B級映画
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B級映画(ビーきゅうえいが、B-movie及びB-Pictures)は、1930年代アメリカで始まった短期間の撮影、低予算で、上映時間も限定されたなかで製作された映画のことである。1932年からアメリカ合衆国の映画界で二本立て興行の中で添え物として上映されて、やがてハリウッド映画が大作主義となり、製作本数が激減する頃には消えていった。しかし1950年代半ば以後は、低予算の特定の観客層の受けを狙った作品に対してB級映画との呼称が使われるようになった[1]
概要

映画用語としては1930年代から1950年代初めごろまで多かった二本立て興行において

A級映画 - 多額の予算により人気俳優が揃い、有名監督が制作する上映時間が90分の長編映画(
フィーチャー

B級映画 - A級映画の添え物として、低予算で無名・新人の俳優を使い、有名とはいえない駆け出し監督などが短期間で撮影した上映時間が90分以下の映画

と区別されており、ある一定の時期にアメリカ映画で使われた言葉である。

本来は映画産業における歴史的な現象であり、作品の価値に由来する概念ではない[2]が、1950年代後半以降のアメリカの映画界で、特に若い観客層をターゲットとしたホラーやSF映画を指すようになり[1]、今日では上映時間の区別ではなく、以下の観点から使われている。

A級映画 - 潤沢な予算により制作された大作映画。ハリウッド映画に代表される興行収入を重視し人気俳優を揃えたブロックバスター狙いの映画、映画祭などに出品される芸術性を重視した作品。

B級映画 - 低予算で小規模の小作品。俳優や監督は無名・新人であり、A級の格下という比喩的意味合い[3]

新しい意味合いでは、B級映画かつ長編映画かつ単品上映も存在する。
B級映画の歴史(アメリカ)
B映画

1927年、世界初のトーキー映画ジャズ・シンガー」が現れたことにより、映画会社がこぞってトーキー施設を備えた撮影所の拡充をしていく中、ウイリアム・フォックス社(後の20世紀フォックス)も撮影所を新築した。そしてそれまで使われていたウエスタン・アヴェニュー撮影所、新しく作られたウエストウッズ・ヒルズ撮影所との間で、新しい撮影所には会社から予算を投入して1本当たりの製作費も高くして、古い撮影所はそれまで通りで1本当たりの製作費は新撮影所より低いことになった。そこからウエストウッズ・ヒルズ撮影所は「A地域」と呼ばれて、大きな作品はそこで撮影され、ウエスタン・アヴェニュー撮影所は「B地域」と呼ばれて低予算で製作する作品を撮影することになった。これが「B地域の作品」とされて、それがやがて「B映画(B-Pictures)」と言われるようになった[4]。しかしこれだけでは単に地理的な区分だけであって、後に「B級映画」と呼ばれるようになった背景には、1929年の大恐慌とその後の映画界の不況が影響している。
二本立ての添え物

1929年10月からの大恐慌で映画界も直撃を受け、1930年の1週間当たりの平均観客動員数が1億1,000万人であったのが、1932?33年頃には1週平均6,000万人に激減した。これに対して映画会社が考えたのがそれまで無かった2本立て興行であった。サイレント時代から興行形態は様々な変遷を経ているが、興行の目玉である長編物(フィーチャー)は1本立てであり、これに短編や連続物(シリアル)などを加えて映画興行が成り立っていた。長編物はほぼ90分(1時間半)の上映であった。そこで観客を呼び戻す方策として料金はそのまま同じで長編物を二本立てで上映するシステムに変えることになった。そして、ハリウッドは年間で300本の映画を製作する必要が生じた。これに応じて撮影所は同じ長編でも二本立てでメインになる映画は長編90分にして、もう1本はそれよりも短い50?70分の時間で予算を抑え、当然スターは使わず、しかも限られた日数で製作することとした。そのため、上映する2本の映画に格差をつけて、もう1本が添え物のような形になったので、それが「B級映画」と呼ばれるようになった[5]。これは必ずしも映画会社だけの発案ではなく、実は興行側の映画館からの要請もあった。当時映画館は景品を出したりして観客を喜ばせる方策を打ち出し、その一つとして二本立ての試みを一部始めていた。それに対応して映画会社も量産体制に入ったのである[6]。そしてフォックス社が「A」撮影所と「B」撮影所に分かれたように、当時の他のメジャー会社(パラマウント、ワーナー、MGM、ユナイト、ユニヴァーサル、コロンビア、RKO)なども例えば自社でAユニットとBユニットに分けてB級映画の製作に乗り出し、本数が足りないところはB級映画を専門に製作するマイナー会社であるリパブリック、モノグラム、グランド・ナショナル、PRC[7]などが製作していった[8]
B級映画の限られた条件

