Adidas
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アディダス
Adidas AG

ヘルツォーゲンアウラッハのアディダス工場
種類株式会社
市場情報FWB ADS
本社所在地 ドイツ
バイエルン州
ミッテルフランケン
ヘルツォーゲンアウラハ
設立1949年8月18日 (74年前) (1949-08-18)
業種その他製品
事業内容スポーツ用品の製造販売
代表者カスパー・ローステッド(CEO)
売上高212億3400万(ユーロ)(2021年)[1]
営業利益19億8600万ユーロ(2021年)[1]
純利益14億9200万ユーロ(2021年)[1]
総資産221億3700万ユーロ(2021年)[1]
従業員数61,401人 (2021年)[1]
外部リンクadidas-group.com
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アディダス(Adidas AG、"adidas")は、靴、衣類、アクセサリーのデザイン・製造を行うドイツ多国籍企業。ヨーロッパでは最大のスポーツウェアメーカーであり、世界ではナイキに次ぐ第2位。
沿革

1900年 - アディダスの創始者であるアドルフ・ダスラーがドイツのニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラハで、靴職人の息子として誕生。

1920年 - ニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラッハで、兄ルドルフ・弟アドルフのダスラー兄弟が靴製造の会社「ダスラー兄弟商会」を設立、主にルドルフが販売、アドルフが生産を担当した[2]

1933年 - ダスラー兄弟がナチス党に加入し国家社会主義自動車軍団のメンバーとなる[3]。アドルフはヒトラーユーゲント「スポーツ課」にも所属した[4]。ダスラー兄弟商会はドイツ国防軍調達の靴会社で最大手になった[注釈 1]

1943年 - 靴工場が対戦車砲工場として使用されるようになった[5]

1945年 - 戦後、米軍が兵器製造に使用された靴工場を解体しかけたが、アドルフの妻の嘆願により解体を免れた[6]

1948年 - 兄弟の意見対立により「ダスラー兄弟商会」を解消、アドルフはアディダス社を設立した[2]。社名の「アディダス」はアドルフの愛称「アディ」と「ダスラー」をつなげたもの[2]。なお、兄ルドルフはアウラハ川の対岸にRUDA社を設立。これが翌年、プーマ社となった。川を挟んで両社は地域を含めた競争に発展、親がどちらに勤めているかで入学する小学校が決まり、サッカーの試合ではそれぞれの靴を履いて対戦した[2]

1951年 - フィンランドのスポーツブランドカルフより3本線(スリーストライプ)の登録商標の権利譲渡を受ける。

1965年 - テニスシューズ「ハイレット」を発表。これが後の「スタンスミス」(英語版)となった。

1970年 - オールレザーのバスケットシューズ、「スーパースター」発表。

1970年以降、アドルフの息子であるホルスト・ダスラーが実権を握り始める。ホルストはスポーツ広告代理店インターナショナル・スポーツ・アンド・レジャー(ISL)を電通と共同で設立し、フアン・アントニオ・サマランチ(第7代IOC会長)やジョアン・アヴェランジェ(第7代FIFA会長)、プリモ・ネビオロ(第4代IAAF会長)らといったスポーツ界の大物達と太い人脈を持ったことなどから、後の近代オリンピックFIFAワールドカップといった大規模なスポーツイベントの商業化に大きな影響を与えたとされる[7]。また、これによりスポーツ界全般においても大きな力を持つようになった。この時期、アディダスは売上高で世界一のスポーツ用品メーカーであった。

1978年 9月7日 - アドルフ・ダスラーがエルランゲンで死去。78歳[8]

1987年 4月10日 - ホルスト・ダスラーが51歳で病死した。アドルフの娘たちとホルストの息子たちとの間での経営権争いもあり、アディダスの経営は迷走を始めた。

1990年 - フランス人実業家ベルナール・タピが株式の過半を取得、経営権を握る。これによりダスラー家とアディダスとの資本関係はほぼ消滅した。この頃、アディダスはナイキリーボックに次ぐ業界3番手に転落していた。

1993年 - 銀行団主導でフランス人実業家の「ロベール・ルイ・ドレフュス」が経営権を握る。ドレフュスのもとでアディダスは黒字化、復活を果たした。

1995年 - フランクフルト証券取引所に上場。

1997年 - ウインタースポーツ用品メーカーのサロモンを買収。世界ナンバー2のスポーツ用品メーカー、アディダス?サロモングループになる。これによりテーラーメイドゴルフを傘下とする。

1998年 - 2月、日本法人が設立し、ノーマン・フォスター設計の矢来町のビルに入居(旺文社と入れ替わり)。

2005年 - リーボック株を取得し、リーボックをグループに加える。10月25日、フィンランドのスポーツ用品メーカー、アメアスポーツコーポレーションにサロモン部門を売却。

2015年 - ラッパーのカニエ・ウェストとのコラボレーションライン「YEEZY」をスタートさせる[9]。(現在販売は終了。以下のレーベルを参照。)

2017年 - テーラーメイドゴルフを含むゴルフ部門(アパレル及びシューズ事業を除く)を投資会社に売却[10]

2023年1月1日、カスパー・ローステッドCEOの後任として、プーマのビョルン・グルデンがCEOに就任[11]。 なおグルデンの就任まではハーム・オルマイヤーCFOが同社を率いる予定[11]

