃料が増加した75mm砲搭載型B-25の量産型。
B-25H
B-25Gの改良版。75mm砲×1 (弾数21発) + 12.7mm機関銃×14 (弾数計5,800発)と武装強化が行われている。
B-25J
B-25の最終生産型。12.7mm機関銃×12 (弾数計4,600発)、爆弾搭載4,000lbs (1,814kg)。
PBJ-1C
海軍・海兵隊用のB-25C。機上レーダーを装備しての対潜哨戒を主任務とした。
PBJ-1D
海軍・海兵隊用のB-25D。B-25H型と同様に機尾及び腹部ターレットに単装の12.7mm機関銃がある。機上レーダーを装備しての対潜哨戒を主任務とした。
PBJ-1G
海軍・海兵隊用のB-25G。試験飛行のみ。
PBJ-1H[2]