BJ・ペン
2019年
本名ジェイ・ディー・ペン・III世
(Jay Dee Penn III)
生年月日 (1978-12-13) 1978年12月13日(45歳) [1]
出身地 アメリカ合衆国
ハワイ州カイルア[1]
通称ザ・プロディジー (The Prodigy)
ベイビー・ジェイ (Baby Jay、BJ)
居住 アメリカ合衆国
ハワイ州ヒロ
国籍 アメリカ合衆国
身長175 cm (5 ft 9 in)
体重77 kg (170 lb)
階級フェザー級 (2014年 - 2017年)
ライト級 (2001年 - 2003年、2007年 - 2010年、2018年 - 2019年)
ウェルター級 (2004年、2006年、2010年 - 2012年)
ミドル級 (2004年 - 2005年)
無差別級 (2005年)
リーチ178 cm (70 in)
スタイルブラジリアン柔術
スタンスオーソドックス
アメリカ合衆国
男子 グラップリング
世界柔術選手権
金2000 リオデジャネイロ
黒帯67kg級
銅1999 リオデジャネイロ
茶帯73kg級
銀1998 リオデジャネイロ
青帯67kg級
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2006年9月、計量を終え、ステアダウンを行うマット・ヒューズ(左)とペン
ジェイ・ディー・"B.J."・ペン III(Jay Dee Penn III、1978年12月13日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家、柔術家。ハワイ州カイルア出身。BJ・ペンズMMA主宰。元UFC世界ライト級王者。元UFC世界ウェルター級王者。UFC史上2人目の二階級制覇王者。UFC殿堂入り。
史上初めてブラジル人以外で柔術世界選手権を優勝した選手。寝技だけでなく、名ボクシングトレーナーのフレディ・ローチから絶賛されるほど優れたボクシング技術も持つ。また、UFCでライト級とウェルター級の2階級制覇を達成しただけでなく、自身の適性階級より遥かに重いミドル級、ライトヘビー級でも強豪と互角以上に渡り合った。 裕福な家庭で育ったが、少年時代はハワイ島でケンカにあけくれる毎日を送っていた。17歳の頃、近所にできた柔術道場でブラジリアン柔術を始める[2]。その後間もなくして、ブラジリアン柔術の修行でアメリカ本土へ渡り、1997年にカリフォルニア州のハウフ・グレイシーの道場に入門。ノヴァウニオンに移籍し、2000年にアンドレ・ペデネイラスから黒帯を授与される。 黒帯を授与された3週間後の2000年7月に、柔術世界選手権に出場して黒帯ペナ(67kg)級で優勝。ブラジル人以外の選手として史上初めて柔術世界選手権を制する快挙を成し遂げた。 2001年5月4日、総合格闘技デビュー戦となったUFC 31でジョーイ・ギルバートと対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。 2001年11月2日、UFC 34で宇野薫と対戦し、開始11秒でスタンドパンチの連打によるKO勝ち。 2002年1月11日、UFC 35のUFC世界ライト級タイトルマッチで王者のジェンス・パルヴァーに挑戦し、0-2の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。 2002年9月27日、UFC 39のライト級王座決定トーナメント1回戦でマット・セラと対戦し、3-0の判定勝ちで決勝に進出した。 2003年2月28日、UFC 41のライト級王座決定トーナメント決勝戦で宇野薫と再戦し、1-1の判定で引き分け王座獲得はならなかった。 2003年10月10日、地元ハワイのRumble on the Rock 4で五味隆典と対戦。3Rにチョークスリーパーによる一本勝ち[3]。 2004年1月31日、階級をウェルター級に上げUFC 46のUFCF世界ウェルター級タイトルマッチで王者のマット・ヒューズに挑戦し、当時ウェルター級で敵無しだったヒューズを圧倒し1Rにチョークスリーパーで破る番狂わせで王座獲得に成功した。 UFCに対戦する意味のある相手がもう残っていないとしてK-1(FEG)と契約。これに対しUFCは契約違反でありペンは王座防衛を拒否したとして、2004年5月にペンのUFC世界ウェルター級王座を剥奪した。 2004年5月22日、K-1 ROMANEXでドゥエイン・ラドウィックとウェルター契約で対戦し、肩固めで一本勝ちを収めた。 2004年11月20日、Rumble on the Rock 6でホドリゴ・グレイシーとミドル級契約で対戦し、判定勝ちを収めた。 2005年3月26日、HERO'S旗揚げ戦において無差別級契約でリョート・マチダと対戦。マスト方式の判定0-3で敗れたものの、102kgのマチダに対しペンは86.5kgと15.5kgの体重差があるにもかかわらず互角に渡り合った[4]。 2005年7月29日、 K-1 WORLD GP 2005 in HAWAIIでヘンゾ・グレイシーとミドル級契約で対戦し、判定勝ちを収めた。 2005年11月19日のUFC 56でUFCと和解したペンが復帰することが発表された。 2006年3月4日、2年1か月ぶりのUFC復帰戦となったUFC 58でジョルジュ・サンピエールと対戦し、一進一退の攻防の末に1-2の僅差判定負け。 2006年9月23日、ジョルジュ・サンピエールの負傷により代役としてUFC 63のUFC世界ウェルター級タイトルマッチで王者のマット・ヒューズに挑戦。打撃や変形三角絞めなどで序盤は圧倒しながらも2Rに呼吸困難になるほど肋骨を痛め失速、3RにパウンドによるTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。 2007年、「The Ultimate Fighter」のシーズン5でジェンス・パルヴァーと共にそれぞれのチームのヘッドコーチを務め、コーチ対決となった2007年6月23日のフィナーレでジェンス・パルヴァーと対戦、チョークスリーパーで一本勝ちし、5年半ぶりにリベンジを果たした。 2008年1月19日、UFC 80のUFC世界ライト級王座決定戦でジョー・スティーブンソンと対戦。
来歴
総合格闘技デビュー・UFC
五味戦
UFC世界ウェルター級王座獲得
ヒューズ第1戦
UFC離脱後
UFC復帰
サンピエール第1戦
ヒューズ第2戦
UFC世界ライト級王座獲得・二階級制覇
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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