ロゴの種類

3本線はアディダスの登録商標であるため[12]、ロゴ扱いとなり2000年代のある時期からテニス4大大会などにおいて、ウェアの3本線の大きさ(長さ)の制限がなされている[13][14]。この3本線は、1951年にフィンランドのスポーツブランドカルフから約1600ユーロとウィスキー2本で使用権を買ったもの。別バージョンのパフォーマンスロゴトレフォイルロゴ

ワールドマーク地球の形をしたロゴマークで、1960年代に使用されていた。

トレフォイルロゴ1972年に初登場した。月桂樹の冠をモチーフにした三つ葉マーク(Trefoil)。1995年までadidas社のカンパニーロゴとして使用された。その後使用されない時期もあったが、2001年より復刻シリーズ「adidas originals (アディダス オリジナルス)」やファッションアイテムにて本格的に再使用されるようになった。

パフォーマンスロゴ1991年に初登場した。別名:エキップメント、スリーバー。三本線で三角形をかたどったマーク。当初は高機能素材の商品のみに使用され、各カテゴリの最高機種「ベスト・オブ・アディダス」を意味していた。その後、一般ユーザーからの人気が高まり、1997年より通常アイテムにも採用されるようになった。

グローブロゴ2002年に初登場。円に斜めの3本線が入ったマーク。「adidas NEO(後のadidas neo)」や「adidas SLVR」といった10代・20代向けのラインにも当初は採用されていた。

リニアロゴ(「adidas」や「adidas neo」など、“文字のみ”のロゴ)

主な製品.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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スーパー・スタースタン・スミスサンバ

スーパー・スター

スタン・スミス

カントリー

ガゼル/ガッツレー

サンバ

フォーラム

BW army

キャンパス

NMD

ニッツアー

オレゴン

レーベル

adidas ADVENTURE (アディダス・アドベンチャー)
1990年代初頭にアディダスのアウトドアラインとして日本から登場したブランド。後にドイツのアディダスでも製造されるようになった。ロゴは「adidas ADVENTURE」の文字のみ。

adidas originals (アディダス・オリジナルス)トレフォイルロゴを用いた復刻シリーズ。

adidas skateboarding (アディダス・スケートボーディングス)通称:adidas SB。adidas originalsの中のスペシャルラインとして2006年に初登場した。トレフォイルロゴを使用している。「アディダス・スケートチーム」に所属するストリートスケーターたち(MARK GONZALEZ、DENIS BUZENITZ、TIM O'CONNOR、SILAS BAXTER-NEALなど)のために作られたが、一般に向けても少量のみ販売となった。

Y-3 (ワイ・スリー)山本耀司とのコラボレーベル。2002年に誕生。

adidas neo (アディダス・ネオ)旧表記:adidas NEO。若者向けのレーベル。表記が「adidas NEO」だった頃は、グローブロゴを用いていた。また、エースが販売しているアディダスの鞄やバッグパックにも、「adidas neo」のロゴがあしらわれている。

adidas SLVR (アディダス・シルバー)若者向けのレーベルで、銀色を使ったアイテムを主に生産している。当初はグローブロゴを用いていた。

YEEZY adidas Originals by KANYE WEST (イージー・アディダス・オリジナルス・バイ・カニエ・ウェスト)ラッパーのカニエ・ウェストとコラボレーションしたプレミアムライン。アイテムリリースはシーズン問わず限定的でデザインは全てカニエが担当していたが、2022年にカニエの反ユダヤを主張する発言やSNS上での投稿[15]が物議を醸し、この件に反応したアディダスは10月25日をもってカニエとの契約を解消。同時にプロダクトの展開も終了している[16]

adidas × Parley (アディダス × パーリー)リサイクルした海洋プラスティックでできた、海洋環境保護団体「パーリー・フォー・ザ・オーシャン(Parley for the Oceans)」とのコラボレーション。2015年に発表。

特別モデル

Oregon JK (オレゴン ジェイ ケイ)2001年に
ジャミロクワイのリーダーであるジェイ・ケイがデザインしたオレゴンシリーズスニーカー。2024年2月14日に再製造された。詳細はケイの「帽子とファッション」参照。

アディダスジャパン株式会社

アディダスジャパン株式会社
adidas Japan K.K.


種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
106-0032
東京都港区六本木1丁目9番10号
アークヒルズ仙石山森タワー
設立1998年平成10年)2月19日
業種その他製品
法人番号9011101026296
事業内容アディダス・リーボックブランド製品の販売とその付帯事業
代表者羽柴慶彦(代表取締役
資本金4億9,900万円
従業員数2,231人(2022年3月時点)
外部リンク ⇒http://adidas-group.jp/
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1998年2月の設立時は、旺文社と入れ替わりに旺文社本社ビルに入居した。

日本でのアディダスブランドはそれまで販売代理店として兼松スポーツ(兼松の子会社)、デサントなどが請け負っていた。1990年代初頭からはアディダスのアウトドアラインとして「アディダス・アドベンチャー」というブランドが日本で登場している(後にドイツのアディダスでもこのラインは製造されるようになった)。そして1998年平成10年)、直営日本法人が設立された。

ショールーム : 東京都・江戸川橋

開発施設「アディダス フットウェアラボ」 : 兵庫県神戸市長田区[17]

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