Apple_Lisa
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後にカウチの証言によりスティーブ・ジョブズの娘からとられたことが明かされている[2]

また、スティーブ・ジョブズの伝記を執筆したウォルター・アイザックソンによれば、1978年当時、 命名者のジョブズにはクリスアン・ブレナンとの間に婚外子のリサ・ニコール・ブレナン(英語版)が誕生しており、父子鑑定テストの結果、94.41%の確率で親子であると確認されているにもかかわらず、ジョブズが認知を拒否しているという事情が存在したため、リサ・プロジェクトの広報を担当していたレジス・マッケンナが、先述の語源を作ったという。

この事情を知るエンジニアの間では、Lisa: Invented Stupid Acronym[注 1]などとも呼ばれたというが、ウォルター・アイザックソンが、伝記執筆の際にスティーブ・ジョブズ本人に由来を確認したところ、「僕の娘にちなんだ名前に決まってるじゃないか」と返答されたという[3]

スティーブ・ジョブズは娘リサに、Apple Lisaは自分の名前に因むのかと尋ねられた際、度々「違う」と回答していた。だが2005年、U2のボノの別荘にリサと宿泊した際、ボノが「Lisaはこの子の名前から取ったのか」と訊いた際、ジョブズは娘の前で「そうだ」と認めた[4]

なお、カウチによればApple IIIの次にあたるマシンのため「Apple 400」という名称が候補に上がり、折衷案として「Lisa 400」も根強かったが、結局「Lisa」に落ち着いたとのことである[5]
ハードウェア

本体・ディスプレイ外部記憶装置一体型で、当時としては広大な内蔵RAM領域を持っていた。ハードディスクドライブのProFileを本体の上に載せて使用される事が多い。セパレート型のキーボードには、リファレンスカードが底面から引き出して使えるようになっている。また、専用の工具なしに本体を開ける事ができ、マイクロスイッチを用いたセンサでパネルを開いた状態では起動ができないようになっていた。マウスは箱状のワンボタンマウス。

Lisaでは、記録密度を上げるためにアクセスウィンドウが2つある5.25インチのフロッピーディスク「ツイギー」を搭載していたが、Lisa2ではMacintosh 128Kで使用したソニー製の3.5インチドライブに変更された。

Lisaの為にデザインされたApple Mouseは、IDEO(1991年に創設)創設者であるデビッド・ケリーと1980年当時David Kelly Designに在籍したジム・ユルチェンコによるもの[6][7]
ソフトウェア
Lisa OS

Lisaに搭載されていたLisa Office System・通称Lisa OSは、パーソナルコンピュータ初のGUI環境のオペレーティングシステム (OS) だった。協調型マルチタスク機能とメモリ保護機能を備えているのも特徴である。

デスクトップは、後のMacintoshFinder上のレイアウトのように画面右縦にアイコンが並ぶのではなく、画面下に「Preferences」「Clock」「Calculator」「Clipboard」 「ProFile」などが横に並ぶレイアウトだった。さらにごみ箱は、「Wastebasket」である。

1983年の Lisa Office System Release 1.0では、ビジネスで必要とされるソフトウエア群"Lisa Office"としてLisa Write(ワープロ)、LisaDraw(図表作成)、LisaCalc(表計算)、LisaProject(プロジェクト管理)、LisaList(リスト式データベース)が、1984年のLisa7/7 Office System Release 3.1では、 上記6ソフトに加えLisaTerminalがバンドルされていた。

2023年1月、コンピュータ歴史博物館によってオープンソース化された[8][9]
Lisa Workshop

Lisa WorkshopはLisa 上の統合開発環境である。Lisa OSと異なり、ほぼ完全にテキストベースだった。開発言語はPascalおよびObject Pascalだった。

Macintoshのソフトウェアも、当初はLisa Workshop上でクロス開発されていた。この環境をMacintosh上に引き継いだものがAPDA MPW(英語版) (Apple Programmers and Developpers Association Macintosh Programmer's Workshop) である。開発言語はLisa Pascalを継承したMPW Pascalに加え、当時最も優れたC言語環境だったLight Speed C[注 2]に代わる純正のC言語の期待に応えてMPW Cが登場、その後ほとんどのプログラムはCで記述されることになった。
Macintosh XL

Appleの16ビットマシンの主力がMacintoshに移ると、Lisaの筐体にLisaとMacintoshの画面比の違いを変更するROMを搭載してMacintosh XLとして発売した。
Lisaの最期

1万ドル弱という価格設定[注 3]はあまりにも高く、その後Macintosh XLに至るまで値下げが行なわれたものの、結局商業的には失敗した。Appleにあった在庫のほとんどは処分されたと言われる。

1989年に、Appleは不売在庫による税金控除を受けるため、売れ残ったLisa約2700台を破砕しユタ州ローガン市の埋立処分場に埋立処分した。しかしその後、Sun Remarketing(英語版)社が残りの在庫を引き取り、Apple LisaをMacintosh化するソフトを開発して販売し、数年間の間、Lisaは流通する汎用パソコンの地位に留まることになった。
関連項目

Alto

Macintosh

脚注[脚注の使い方]
注釈^ リサ─新造の下らない頭字語という意、再帰的頭字語になっている。
^ 後にThink Cと改名
^ 1983年1月発売当初。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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