B級映画は、A級映画に比べて、予算はおよそ十分の一、撮影期間は2週間(中には2日や5日も珍しくなかった)、上映時間[9]は60?70分で長くても80分という基準であった[10]。そして今日までこのB級映画の第1号映画は特定されていない。そして映画として記憶されているものも少なく、B級だけに出演した俳優も多く、彼らはB級俳優としてやがて忘れられていった[11]。結局それは便宜的に作られた映画だったことになる。収益は低いが予算も十分低かったので利益は保証されており、観客の入場者数はさほど重要性を持たなかった[12]

しかし別の側面では、新しい監督や脚本家、そしてプロデューサーらの若く有能な才能のテスト場として使われ、その限られた条件をうまく使って斬新な編集や即興的な演出、単純で単調さを逆に全面に打ち出すなど新しい映画の方向を模索する場となり、やがて彼らの何人かがここから巣立ち、1950?1960年代にアメリカの映画史を彩ることになった。これは後に1960年代にテレビ映画の製作に携わって、1970年代に映画の世界に進出して活躍したケースと同じであった。
B級映画の終り

戦後反トラスト法の成立によって、1948年に「パラマウント訴訟」の同意判決が進みメジャー会社のそれまで強固であった製作ー配給ー興行の垂直統合のシステムが崩れて、手持ちの劇場チェーンを切り離すと、メジャー各社のB級映画の製作は中止された。そしてマイナー会社はリパブリック、アライド(モノグラムの後身)、AIP[13]などがまだ製作を続けたが、しかし、この時期になるともはや純B級ではなくて、普通の長編フィーチャーの長さの映画で二本立て興行を維持するために製作していた。しかしそれも1950年代に入ってからテレビ映画の興隆で各プロダクションもテレビ映画の製作にシフトし、ハリウッドが大作主義に移行するなかでB級映画は無くなった。

この1950年代にリパブリックやアライド、AIPなどのもともとのB級製作会社が自由になった配給状況でB級ではないフィーチャー映画を製作したことは、この時点でもはやA級・B級の区別が無くなったと考えられるが、別の観点から低予算で製作された映画だとしてB級映画と見る見方もある[1]。この期間のB級映画にはA級映画よりもはるかに自由な創造を可能にして映画製作者の「創意と創造性の試金石」となり、今日ではそれぞれのジャンルでの古典として認められて「現代の映画製作者のインスピレーションの源泉となっている」とされている[12]。それは結果として新たな才能の実務的な訓練の場を提供して積極的な役割を果たしたと言える[1]
B級映画のエピソード

B級西部劇のスターで日本でも有名であった
ランドルフ・スコットは常にB級スターのイメージがつきまとうが、増渕健は彼がB級スターなら、ジョン・ウェインもB級スターと呼ばなければならないとしている。事実ジョン・ウェインは「駅馬車」に出演するまでにB級映画に56本出演している。スコットは終始メジャー会社に属した俳優であり、A級映画にもよく出演したが、ウェインは「駅馬車」までの10年間、B級専門のマイナー会社を渡り歩いている[14]

後にアメリカ合衆国大統領となったロナルド・レーガンもB級映画出身の俳優であったし、他にもジャック・ニコルソンなど多くの名優や名監督を輩出している。

今日のB級映画

現在でも限られた期間で撮り経済的にも限られた条件で製作された映画を「B級映画」と呼ぶ場合がある。そして第1作はB級映画と言われながら高い評価を得たり、あるいは大ヒットして、続編が超大作映画となってシリーズ化するケースもある。

007シリーズ』は第1作『ドクター・ノオ』が低予算で製作されたがヒットしたため、第2作『ロシアより愛をこめて』、第3作『ゴールドフィンガー』と進むにつれて制作費も大幅に多くなり、豪華なアクション大作シリーズへと成長、世界的に大ヒットした。

ターミネーターシリーズ』は、第1作『ターミネーター』では制作費が600万ドルだったのに対し、第3作『ターミネーター3』で制作費は1億6千万ドルに跳ね上がっている。同時に、シリーズを追うごとに主演のアーノルド・シュワルツェネッガーの出演費も高額になっていった。

プラトーン』は、制作費600万ドルだったが、興行ではアメリカ合衆国で制作費の20倍である、1億3,800万ドルの興行収入を記録する大ヒット映画となった。

現在でも低予算と言われる映画でも、7,000ドルで制作された『エル・マリアッチ』や、30,000ドルで制作された『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』など興行的に大ヒット作となった作品もある。

単に映画を批評する場合にもっぱらランクを指し示すものとしてB級映画が使われる場合がある。B級映画よりも質の良いものを「A級映画」、さらに質の落ちるものを「C級映画」、出来の悪さにつれてD級やZ級と進んでいく[15]

アサイラム社のように人気作に便乗したモックバスターを制作するスタジオの作品もB級映画と呼ばれる。


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