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Alto縦型ディスプレイ、キーボードとマウスを備えたXerox Alto
開発元Xerox PARC
製造元Xerox PARC
発売日1973年3月1日 (51年前) (1973-03-01)
標準価格US$32,000 in 1979 (2023年時点の$134,338と同等)[1][2]
出荷台数Alto I: 120
Alto II: 2,000[3]
対応メディア2.5 MB hard disk that used a removable 2.5 MB single-platter cartridgeter[4]
OSAlto Executive (Exec)
CPUTTL-based, with the ALU built around four 74181 MSI chips. It has user programmable microcode, uses big-endian format and a CPU clock of 5.88 MHz[5][4]
メモリ96[6]-512 kB (128 kB for 4000 USD)[4]
ディスプレイ606×808 pixels[4]
入力機器Keyboard, 3-button mouse, 5-key chorded keyboard
外部接続Ethernet
関連商品Xerox Star; Apple Lisa, Macintosh
Alto(アルト)は、後にデスクトップ・メタファーを使用し、グラフィカルユーザインタフェース (GUI) をベースにしたオペレーティングシステム (OS) をサポートするように設計された最初のコンピュータである[7][8]。最初のマシンは1973年3月1日に動き始めた[9]。Appleが大規模市場向けGUI搭載パソコン「Macintosh」を発表する10年以上前のことである。
Altoは比較的小さなキャビネットに収められ、複数の小規模・中規模集積回路から作られたカスタム中央処理装置 (CPU) を使用している。10年 - 15年後の「パーソナルコンピュータ」の一般的な性能を想定して設計されたため、マシン1台当たりのコストは高級車の販売価格に達した。当初は少数しか製造されなかったが、1970年代後半までに、ゼロックスの様々な研究所で約1,000台、いくつかの大学では約500台が使用されていた。製品化計画もあったが、社内での駆け引きに敗れ一旦は破棄された。しかし1977年11月の社内向けカンファレンス「フューチャーズ・デイ」での成功をうけてゼロックス本社上層部の興味を引き、1970年代終盤にはホワイトハウスなど限られた顧客にも販売されるなどして[10]、総生産台数は試作機としては異例の約2,000台に達した。
Altoはシリコンバレーでよく知られるようになり、そのGUIはコンピューティングの未来とみなされるようになった。1979年、スティーブ・ジョブズ (Steve Jobs) とビル・ゲイツ(Bill Gates)はパロアルト研究所 (PARC) への訪問を手配した。Apple Computer(現:Apple)は従業員がゼロックスの技術のデモンストレーションを受ける代わりに、ゼロックスがAppleのストックオプションを購入できるようにした[11]。2人は別の日時に複数回に渡ってAltoを見学した後、AppleとMicrosoftの技術者たちは、そのコンセプトを利用して、Apple Lisa、Macintosh とWindowsを開発・発表した。またXerox社は2人に1ダース以上のAltoを提供した。
ゼロックスは最終的に、Altoで培われたハードウエア技術を転用し、PARCとは別の部署で秘密裏に開発を進めていたOSを搭載したGUI搭載ワークステーション「Xerox Star」を商品化し、1981年に最初に販売した。完全なオフィスシステムは、数台のワークステーション、ストレージ、レーザープリンターを含み10万ドルもしたため、同じく高価格路線で商業的に失敗したApple ComputerのLisaと同様に、Starは市場に直接的な影響を与えることはほとんどなかった。
歴史Alto 3ボタンマウス下面から見たAltoのボール型マウスオプションの5キー・コードキーボード
Altoは、SRIインターナショナル (SRI) のダグラス・エンゲルバート (Douglas Engelbart) とダスティン・リンドバーグ (Dustin Lindberg) によって開発された oN-Line System (NLS) に触発されて、1972年にバトラー・ランプソン (Butler Lampson) が書いたメモの中で考案された。設計は主にチャールズ・P・サッカー (Charles P. Thacker) が担当した。工業デザインと製造はゼロックスに委託され、そのスペシャルプログラムグループのチームには、プログラムマネージャーとしてダグ・スチュワート (Doug Stewart)、アビー・シルバーストーン・オペレーションズ (Abbey Silverstone Operations)、工業デザイナーのボブ・ニシムラ (Bob Nishimura) が含まれていた。最初の30台はゼロックスエルセグンド(スペシャルプログラムグループ)によって製造され、PARCのジョン・エレンビー (John Ellenby)、エルセグンドのダグ・スチュワート(Doug Stewart)、アビー・シルバーストーン (Abbey Silverstone) とともに、Altoのエレクトロニクスの再設計を担当した。パイロット運転の成功により、チームはその後10年間で約2,000台を生産した[12]。
Xerox Altoのシャーシは現在、カリフォルニア州マウンテンビューのコンピュータ歴史博物館に数台、ジョージア州ロズウェルのコンピュータ博物館に1台が展示されており、個人の手に渡ったものもある。ランニングシステムは、ワシントン州シアトルのリビングコンピュータ博物館 (英語版) に展示されている。Charles P. Thacker は、Alto の先駆的な設計と実現により、2010年3月9日に Association for Computing Machinery の 2009 チューリング賞 を受賞した[13]。2004年のチャールズ・スターク・ドレイパー賞は、Altoに関する研究に対してThacker、アラン・ケイ (Alan C. Kay)、Butler Lampson、ロバート・テイラー (Robert W. Taylor) に授与された[14]。
2014年10月21日、Xerox Altoのソースコードやその他のリソースがコンピュータ歴史博物館から公開された[15]。 以下の記述は、主にゼロックスPARCの1976年8月発行のAlto Hardware Manual[16]に基づいている。 Altoはマイクロコード化されたデザインを使用しているが、多くのコンピュータとは異なり、層状化デザイン上でマイクロコードエンジンはプログラマから隠蔽されなかった。
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