Apple
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沿革Apple Campus(旧本社)

Apple Inc.は1976年4月1日スティーブ・ジョブズスティーブ・ウォズニアック、およびロナルド・ウェイン(英語版)の3名により創業された[18][19][注釈 1]。創業時の名称は"Apple Computer Company"であり、ウォズニアックが開発したコンピュータ「Apple I」を販売するためのパートナーシップであった[18][19][注釈 2]1977年1月には"Apple Computer, Inc."(アップルコンピュータ)として法人化し、その後「Apple II」をはじめとするコンピュータの販売が急速に拡大した[24]

1980年代には、1984年発売の初代「Macintosh」に代表されるように、革新的なグラフィカルユーザインタフェース(GUI)を採用したコンピュータを次々と開発した。Macintoshは当初成功していたが、IBMのシェアを追い抜くことはできず、ジョブズは経営陣や取締役会との関係が悪化し、1985年にMacintosh部門から解任されAppleを離れた[21][25]。同年にはウォズニアックも円満にApple社内のプロジェクトからは離れたが、以後もAppleの社員であり続けている[26][27]。その後、ジョブズはAppleの一部の同僚を連れてNeXT社を設立した[28]

1990年代に入り、パソコンの市場が拡大・発展していく中で、AppleはインテルのCPUにマイクロソフトWindowsを搭載(Wintel連合)した低価格帯の製品に押され、シェアを失っていった[29]。取締役会はギル・アメリオをCEOとして起用し、レイオフ、経営陣のリストラ、製品の絞り込みなど、財政的に問題を抱えた会社を立て直そうとした。アメリオは失敗したOS戦略を解決しようと、1996年12月にAppleがNeXTを買収、ジョブズを呼び戻した[25]

ジョブズは1997年9月に暫定CEOに就任した[25]。Appleは「Think different」キャンペーンを展開し、iMacの販売で黒字化を達成した[30][31]2001年にはiPodの発売、直営店のApple Store開店など、Appleブランドを再構築した[32][33]2007年にはデジタル家庭電化製品への注力を反映させ[34]、社名を「Apple」に変更した[35]。また、同年にiPhoneを発売し、高い評価と経済的成功を収めた[36][37][38]2011年8月、ジョブズは健康上の理由でCEOを辞任し、ティム・クックがCEOに就任した[39]。その2か月後、ジョブズは死去した[40]

スコット・ギャロウェイの著書『The Four: The Hidden DNA of Amazon, Apple, Facebook, and Google』[41]の翻訳本に日本独自でつけられたタイトル『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』から、GAFAという呼称でまとめて呼ばれ、AmazonFacebookGoogleとともに世界的な巨大企業のひとつであるとの認識が広がっている[42][43][44][45][46]
歴史詳細は「Appleの歴史」を参照
創業とApple Iコンピュータ歴史博物館に展示されるApple I。Apple Iはむき出しのマザーボードとして販売され、使用するには購入者がキーボードやモニタを用意する必要があった。

1975年、大学を中退しアタリの技術者として働いていたスティーブ・ジョブズと、その友人でヒューレット・パッカード(HP)に勤務していたスティーブ・ウォズニアックは、シリコンバレーのコンピュータマニアによる「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ(HCC)」の会合に頻繁に参加していた[47][48]。ウォズニアックは、HCC内で高く評価されていたマイクロプロセッサであるIntel 8080の代わりに、安価なMOS 6502を処理装置とするコンピュータの自作を開始し、1976年3月までにApple Iの原型となるコンピュータを独力で完成させた[49]。ウォズニアック自身はこのコンピュータの回路図をHCCにて無料配布することを望んでいたが、ジョブズはその商業的可能性に興味を抱き、このコンピュータを利用してビジネスを始めるべきだと訴えた[50][51][52]。2人は当初、それぞれの勤務先であるHPとアタリに製品化を提案したが却下されたため、自ら起業して基板(プリント配線板)の製造・販売を行うことにした[51]

1976年4月1日、ジョブズとウォズニアックにロナルド・ウェインを加えた3人は、共同で「Apple Computer Company(アップルコンピュータ・カンパニー)」を創業した[53]。アタリで製図工として働いていたウェインは、株式の10パーセントを持つことを条件としてジョブズに誘われ会社に加わった(ジョブズとウォズニアックはそれぞれ45パーセントの株式を所持した)[51]。ウェインはApple社の最初の製品であるApple Iのマニュアルを作成したほか[53]、リンゴの木とアイザック・ニュートンが描かれた最初期のロゴマークをデザインした[51]。1977年、スティーブ・ジョブズからの依頼により、ロブ・ジャノフ(英語版)が欠けたリンゴのロゴマークをデザインした[54]

個人以外の販路を求めたジョブズは、マウンテンビューのコンピュータ店「バイトショップ(Byte Shop)」の経営者ポール・テレル(英語版)にApple Iを売り込んだ[55]。強い興味を持ったテレルはすぐにApple Iを50台注文し、納品時に1台につき500ドル(合計2万5000ドル)を現金で支払うと約束したが、テレルが注文したのはApple Iのプリント配線板ではなく、パーツがすべて装着済みの完成品だった[56]。手持ちの資金では必要な数の部品が購入できなかったため、ジョブズらは部品サプライヤーを説得して30日間の支払猶予つきでパーツを購入し、懸命な作業で29日後には50台のApple Iを完成させ、テレルの店に納品して約束の代金を受け取った[57][注釈 3]

Apple Iは1976年7月から希望小売価格666.66ドルで市販され、最終的に約200台が製造された[59][56]。創業者の1人であったウェインは、ジョブズの野心的な経営方針に不安を抱いたため、800ドルを受け取って所有する株を放棄し、1976年4月12日にAppleを自主退社した[56]
法人化とApple II1979年6月に登場したApple II Plus。同年10月に発売されたApple II専用表計算ソフトVisiCalc」の大ヒットは販売を大幅に増加させた[24]

テレルとの取引で手応えを得たジョブズは事業拡大を望み、そのために多額の資金が必要となった[58]。ジョブズはセコイア・キャピタルの創業者ドン・バレンタインに会って融資を求めたが、バレンタインはApple Computerへの投資に興味を持たず、代わりに自分の元部下で、個人投資家として財を成していたマイク・マークラを紹介した[60]


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