B×Bハルク
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B×Bハルク

プロフィール
リングネームB×Bハルク
石原 輝政
本名石原 輝政
ニックネームダークサイドヒーロー
闘う妖精
身長178cm
体重81kg
誕生日 (1980-07-15) 1980年7月15日(43歳)
出身地北海道札幌市
所属DRAGONGATE
トレーナーマグナムTOKYO
ハヤブサ
デビュー2005年3月5日
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B×Bハルク(ビー・ビー・ハルク、1980年7月15日 - )は、日本男性プロレスラー。本名:石原 輝政(いしはら てるまさ)。北海道札幌市生まれ、函館市育ち[1]DRAGONGATE所属。血液型O型。
経歴

早くからプロレスラーを志し、その前段階として陸上自衛隊に在隊してレンジャーの資格を有する。2005年3月5日の横須賀享戦でデビューした。DRAGON GATEでデビューしたレスラーは鷹木信悟に続き2人目。マグナムTOKYOからプロレスの手解きを受け、マグナムがプロデュースするユニットPos.HEARTSに編入される。甘いマスク、陸自出身の経験を生かした軽い身のこなし、入場時のダンスで早くも高い女性人気を獲得している。2006年4月23日ついに同期の鷹木信悟からシングルで初勝利を果たしオープン・ザ・ドリームゲート王座の挑戦権を得る。2006年はPos.HEARTSに所属しながら、新生ブラッドジェネレーションと行動を共にしていた。

新日本プロレスの興行であるLOCK UPにも参戦。日本のジュニアヘビー級の重鎮・獣神サンダー・ライガーは2006年11月19日にタッグパートナーとしてハルクと組み、その試合後に「B×Bハルクは初代タイガーマスクを超えている」と賞賛するなど、ハルクの実力・潜在能力を高く評価した。

CIMA、横須賀享、斎藤了ドラゴン・キッドアンソニー・W・森と共に新生ユニット『Typhoon』を立ち上げるも、2007年4月17日の後楽園大会でのなにわ式イルミネーションマッチに勝利し終了後にタイフーンから離脱、鷹木、サイバー・コングYAMATOと共にNEW HAZARDを結成、新世代のユニットとして行動することとなった。

2007年6月1日から新日本プロレス「BEST OF THE SUPER Jr.」へ参戦。初戦は金本浩二に敗れるも、2戦目の外道戦で初白星を挙げ、内藤哲也戦でも白星を挙げた。

1か月後の7月10日の後楽園大会でCIMAの持つオープン・ザ・ドリームゲートへの挑戦権を懸けたワンナイトトーナメントに出場。1回戦でタイフーンの斎藤了と対戦し熱戦の末勝利し、決勝戦進出を決めた[2]。ところが、斎藤了との試合中に顎を骨折し全治2か月の大怪我をしてしまい、結局決勝戦は棄権となり同時にそれまで保持していたオープン・ザ・トライアングル・ゲートも返上した。

9月14日の後楽園大会でYAMATOと共に10月12日の後楽園大会で復帰することをファンに報告し、それに合わせて9月の海外遠征でYAMATOと共に一足早い復帰を飾った。

2008年2月24日の福井市体育館にて、鷹木、サイバーとともにオープン・ザ・トライアングル・ゲートを奪取。第17代王者となった。ところが同年4月17日、同ユニットのメンバーであるYAMATOがマッスル・アウトローズに加入、YAMATOはマッスル・アウトローズとしてハルク達の持つオープン・ザ・トライアングル・ゲートに挑戦を表明。5月14日に防衛戦が組まれ、その試合前に王者組によるダンスが披露されることとなった。

そして5月14日、王者組は試合前に3人でダンスを披露した。しかしその直後、鷹木、サイバーがハルクを攻撃した。鷹木は、NEW HAZARDとマッスル・アウトローズを統合し、新ユニットREAL HAZARDとして活動することをアピール。オープン・ザ・トライアングル・ゲート新王者となった鷹木達REAL HAZARDのメンバーがハルクを痛めつける中、突如、土井成樹吉野正人が乱入した。ハルクを助け出し、二人が作った新ユニットWORLD-1に勧誘する。ハルクもこれに同意し、土井、吉野、谷嵜なおきm.c.KZ.そしてハルクの五人でWORLD-1として活動して行くこととなった。

6月29日の大阪大会にて、オープン・ザ・ドリームゲート挑戦者決定戦として鷹木と対戦。しかし、結果は60分時間切れ引き分けとなった。この試合に感動した当時の王者であり、首の故障により欠場中だったCIMAはリング上で王座の返上を宣言。7月27日の神戸大会にてオープン・ザ・ドリームゲート王座をかけ、再び鷹木と対戦するも激闘の末敗れた。

2008年のKING OF GATEでは2年連続で初戦で斎藤了と対戦した。この年も勝利したが、斎藤が試合中に腕を負傷したためによるレフェリーストップだったため、両者の遺恨を深めることになった。そして2009年1月12日、再び斎藤とシングルで戦う。敗れはしたものの互いの実力を認め合い、斎藤をWORLD-1に勧誘する。1月18日には、斎藤から自らと横須賀享と共に3人で新ユニットを作ろうと逆に勧誘され、動揺する。しかし、2月15日に行われたツインゲート戦で斎藤が享を裏切りREAL HAZARDに加入したため、勧誘の話は白紙になった。(享はその後、Gammaらと新ユニット「WARRIORS-5」を結成したため。)

2010年5月からの鷹木の再三に渡る挑発がきっかけとなり、入場パフォーマンスであるダンスを封印した。そして7月の神戸ワールド記念ホールにてカベジェラ戦が決まった。(しかしDGUSAでは別のようである。)

2010年7月の神戸ワールドで鷹木に敗れ、坊主になった。その後、新崎人生が参戦時にタッグパートナーで1度限りの本名「石原輝政」で同様のお遍路スタイルで登場した。

2011年4月14日の後楽園ホール大会での「オープン・ザ・トライアングルゲート選手権試合?トライアングルゲート・コントラ・解散?」マッチで、王者チームであったBlood WARRIORSのCIMA、ドラゴン・キッド、リコシェ組に敗れ、ハルク自身が所属していたWORLD-1が解散となるが同日に新オープン・ザ・ドリームゲート王者となった望月成晃の「2大ユニット構想」の呼びかけで、吉野らとともに望月と共闘していく事となる。その後、4月24日の博多スターレーン大会において正式合体を表明する。

2011年のKING OF GATEでは対抗する勢力であるBlood WARRIORSの土井(1回戦)・斎藤(2回戦)・CIMA(準決勝)・神田裕之(決勝)を破り、初優勝を果たす。


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