Amiga
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この項目では、パソコンについて説明しています。その他のAmigaやアミガ、アミーガについては「アミガ」をご覧ください。
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出典検索?: "Amiga" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2021年9月)
名機Amiga 500と、そのデスクトップ環境であるWorkbench 1.3(1987年)

Amiga(アミガもしくはアミーガ)は、1985年にコモドールより発売されたパーソナルコンピューターである。

同ハードは1980年代後半から1990年代初頭にかけて、主に欧州市場において人気を博したパソコンである[1]。3DCGやビデオ映像といったグラフィックに対応していることが主な利点であり、映像製作者、メガデモ製作者、アーティスト、ゲーマーなどに熱狂的に受け入れられた[1]。日本においても、『ウゴウゴルーガ』といったテレビ番組や、『Dの食卓』といったコンピュータゲームにおいて使用された[1]

1987年発売の廉価版機体Amiga 500は欧州のゲーマーの支持を受け、ゲームコンソールとしてさまざまなゲームがリリースされた。ハイエンド版機体はプロの現場でも利用され、Amigaを利用して製作されたCGや映像作品が当時のテレビに多く登場した。

AmigaOSに搭載されたデスクトップ環境であるWorkbenchは、1985年の時点で先進的なカラー表示のウィンドウシステムを実現しており、これをGUIならぬMUI(Magic User Interface)と称した。プリエンプティブマルチタスクを実現した史上初のパソコン用OSである。当初はCPUにモトローラMC68000を採用した16ビットマシンだったが、その後68020・68030・68040を採用した32ビットマシンも発表された。

Amigaシリーズのトータルでの販売台数は北米では70万台程度と奮わなかったが、一方でイギリスで150万台、ドイツで130万台、イタリアで60万台など、欧州各国で高いセールスを記録している。中でも最大のヒットとなったのがAmiga 500(通称「A500」)で、ドイツだけでも100万台以上のセールスを記録している[2]

ライバル機となるホビーパソコンのAtari STと激しいシェア争いを繰り広げたが、1990年代になってゲーム機Macintosh、IBM PC/AT互換機に性能面で追い抜かれてしまい、マーケティングの失敗もあって1994年にコモドール社は倒産してしまった。シリーズ総計で600万台ほど販売されたと推測されている。
歴史
初期開発

元々アタリ社のゲーム機Atari 2600の開発に関係しており、後にAtari Lynx3DOのハードウェア設計を手がけるジェイ・マイナー(英語版)他のスタッフが、ゲーム機専用ジョイスティック開発を隠れ蓑としたAMIGA社を設立した[3]。本業が歯科医の10数名の投資家グループから援助を受けつつ、新型のゲーム機として元々開発したものが初代のAmiga 1000であり、「Lorraine」というコードネームが割り振られた[3]。しかし、どんどん機能が肥大して汎用コンピューターと化したLorraineの開発終了後、販売のための資金が底をつく。アメリカはアタリショックの余韻もあり、投資家グループはこれ以上のAMIGA社への資金援助は危険だと判断する。

開発陣は元々関係が深かったアタリ社のパソコン・ゲーム機部門が分社化されたアタリコープ(以下アタリ)に販売を持ちかける。しかしアタリは当時、新型16bitコンピュータ、ATARI 520STの発売前であり、この話は実現しなかった。ここで販売を申し出た会社がコモドールだった。パソコンメーカーは16bitコンピューターへの製品の転換期を迎えていたが、コモドール64で市場を制覇した8bitパソコンの雄コモドールには次世代機が無かった。

これらの背景として、コモドールの株主と対立して追放されたコモドール創業者のジャック・トラミエルが代わりにAtariを買収し、業界への再参入を画策しており、そのためにアタリ社内で進行中のプロジェクトを全てリセットし、一方でコモドールの開発者を全員アタリに引き抜いて新型コンピューターの開発に当たらせている、などの裏事情があった。コモドールとしては渡りに船、とのことで、ここでAMIGA社の新型コンピューターLorraineはコモドールで販売されることとなる。また、コードネームLorraineを廃して、AMIGAというブランド名に変更となる。
衝撃的なデビュー

コンピュータでアニメーションを描くことすら難しい時代、1984年冬のコンシューマー・エレクトロニクス・ショーにて、3Dで影付きの紅白の市松模様のボールがリアルな衝突音と共に跳ね回る様子が60fpsでアニメーションされるデモ、通称『Boing Ball』が披露され、衝撃的なデビューを飾る。『Boing Ball』は現在に至るまでAmigaの象徴とされ、コモドールの倒産後はロゴとしても採用されている。他にも、Amigaのアイコンとして多数のグッズが発売された。

