Apple
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1975年、大学を中退しアタリの技術者として働いていたスティーブ・ジョブズと、その友人でヒューレット・パッカード(HP)に勤務していたスティーブ・ウォズニアックは、シリコンバレーのコンピュータマニアによる「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ(HCC)」の会合に頻繁に参加していた[47][48]。ウォズニアックは、HCC内で高く評価されていたマイクロプロセッサであるIntel 8080の代わりに、安価なMOS 6502を処理装置とするコンピュータの自作を開始し、1976年3月までにApple Iの原型となるコンピュータを独力で完成させた[49]。ウォズニアック自身はこのコンピュータの回路図をHCCにて無料配布することを望んでいたが、ジョブズはその商業的可能性に興味を抱き、このコンピュータを利用してビジネスを始めるべきだと訴えた[50][51][52]。2人は当初、それぞれの勤務先であるHPとアタリに製品化を提案したが却下されたため、自ら起業して基板(プリント配線板)の製造・販売を行うことにした[51]

1976年4月1日、ジョブズとウォズニアックにロナルド・ウェインを加えた3人は、共同で「Apple Computer Company(アップルコンピュータ・カンパニー)」を創業した[53]。アタリで製図工として働いていたウェインは、株式の10パーセントを持つことを条件としてジョブズに誘われ会社に加わった(ジョブズとウォズニアックはそれぞれ45パーセントの株式を所持した)[51]。ウェインはApple社の最初の製品であるApple Iのマニュアルを作成したほか[53]、リンゴの木とアイザック・ニュートンが描かれた最初期のロゴマークをデザインした[51]。1977年、スティーブ・ジョブズからの依頼により、ロブ・ジャノフ(英語版)が欠けたリンゴのロゴマークをデザインした[54]

個人以外の販路を求めたジョブズは、マウンテンビューのコンピュータ店「バイトショップ(Byte Shop)」の経営者ポール・テレル(英語版)にApple Iを売り込んだ[55]。強い興味を持ったテレルはすぐにApple Iを50台注文し、納品時に1台につき500ドル(合計2万5000ドル)を現金で支払うと約束したが、テレルが注文したのはApple Iのプリント配線板ではなく、パーツがすべて装着済みの完成品だった[56]。手持ちの資金では必要な数の部品が購入できなかったため、ジョブズらは部品サプライヤーを説得して30日間の支払猶予つきでパーツを購入し、懸命な作業で29日後には50台のApple Iを完成させ、テレルの店に納品して約束の代金を受け取った[57][注釈 3]

Apple Iは1976年7月から希望小売価格666.66ドルで市販され、最終的に約200台が製造された[59][56]。創業者の1人であったウェインは、ジョブズの野心的な経営方針に不安を抱いたため、800ドルを受け取って所有する株を放棄し、1976年4月12日にAppleを自主退社した[56]
法人化とApple II1979年6月に登場したApple II Plus。同年10月に発売されたApple II専用表計算ソフトVisiCalc」の大ヒットは販売を大幅に増加させた[24]

テレルとの取引で手応えを得たジョブズは事業拡大を望み、そのために多額の資金が必要となった[58]。ジョブズはセコイア・キャピタルの創業者ドン・バレンタインに会って融資を求めたが、バレンタインはApple Computerへの投資に興味を持たず、代わりに自分の元部下で、個人投資家として財を成していたマイク・マークラを紹介した[60]。マークラはジョブズの野心とウォズニアックの技術的才能に心を動かされ、1976年11月からAppleに加わった[61]。マークラは自分の個人的資産から9万2000ドルを投資したほか、バンク・オブ・アメリカから25万ドルの信用供与を確保した[61]

1977年1月3日に法人化され、Apple Computerとなった[61]。マークラはAppleの成長には経験豊富な経営者が不可欠と考え、ナショナル セミコンダクターから元同僚のマイケル・スコット(英語版)を引き抜いて初代社長兼CEOの座につけた[62]。スコットは1977年2月からAppleでの仕事を始め、社員番号を入れた社員証を発行するなど、会社をより組織的にするための施策を実行した[62][注釈 4]。他方、ウォズニアックはApple Iの改良を着々と進めており、1976年8月末の時点で後継機となる「Apple II」のプロトタイプを完成させていた[60]

Apple IIは1977年4月16日にウェスト・コースト・コンピュータ・フェアで発表され、小売価格1,298ドルで発売された[63][64][注釈 5]。Apple IIの販売は当初から好調だったが、1978年7月に発売された専用フロッピーディスクドライブ「Disk II(英語版)」と、1979年10月に発売された専用の表計算ソフトVisiCalc」が大ヒットを記録し、Apple IIの販売台数が大幅に増加した[24]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1980年には設置台数で10万台、1984年には設置ベースで200万台を超え、Appleに大きな利益をもたらした。[要出典]
株式公開とApple III・Lisa.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}1980年に発売されたApple III。純正モニタのApple Monitor III(英語版)を上に載せている。1983年に発売されたLisa。当時としては先進的な機能を装備していたが、価格の高さから商業的には失敗した。

1980年12月12日、Apple Computerは新規株式公開(IPO)を行い、1956年に自動車会社フォードが行ったIPO以来となる記録的規模の資金調達を果たした[65][66]。このIPOにより、ジョブズは約2億5600万ドルの個人資産を手に入れた[67]

株式公開に先立つ1980年5月、Appleはビジネス向けに特化されたApple IIIを発表し、巨大企業IBMに商用コンピュータ市場で挑戦を仕掛けたが、4,340?7,800ドルという価格設定の高さと、ハードウェアの設計上の欠陥がわざわいし、Apple IIIは極度の販売不振に陥っていた[66][注釈 6]。他方、IBMは1981年8月にIBM PCを発表してパーソナルコンピュータ市場へ参入し、AppleとIBMの競争は激化した[69][注釈 7]

ジョブズは1979年12月にゼロックスパロアルト研究所(PARC)を見学しており[注釈 8]、そこで見たマウスによって操作される先進的なグラフィカルユーザインタフェース(GUI)に強い印象を受けた[68]


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