1985年、最初の製品Amiga 1000がリリースされた。同年にライバル機Atari 520STもリリースされ、この2機種がホームコンピューター市場を席巻する。8ビット時代にはコモドール・アタリと並ぶパソコン御三家の一角としてApple IIを販売していたアップル社も、これら2機種への対抗馬として1986年にApple IIを16ビット化しグラフィック機能を強化したApple II GSを投入し、1980年代の16ビットホビーパソコン市場はこの3機種によるシェア争いとなった。MIDIポートと高解像度モノクロディスプレイモードを搭載してミュージシャンやCAD方面に人気があったAtari STに対し、AmigaはCG製作者や映像製作者に人気があったが、Apple IIGSは人気の面でAmigaやAtari STに後れを取っていた。(ちなみに、アップルが1984年に発売したMacintoshは白黒二値表示しかできず、ビジネス市場も視野に入れた高性能機種として位置づけられており、Amigaなどと競合するホビーパソコンではなかった[4]。)Amiga 500はゲームコンソールとしてゲーマーの支持を受けた。ちなみに画像は英シグノシス社『Leander』で、パッケージに日本語であおり文が書かれているなどオタクブームの影響を受けた作品の一つ

1986年頃、後に日本の代表的なAmigaユーザーの一人となるミュージシャンの平沢進がAmiga上で動作する"Juggler"と呼ばれるメガデモに出会っている。この頃からAmigaに個人的な興味を持ち始め、1988年前後にアパートの一室で営業していた販売店で積み上げられていたAmiga1000の1つを購入し、自宅での個人使用を開始している。この当時はまだパソコンの使用方法に関する情報が乏しく、特にAmigaに至っては日本で全くといっていいほど知られておらず、さらには本体に付属されるべき説明書すらない中で組み立て時から試行錯誤しながら使用方法を徐々に習得して行ったという。Amigaを使用したパソコン通信接続も試みている。[5]

1987年には廉価版のAmiga 500とハイエンド版のAmiga 2000がリリース。Amigaは倒産まで廉価版とハイエンド版の二本柱でリリースされた。「ゲームパソコン」として、人気ゲームやジョイスティックと共に購入されることを前提で販売されたAmiga 500はゲーマーに好評を受けたが、699米ドルと廉価ながら使いやすいGUIによるOSを搭載していたため初心者ユーザーの支持も大きかった。
競合との競争激化 (OS Ver.2)

1990年にはOSがVer.2にメジャーバージョンアップし、高性能なECSチップセットとMC68030を搭載したAmiga 3000をリリース。売れ行き的にも絶頂期を迎え、Atari STを圧倒するが、一方でこの頃からハードウェア性能がMacintoshPC/AT互換機に追い抜かれる。北米ではビジネスユースで圧倒的なシェアを得たPC/AT互換機がホームコンピューターの市場を食っていたこと、玩具屋で安売りされるなどのCommodore64以来の販路が「ゲーム機並みの玩具パソコン」として敬遠されたこと、趣味でデスクトップムービーを扱うような層が欧州に比べて限られていたことなどから、この頃からはAmigaの市場はほぼ欧州のみとなっていた。世界的にシェアを持つモトローラ系のメジャープラットホームはMacのみとなり、モトローラがMacのみに注力するようになったため、Amigaなどには最新の部品(MC68040など)が供給されなくなり、ますます差が広がった。

1991年、フィリップスが規格を制定したマルチメディア機であるCD-iプレーヤーに対抗して、Amiga 500のハードをそのまま流用したCommodore CDTVを「マルチメディア機」として売り出したが商業的に失敗に終わる(ちなみにCD-iも失敗している)。また同年、Amiga 500の改良版としてWorkBench 2.0を搭載したAmiga 500+をリリース。ユーザーインターフェイスは進化したものの、WorkBench 1.3を搭載していたAmiga 500との互換性に乏しく、いくつかのAmiga 500用のゲームが動かなかったためにゲーマーの不評を買う。一部のゲーマーはAmiga 500+にWorkBench 1.3をロードさせるプログラムを使って対処した。

1992年、Amiga 500+の改良版としてAmiga 600をリリース。コモドールは16ビット機から32ビット機への移行期にあたって、16ビット機であるAmiga 500シリーズを32ビット機に対する最廉価ラインと位置づけ、そろそろゲームコンソールとしての役目を終えようとしていた8ビットゲームパソコンCommodore64/128シリーズをこのAmiga 500シリーズで置き換える目論見であった。コモドールはAmiga 600を「レミングス」などの人気ゲームやグラフィックスエディタの「デラックスペイント」と抱き合わせにしてAmiga 500と同価格帯で販売したが、既にAmiga 500シリーズはゲーム機としては性能が陳腐化しており、欧州のゲーマーは1990年末にリリースされたSEGA MEGA DRIVE[6]にどんどん移行していったため、結局Amiga 500シリーズは打ち切られ、本来上位機種と位置づけられていたAmiga 1200がゲーマー向け廉価機種として投入される羽目になってしまう。


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